異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2019年12月に読んだ本、参加した読書イベント、映画も

もう年内に読み終えられる本がなさそうなので。
アメリカ怪談集』荒俣宏
 集中No.1は「牧師の黒いヴェール」。牧師が黒いヴェールで他人との間に障壁をつくってしまうというシンプルな話だけでなんでこんなに恐ろしいのか。原罪のイメージが重なられている印象があるがこれを怪奇の視点から収録している荒俣宏おそるべし。他にもネイティヴアメリカンの伝説を元にした「大鴉の死んだ話」、ヴードゥー的な「黒い恐怖」といったアメリカ文化の多様な面を示す作品を収め、ポーに関してはユーモア性の強い「悪魔に首を賭けるな」など1989年(初版)にして実に進んだ解釈のセレクションをしていてその慧眼ぶりに驚かされる。
 課題図書とした怪奇幻想読書会にも参加させていただいた。今回は三周年記念冊子もいただき、最初から参加している身としては実に感慨深いものがありました。Kazuouさん、いつもありがとうございます。本の交換会では帰りの方が体積が増えているのはなぜか(苦笑)。
『ブラック・トムのバラード』ヴィクター・ラヴァル
 ラヴクラフトの「レッド・フックの恐怖」を題材にした小説。ラヴクラフトの人種差別的な側面を巧みに反転させ、変化の著しい1920年代のNYが描かれている。非常に面白かった。音楽がポイントになるので、ロバート・ジョンソンのクロスロードの逸話を想起させるが、地域も違うし年代もそれより前くらい(1911年生まれのジョンソンはまだ子ども)。ブラック・トムの方が先で、NYからあっちこっちで似たようなことが起こってたりしてとか妄想するとなかなか楽しかったり(笑)。Supreme AlphabetやFive-Percent Nationのことは不勉強にも知らなかったので、詳しい解説もありがたかった。
ハウス・ミュージックーその真実の物語』ジェシー・サンダース
 シミルボンに投稿しました。読んでねー。
ハウス・ミュージック-その真実の物語 - 変化の激しい新しい音楽ジャンルをはじめ、生き抜いてきた人物の自伝 - シミルボン
オスマン帝国』小笠原弘幸
 ちびちび読んでいてようやく読了。600年の歴史を誇り、西洋とは違う独自のシステムで隆盛を誇っていたのだなあということがわかる。さすがに急に衰えたわけではないことも知った。オスマン帝国外伝の時代の重要人物もドラマで出てこない人もいるんだな(当たり前だけど)。

 映画、といっても1本だけ、「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」。
初めて観たのが「帝国の逆襲」(Ep4はその後に再映で劇場で観た。なにしろビデオが一般的ではない時代である)でそこから約40年経って、最終作を息子と観ることになろうとは。
 さてますは大変面白かった。少し類似のパターンでの展開が多くなってきているシリーズなので、あまり驚きを期待することはできないのだが、これだけの(期間的にも本数的にも)長尺のシリーズとなると、単一の作品での完成度といった視点を越えたニーズが生じてしまう。なので一本の作品として評価をするのも難しいが、リブートの天才(これだけオタク系コンテンツの需要が増える時代に必然的に生まれた才能だろう)JJエイブラムスの旧作ファンと新しいファンへの目配りが効いた仕事ぶりに素直に脱帽であった。元々の映像があったのか、キャリー・フィッシャーは無理なく話に加わり、見事に土台をなしていてほっとするような気がした(前作についての感想はこちら)。もちろん新世代の話にきちんとなっているところも評価できる。なかでもレイを演じたデイジー・リドリーのアクションが素晴らしい。特に場面場面での立ち姿の美しさは主役たる輝きを放っており、新シリーズをあらわす中核としての存在感は確かなものだった。もちろんアクションではカイロ・レン(アダム・ドライバー)も力強く、また少しユーモアが控えめになったフィン(ジョン・ボイエガ)、ちょっといい気なイケメンのポー(オスカー・アイザック)など魅力のあるキャラクターが並んでいた。
 カルリジアンもいい役だった。昔ちょっとビリー・ディー・ウィリアムスをググったら、あまり他の役に恵まれず悩んでたというような話があった(ような記憶がある)が、もう82歳らしいし(いやそうは見えなかったよ。若いな!)タイミングがあって、なんだか良かった感があったなあ。
 
 ということで今年のブログは終了です。今後もぼちぼち更新しますのでよろしくお願いいたします。
※ぎりぎりに読み終えた本を追記
『黄金列車』佐藤亜紀
前作「スウィングしなけりゃ意味がない」がナチス政権下のジャズ好きの無軌道な若者を主人公としていたのと時代背景は重なるものの、本作では政治体制の変動が激しいポーランドユダヤ人の没収財産の移動にあたる官僚が主人公と大きく年齢や立場が異なる。そのため全体的に前回より抑制された筆致で、次第に政治状況が流動的になるなか人々のエゴが露になっていく様子がじわじわと高まる緊張感で描かれていくところが大きな読みどころとなっている。これが実話だというのは本当に驚かされるが、数少ない選択肢の中で、人々は何を規範と考え何を選びとるのか。その重い問いかけは我々全てに向けられているのだ。

