異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 『隣接界』クリストファー・プリースト

~作者の世界に存分に浸る幸福感が味わえる傑作~

 ファン待望クリストファー・プリースト最新翻訳長編の登場である。
 やや耳馴染みのない言葉がタイトルの小説は第一部「グレート・ブリテンイスラム共和国(IRGB)」から始まる。既におわかりの通り、これは現実の世界を舞台にしたものではない。気候変動で度重なる嵐が襲い、テロが頻発するという混乱状況にあり、イスラムに支配されているという近未来英国なのだ。作者の近年の翻訳長編『双生児』が第二次世界大戦を、『夢幻諸島から』が架空の群島を舞台にしていたのとは趣が異なり今回はSF色の強い設定である。

 写真家ティボー・タラントは野戦病院に従事していた看護師である妻メラニーをテロにより亡くし、失意のなか帰国していた。メラニーの死を両親に伝えた彼を海外救援局の担当者がロンドンに送るため迎えにやってくる。混迷の続く世界状況のせいか、どうやら人々は自由に移動できなくなっているのだ。
 しかし彼らは単なる送迎者ではない。彼がメラニーに同行して撮った写真には国家安全保障上の機密が存在するというのだ。どうやらメラニーを襲ったテロには謎があるらしい。そして彼は謎めいた女性から行動を共にしないかと誘われる。やがてメラニーが遭遇したテロで使われた兵器がは爆発区域が正三角形となるような新型のものであること、その技術が物理学者リートフェルトが発見した理論に基づくものであることが明らかになる。
 ここまでが第一部のあらすじだが、全体で上下二段組590頁で八部構成からなる本書のイントロダクションでしかない。
 その後は時折ティボーやその同時代の近未来パートをはさみつつ、第一次世界大戦中に戦局打開のために敵から航空機を見えなくする方法をつくるよう協力要請された奇術師の話となったり(そこではあの有名な大作家が登場!)、さらには第二次世界大戦のなんとも魅力的なラブロマンスが繰り広げられたり、なんとなんと『夢幻諸島から』と同じ≪ドリーム・アーキペラゴ≫を背景にした島プラチョウスまで出てくるのだ(本書全体のバランスを損ねずにちゃんと≪ドリーム・アーキペラゴ≫シリーズらしく不気味な異文化テイストがあるところがお見事!)。
 さてこの「隣接」とはなにか。ひとつは本書のSF要素の核である「隣接場」なるアイディア、それにともなう隣接テクノロジーを指し示している(具体的には本書をご参照ください)。ただそれだけではない。
 上記の第一次大戦で協力要請された奇術師は航空機を相手から消す方法について、奇術のテクニックを分析し
”べつの種類のミスディレクションは、隣接性の利用である。マジシャンはふたつの物体をそばに置く、あるいはなんらかの方法で両者を繋いだうえで、ひとつの物体のほうを観客にとってより興味深いものに(あるいはより謎めいたものに、あるいはより面白いものに)する。(中略)―大事なのは、たとえ一瞬であっても、観客が興味を抱き、間違った方向に向くことなのだ。"(第二部より引用)
 と考えをめぐらせている。
 まさしく「語りの魔術師」プリースト自身の言葉にも見えてくる。というのは作品に登場する、時間・空間を超え多くの人物やエピソードは、少しずつ違いがありながらしかし関連しつつ進行していくからである。そこから立ち上がるのは錯覚を誘う幾重にもずらされた立体写真のようで、プリーストの真骨頂といえる。
 特にクリスティーナとマイクのパートが大変ロマンティックで美しいシーンが多かった。全体に航空機の描写に力が入っていたという印象もある。
 上記のように直接過去作とリンクする要素(『双生児』との重なりも実はある!)が多く、集大成的な要素もあるプリーストランドといった様相を呈した、特にファンには楽しみどころたっぷり、何度も読み返したくなる傑作である。もちろんプリースト初めての読者はパートを切り離して楽しんでもいいだろう。魅力的なエピソードが満載だからである。(2018年1月6日)

2024年1月に読んだ本

 年末年始には久しぶりに友人たちと会ったり、映画を観たりする予定だったのだが、体調を崩し、全部おじゃん(死語)。(現在は回復)
 ということで、自宅でダラダラ。そこで、積んでいたが肩の凝らなさそうな、北村薫<時と人 三部作>(と呼ばれてるのね、今回知った)を。
◆『スキップ』

