異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

令和版アニメ「うる星やつら」を観て、あれこれ(1回目)

 長いこと(いやホントに長くなってしまった(苦笑)SF小説を読んでいると、アニメにはとんでもなく詳しい人が大勢いることを十分過ぎるほど感じているので、ブログで(twitterでも)言及を避け気味でここまできたところはある。
 まあ単発の映画の感想は書いてきたけど、それでもあまり突っ込んだことは書いてなかったかな。
 詳しくない上に、老害に足を踏み入れている世代が茶々を入れる雰囲気も出てしまうのも気後れする一因。
 で、うる星やつらだが周知のごとく、アニメ化され一世風靡をした作品だ。
 2020年に、大層遅ればせながら、昔の劇場版をまとめて観て当ブログに書いて、(そこの最後に記したように)あまりに80年代らしい内容であり、これでは再アニメ化は無理だろうなと思っていた。

funkenstein.hatenablog.com
 驚くことに10月から再び『うる星やつら』が始まり、まとめて映画を観た記憶がよぎり、不安要素が大きかった。
 ところが自分でも意外なことに、早速順調に消化し、毎回楽しみにしている。
 二次創作まで追ったりしている有様である(これが沼ったというやつか...)。
 まずは映像が美しい、そしてオープニング曲とエンディング曲が現代的で上手にアップデートしていることが好印象だ。
 本編の方もレトロ調ながら時代的にそぐわないところを巧妙に端折っていて大変うまくやっていると思う。
 そして様々な感想を読んだり、いろいろ動画を漁ったりしていくうちに、古い世代の感想もネットの片隅に置いておく必要があるかもなと思い、書くことにした。
 長くなってしまったので結論から書くと、昭和版より今回の方が良いのではないかという感想だ。
 当ブログ主の立ち位置はつまり<原作厨>ということだ。
 まあ<原作厨>を名乗るのもおこがましいくらいのファンで、あくまでも「わかりやすくいえば」というレベルだが。
 なにせ5話の前半「愛と闘魂のグローブ」は原作21巻収録とのことだが、全くの初見である。
 そんな人間ではあるが、原作漫画の序盤に大いにハマって、アニメ化放送をわくわくしていたのは間違いない。
 今とは時代背景が違うことはあらかじめ言及しておく(アニメを細かく観るオタクたちがようやく登場した時代、ただビデオが一般的ではない時代である)。
 人気漫画でもアニメ化されることはまだまだ必ずしも多くなかった時代、大いに楽しんで当初は観ていた。
 しかし最終的にはあまり熱心に観なくなってしまった。
 一つはシリーズが長かったことだが、最大の原因は原作と違う部分が多かったことである。
 例えば、ラムのキャラクター造形。
 ラムの代名詞となった先代に含むところはないが、声の質に寄せて原作よりマイルドでスィートなキャラクターになってはいなかったか。
 元々ラム(特に初期)はガチャガチャしたキャラクターだったはず。
 令和版はその辺りも原作に近い印象で、他にも原作に準拠しようという意図が随所に見て取れる。
 昭和版の方は後半かなり凄いレベルになっていたことを後から知ったものの、結局熱心にチェックすることはなかった。
 いくらレベルが高くても違うものは違うものだから食指が伸びない。
 そのうちに80年代が遠くなってしまい、ついには古さが気になるようになってしまった。
 (以前にも言及した気がするが、元々押井調とは波長が合わないのだ。「ビューティフル・ドリーマー」も一部リズムが自分に合わないと感じていた)。
 その中で「昭和版に比べて絵が動いていない」という感想があって、なかなかその意味が分からなかったのだが、今は便利な時代で、それも断片的に確認することができた(本来はちゃんと昭和版をOVA含め観てないレベルで言及をしない方が良いのだろうけれど)。
 そこでうっすらと昭和版での遊びの凄さの一端を知ることはできた。
 これが昭和版ファンの期待したものなのかと感じた。
 凄さでは昭和版、原作らしいのは令和版といったところか。
 しかしさすがに昭和版、内容的に時代に合わない部分もところどころに散見される。
 令和版はその辺、割とうまくやっていると思う。
 エピソードの順番は原作と随分異なるが、原作のテイストを伝えようとする意図が感じられるので、その辺り特に違和感はない。
 今回のシリーズの放送予定は4クール。原作発表時から時代が(そして常識が)変わっているので、ギャグ物は時代の変化をより受けると思から、正直まだまだ不安は残る。
 しかし、当ブログ主のように昭和版に違和感があった(多少中途半端ではあるがいちおう)<原作厨>にとっては、何十年を経ての贈り物のように感じられる令和版なのだ。
 こんな感想を持つ者もいることを書いておきたかった。

※追記 SNSに<昭和版に比し令和版の劣る点を批判する>立場から丁寧に分析するサイトが紹介されていたので、読んでみた。非常に論拠のしっかりした、詳しくないものにはありがたいサイトであった。昭和版の凄さがしっかりと分かった。それでも<質の劣る>令和版への自分の評価と昭和版への違和感は当面変わらないだろう。この昭和版の<凄さ>は、本質的に当ブログ主の求めているものと一致しないからである。この<凄さ>にはどうしても当時のスタッフの『うる星やつら』への解釈が否が応にも入ってくるわけで、それは原作とはどうしても異なるものとなる。それは令和版でも同じことだろう。しかし(一部しか観ていないので当該サイトより質の劣る感想とならざるを得ないが)、その昭和版での解釈が自分にはどうにも合わないのだ。例えば、原作「君待てども」(今回は同題)、昭和版の「ときめきの聖夜」。ラストの人気のシーンで、ラムは手編みのマフラーをあたるに渡し、部屋を温めるために先に帰ろうとする。原作ではただ帰ろうとするだけで、そんな世話女房みたいなことはいわない。そうしたシーンについて、ラムってそういうことをするキャラクターなのだろうかと疑問に思ってしまうのだ。アニメとしての質が高くてもこうした解釈への違和感が、膨大な量の昭和版を消化する気を失わせてしまうのだ。今回のアニメ化の全てに満足している訳ではない。指摘のような足りなさがあるのも事実だろう。ただとりあえず現時点では、今回の方が当ブログ主のセンスには合う。くどいようだが、こうした感想を持つ者もいるのだ。
※さらに追記 Twitterで、こうし意見もあるねhttps://twitter.com/02curry/status/1584744144617975809?s=46&t=TJcomj8EQGiVK_OYT4c6Hw そもそもアニメと漫画は違うと。実に説得力があるなあ。ただとにかく昭和版より令和版の方が好きなんだよな。それは単に同時代だからなのか。いろいろ観ながら考えていこうかな。