 17歳の女子高校生が、ある日突然25年先の自分へ意識が飛んでしまう。ということで、SF的な設定が使われているものの、話の中心は「記憶が失われたまま17歳の状態に戻り、慣れない25年先の社会に適応しようと足掻く中年教師」による学園青春ドラマである。時間を跳躍させるとなると、過去をやり直す話が定番だが、それとは逆にいきなり若い時代を失ってしまった主人公を描く視点に意表をつかれた。学校あるいは教師ものは好みではないのだが、筆捌きでは世評の高い作者のこと、造詣の深い国文のエピソードを織り込みながら、澱みのない展開で一気に読ませる。
◆『リターン』

 『スキップ』と同じく、時間についてのSFアイディアを導入した人間ドラマだが、直接のシリーズものではなく、また別の独立した作品。本作は事故にあった主人公がある一日に閉じ込められる、といういわゆる時間ループものといえるだろう。日常世界とのわずかなつながりを保ちながら打開策を探るところやじっくりと心理が描かれるところの丁寧な筆致は相変わらず見事だが、終盤になってのサスペンス部分はやや唐突で構成のバランスが悪い気がした。また『スキップ』の方が面白かったのは、時間ものにはノスタルジアの要素が欠かせないからかもしれない。本作ではループしない方も日常世界の方も同じ現代でしかないので。
◆『リセット』

 本作は三部構成で、太平洋戦争前後の時代変化が視点人物によって語られ、その視点人物が複数現れて最後に全体の構造がわかる形になっている。Amazonの感想とかをざっと見ると、低評価にら「話が動くまでが退屈」といったものが散見される。これは『スキップ』『ターン』の一連の作品なので、時間アイディアがどうしたパターンなのか早めに提示されないと落ち着かない読者が一定の割合でいるということがわかる。構造を早めに把握しておきたいといことだろうが、そうなると自分の認識を超えた作品にどう対処するのか気になるね。要は、個人的には三作の中では一番良かったということ。その前半の重しが後半のドラマに効果的に作用している。三作ではこれが一番で、「スキップ』がその次で『ターン』が今一つ。時間ものは時代の落差が大きなポイントなのだなと感じて、時代背景が劇的な『リセット』とほぼ時代落差なしの『ターン』が弱い。あと『リセット』は「この世界の片隅に」を連想させる内容でもあったな。ちなみにp74に本筋とはあまり関係ないが、映画「ハワイ・マレー沖海戦」の話がちらっと出てくる。1942年の国策映画で、先日CSで最後の方だけ観た。円谷英二が特撮を担当しているだけあり、戦争シーンは後の「ゴジラ」と遜色ない出来で、技術的にはこの頃すでに完成していたことがわかった。
◆『遊戯の終わり』コルタサル

 単著を読むのは久しぶり。
I
「続いている公園」
再読。非常に理知的な構造になっていて、作者の創作姿勢が感じられる。
「誰も悪くはない」
 セーターをうまく着ることができない、という小説であるが、いやホントにそういう作品なのでびっくりする。
「殺虫剤」
 こちらは子供同士の世界が残酷な面まで生き生きと描かれている。細部に自伝的な面がないのかちょっと気になる。
「いまいましいドア」
 宿泊中のホテルで隣から音が聞こえてくる。ホラー的なシチュエーションの中に不思議な静謐さがある。
バッカスの巫女たち」
 クラシックコンサートでの熱狂がエスカレートする話。発想のコミカルな飛躍は現代小説に近いか。
II
「黄色い花」
 自らの生まれ変わりと思った少年に注目していく人物の話。因縁や巡り合わせといった方向には進まず、思いの外普遍的な視野に広がっていく。
「夕食会」
 二人の書簡形式で、とある夕食会について片側の怒りが表明される。何度か読んでみたが、ねじれた時間がどの様な意味を持つのか悩ましい作品である。
「楽団」
 知人が映画を観に行った劇場で、素人めいた楽団の演奏が始まってしまった話。妙なシチュエーションを作り出すのを得意としている印象を受ける。が、冒頭の「似たような出来事がもとで亡くなったルネ・クレヴェルの思い出に」とあって頭が混乱する。(ググるとルネ・クルヴェルというシュルレアリスムのアーティストがいたらしい)
「旧友」
 短い作品が並ぶ本書の中でも、とりわけ短い3ページの作品。ヒットマンが標的を狙う、それだけの内容だが、引き締まった文章と鮮やかな描写がなかなか良い。
「動機」
 殺された友人の謎を追うが、謎の女に惑わされ。これまた短い作品で、クライム・サスペンスを煮詰めてダイジェスト版か予告編を作ったような不思議な面白さがある。意図しての事かは分からないが。
「牡牛」
 ボクシング小説。これも短い中に鮮やかな描写とキレのよい文章が心地よい。ふと、ボルヘスが意外とストリートファイト的な場面を書いている事を連想したり。

「水底譚」
 語り手が見た恐ろしい夢は。これは割と明確な構造になっている印象だが、それよりも水を中心とした幻想的な描写が美しい。
「昼食のあと」
 両親の命令であの子を散歩に連れて行かなくてはいけない。あの子、をめぐるあれこれが描写されるが結局よく分からず落ち着かなくなる。後期の筒井康隆を連想させる、と思ったがなんのことはない、この本自体が筒井康隆の読書歴開陳書評集『漂流 本から本へ』に載っていた。

山椒魚
 山椒魚に魅せられた主人公の話。これも割と図式化してしまうと似たパターンはよく見られるタイプだが、やはり描写に魅力があって読ませるんだよな。
「夜、あおむけにされて」
 この作品も「水底譚」と同じく夢がモチーフになっている怪奇譚で、匂いの描写が印象に残る。
「遊戯の終わり」
 鉄道の沿線で、車窓に向かって活人画あるいは彫像を見せるという遊びを始めた三人の少女。やがて、鉄道の中でそれに気づいた若者が現れて。これもこれまで聞いた事がないようなユニークな状況設定。切ない青春小説でもあり、傑作。
 理知的に作品を構築している作家という印象を受けるが、発想がユニークで文章表現も豊かであり、独自の文学世界を確立している。特に良かったものを挙げると「続いている公園」「だれも悪くはない」「バッカスの巫女たち」「黄色い花」「遊戯の終わり」といったところ。
◆『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』ジョン・スラデック

 次々に繰り出されるダークなエピソードは、(既に指摘があるが)ノワールといっていいが、全体はコメディ。アイロニカルでキツめなジョークの冴えは作者ならでは。言葉遊びの仕掛け(気づかなかった)など詳細な解説もありがたい。訳出に感謝したい。
◆『見えない流れ』: エムナ・ベルハージ・ヤヒヤ

 チュニジアの首都チュニスを舞台に、中年の兄妹ヤーシーンとアイーダ、家族や周囲の人々の日常的な出来事、そしてそれに対する意見交換などが綴られる現代小説。現代のチュニジアの人々の生活が伝わってくる実直な小説で後味もさわやかだが、ちょっと自分には生真面目過ぎるかな。

<シミルボン>再投稿 『虚ろなる十月の夜に』ロジャー・ゼラズニイ

~オールスターキャストでお届けする最後まで予測不可能なゲーム小説~

 ロジャー・ゼラズニイといえば神話をベースにしたSFやファンタジーで知られ、一時代を形成した人気作家。恥ずかしながら一部の作品しか読んでいなかったので、ホラーのイメージがあまりなくクトゥルーものと聞いて少々意外に思いながら手に取った。
 十月の終わり万聖節前夜(ハロウィーン)に繰り広げられる、≪開く者(オープナー)≫と≪閉じる者(クローザー)≫によるゲーム。
参加者はいずれも御主人(マスター)と使い魔(コンパニオン)のコンビ。使い魔は動物の形態をしている。
 主人公というか(人ではないので)主役はスナッフ、御主人ジャックの番犬(ウォッチドッグ)である。他に猫であるグレイモーク(御主人はジル)、フクロウのナイトウィンド(御主人はモリスとマッカブ)、黒蛇のクイックライム(御主人はラストフ)、蝙蝠のニードル(御主人は伯爵)、ネズミのブーボー(御主人は博士(グッドドクター)、白ワタリガラスのテケラ(御主人は司祭)・・・。重要な役に名探偵とそのコンパニオンもいる。
 ただ全体として人間の方は、出てこないとか完全に脇役というほどでもないのだが、基本的にはコンパニオンの方がメインである。ゲームの内容は漠然としているのだが、どうやら禍々しい異世界とつながろうとする勢力(オープナー)とそれを防ごうとする勢力(クローザー)にわかれて戦うことになる。面白いのは誰がどちら側か最後までわからないのだ。
 突然だがトランプのゲームにナポレオンというのがあるのをご存じだろうか。基本的には5人でプレイするのだが、ナポレオン(いわゆる親)とその副官対残りの3人の2チームでどちらが絵札を多くとるか勝負する。ポイントは副官が誰か表明しないことだ。
 つまり最後まで勝負がどうなっているか誰が誰を欺いているのかわからないゲームなのである。
 中学の頃だったかなあ、学年で随分流行っていた。それに近いのが本書の楽しさだ。
 こちらのレビューでは多少控えめに書いたが(それでも勘の良い方はおわかりかもしれない)、有名キャラクター勢揃いで、どちらかというと怖さより賑やかな楽しさが前面に立っている小説である。
(本書の背表紙や帯の紹介はやや説明多めになっている。ただこうした幻想小説に馴染みのない読者には説明が必要とも思われ、説明過ぎではないほどよい説明の塩梅についてはなかなか難しいものがある)
ゼラズニイには人類の命運をかけてユニコーンとチェスの勝負を挑む「ユニコーン・ヴァリエーション」もあり(『モーフィー時計の午前零時』収録)、また本書にはゲームにあたっての心がけへの言及もあり、並々ならぬゲームへの情熱が感じられる。

 謎の死体が登場してミステリ要素も加わり実にサーヴィス精神にあふれている。
 また本書は同じく竹書房文庫から出た『猫は宇宙で丸くなる』に続く動物もののSF/ファンタジーともいえる。

 この路線で引き続き読者を楽しませて欲しいと期待している。(2017年12月30日)

クイーンを!観て!きた!!

 というわけで、クイーン+アダム・ランバート@東京ドームですよ。


 人生初クイーンということなのです。
 映画「ボヘミアン・ラプソディー」の時にいろいろ書きましたなあ。

funkenstein.hatenablog.com
funkenstein.hatenablog.com

 フレディ時代を同時代で体験していながら、結局当時観られなかった悔いは正直ある。楽曲的には群を抜く完成度で、上記ブログ記事の前編の方で書いたように、まだまだ変なこだわりの強い世代ではあったが、それでも興味的にも視野に入れてはいたバンドだったのだが……(行くとしたら1981-82年の頃だったかなあ)。
 ということで、アダム・ランバート時代も把握してなかったのだが、なんのことはないベストヒットUSAを観たら、アダム・ランバートが想像以上にハマっていたことに驚かされたからである。
 楽曲は"Somebody To Love"だったようだが(検索した)、そのせいか、この人のヴァージョンを連想したのだ。

Queen & George Michael - Somebody to Love (HD Remastered) (The Freddie Mercury Tribute Concert) - YouTube
 フレディトリビュートコンサートでのジョージ・マイケル
 大きなフレディの影がつきまとってしまう難曲にストレートに対峙、堂々と自らのものにしている。まさに名唱である。
 しかし、アダム・ランバートもまた勝るとも劣らない。歌い方は全く違うのだが、圧倒的な歌唱力で楽曲を再生させていく在り方が共通している(フレディ以外のクイーン曲というものが存在しうるという実例を示してもらったことで、アダムがある程度モデルとしたんじゃないかなと今は妄想すらしている)。
 とにかく「ああこれなら<クイーン>を体験できる」と思い、検索したらまだチケットが買えたので観てきたというわけ。
 期待は全く裏切られることはなかった。
 オリジナルのブライアン・メイロジャー・テイラーも健在、アダム・ランバートはキャリアを重ね圧倒的なパフォーマンス。
 フレディの死もまた新たなクイーンを生み出すことになるとは(もちろんフレディが築いたものがベースにあるのは間違いなく、またそのことへのリスペクトが全編にあふれているのも素晴らしい)。
 それにしても、(上記の過去ブログ後編に書いたように)当時どうしても腑抜けた売れ線曲にしか思えなかったRadio Ga Gaがコンサートのキイとなる曲に成長するとは想定外だったなあ(むしろ時代が経った方が味が出てくる曲だよな。Roger Taylor恐るべし。また4人とも主導した曲でヒットがあるというのもすごい)。
 あと内部事情的にはいろいろ煮詰まり気味のThe Worksあたりからでも、ビデオでは(乗り気でなさそうな奴も含め)4人揃ってコスプレしてたりする仲の良さが微笑ましいのだよね。
 ちなみに某SNSでコンサートに行ったことを書いたら、旧友たちも行っていたことがわかったり、他にも反応が多く、クイーンの影響力の大きさを実感した。
 まだまだ頑張って欲しいなあ。

 

<シミルボン>再投稿 『猫は宇宙で丸くなる 猫SF傑作選』中村融編

~読めば読むほど謎が深まる不可思議な存在~

 空前の猫ブームだそうである。
 ま、結構なんだが、猫だけ別格に人気がある感じだよね。どうしてそんなに人気があるのか。いやこっちは犬派とかじゃなくて、“犬”だからね(笑)。人気の秘密が気になる。
 SFでもずっと人気だよねー、猫。ハインラインコードウェイナー・スミス、ニーヴン、神林長平などいくらでも挙げられる。猫好きなSF作家も多い。
 そんな猫SF集が数々の名アンソロジーを送り出してきた安心ブランド中村融編で登場だ。どれどれ猫人気の理由を探ってみようではないか。
 前半<地球編>と後半<宇宙編>の2部からなる。
 通して読んでみると他にも2種類にわけられるのではないだろうか。
 ひとつは身近なのは友達や相棒として猫。
 ロバート・F・ヤング「ピネロピへの贈りもの」やデニス・ダンヴァース「ベンジャミンの治癒」では人と猫の結びつきを見つめる作者の眼差しが温かく猫好きの涙を誘うことだろう。特に後者は不思議な力を持った男と年を取らない猫の奇妙でちょっぴり切ない猫好き男性の琴線に触れる物語だ。ジュディ・リン・ナイ「宇宙に猫パンチ」やアンドレノートン「猫の世界は灰色」は宇宙を舞台に相棒としての猫が大活躍する。巻末のフリッツ・ライバー「影の船」は集中No.1の傑作。怪奇幻想と宇宙SFの要素が巧みに重ね合わされているが、実は酒場を舞台にした酔いどれの日常が背景にあるという多層的な構造は技巧派ライバーの面目躍如といったところだ。そして主人公のやるせない日々を支えるのが相棒猫キムだ。スタージョン作品と共に<しゃべる猫>が楽しさを増している。
 もうひとつは謎めいた存在としての猫。
 可愛いいルックスと相反する何か人間を超えた世界を感じさせる猫たち。その力で人間のいろんな騒動に巻き込む。
巻頭ジェフリー・D・コイストラ「パフ」では遺伝子操作を受けた猫、ナンシー・スプリンガー「化身」の妖しいカーニヴァルの世界と異界を結ぶ艶めかしい猫、平凡な未来の日常からスケールの大きな危機への転調が見事なジェイムズ・H・シュミッツ「チックタックとわたし」のエイリアン猫。ジェイムズ・ホワイト「共謀者たち」では動物としての猫というテーマが扱われる。意外と見過ごされてきた視点ではないだろうか。シオドア・スタージョン「ヘリックス・ザ・キャット」の猫はなんというか一種の犠牲者(猫)なんだが、しゃべったりするしイメージとしては特別な力を持つ猫といってもいいだろう。作品自体なんともいいようのない妙なドタバタ劇の傑作なのだが、猫の分類をしようとしてもはみ出してしてしまうところがスタージョンらしい。
 <宇宙編>の目玉が「影の船」だとすれば、<地球編>の目玉はこの「ヘリックス・ザ・キャット」だろう。
 さて読んで猫に詳しくなれただろうか。いやいやまずますイメージがまとまらなくなったぞ。
 身近でいて遠い謎めいた存在、愛らしいかと思うと時に怖い存在だったりもする。なんとも不可思議。
 そこが魅力なんだろう。
(えー、次は犬SF傑作選も是非!)(2017年12月17日)