2019年11月に読んだ本、参加した読書イベント、観たドラマも

諸般の事情で読書は相変わらず低空飛行(映画も全く観ていない)

『カメラ・オブ・スクーラ』ナボコフ

 ナボコフの初期作品で、古典新訳文庫なので、解説が充実していて、本作の背景がよくわかるのだが、まだシンプルなつくりになっていて、ナボコフの好むモチーフなどがわかりやすくなっているところが興味深かった。

 あと紀伊國屋書店新宿本店のナボコフのトークイベントも参加した。ナボコフの小説における視点の移動とか、亡命作家内での評価が当初芳しくなかったことなどなど限られた時間ながらいろいろな話をうかがうことが出来て本当に良かった。

翡翠城市』フォンダ・リー

 久しぶりにシミルボンに投稿しました。

 

shimirubon.jp

『異説ガルガンチュア物語』

 ドレの挿画と詩人、アーティスト(紹介にはヴィジュアルアーキテクトとある)である谷口江里也の文章からなっている。シンプルにわかりやすくなっていたのでササっと読めた。「世界文学大図鑑」とか見るともっとめちゃくちゃな話みたいだけどねえ。

 『クネレルのサマーキャンプ』エドガル・ケレット

 『銀河の果ての落とし穴』が面白かったので、こちらも読んでみた。表題作は自殺した者たちで構成された世界での物語で、他にも意表を突く発想があったり一見平凡な日常から異様な方向にねじ曲がっていく話があったりショートスケッチみたいな小説があったり、技巧的な面と人を食ったユーモアが同居してるのが大きな魅力だ。(2019年12/8追記。映画製作にも関わっている人で、10月に来日して、映画祭もあったんだよね。興味はあったのだが忙しくて行けなかった。行っておけば良かったなと少し後悔している)

「小鳥のくる日」(1999年)

 随分前にBS12で録画した向田邦子ドラマ傑作選の一つで、以前観た「空の羊」(1997年)と母親と三姉妹の女優4人と小林薫が出てくるところが同じ上に内容的にかぶりながら少しずつ設定が違うので混乱した(苦笑)。おそらく「空の羊」が好評だったので続編的につくられたのだろう。ちなみに本作での若いダメ男は「空の羊」の西島秀俊から町田康に代わっている。いかにも向田作品らしい、とりようによっては女性への視点的にコンサーバティブな要素は否めないところがあるので、合わない人もいると思うが、設定は戦前だし非常によく構築され、最後のオチはなかなか巧みでやはり侮れない。しかし小説の方はまだ読めていないのだよね。そろそろ読んでみないとなあ。

 

 あとチャンネル銀河でオスマン帝国外伝シーズン3観ていて、そろそろ最終盤。このドラマ、扇情的なところが売りなんだけど、偉い人達の争いが、手下に対してそれこそ中2同士のタイマンレベルで「おめえ、これやらなきゃコロス!」みたいなことを言ってるのが楽しんだよなあ。一方意外なところが史実に忠実だったりしてそれもまたハマる理由なのね(一応ネタバレ回避で色変えておくけど、例えばルトフィーがシャー皇女を殴ったというのはwikiに載ってるんだよね)。それにしても、シーズン2→1→3の順番で観ているのだが、ずっと出ている主要登場人物たちがだんだん退場していって一抹の寂しさは感じたり。まあ相変わらず面白いので、シーズン4やれば観るけど。

 

2019年10月に読んだ本


まだまだ低調だな・・・(好調になるときはくるのだろうか)。
『三体』劉慈欣
 現代中国社会を反映した部分とある意味今時珍しいほど大風呂敷なファーストコンタクトSFが融合してユニークな作品になっている。ただ訳すのが大変だった事情はよくわかるところはあるものの、翻訳のタイムラグが10年以上で、微妙にちょっとずれのようなものを感じるところもある。
『なめらかな世界と、その敵』伴名練
 斬新なアイディアとツイストの多い意外な展開、SFのある意味コアであるロマンスとがかみ合っている傑作揃いで質の高い作品集だった。
翻訳家の山岸真さんからtwitterで教えていただいたのだが、巻末の「ひかりより速く、ゆるやかに」ではバリー・N・マルツバーグの「ローマという名の島宇宙」からの引用があってびっくり。ビル・プロンジーニとの共作ではバカミス方面で知られるマルツバーグだが、一方単独作での評価は正直いまいち。しかしこの作品は書けない作家の苦悩が描かれていて当ブログ主偏愛の一作である。新潮文庫のSFアンソロジー『スターシップ』に収録されている。

パラドックス・メン』チャールズ・L・ハーネス
 なかなか豪快なアイディアSFで楽しかった。未来なのに時代錯誤な決闘とかがあったり、トンデモ科学があったりして、いかにもワイドスクリーンバロック!といいたいところだが、どことなくべスターやベイリーとは違う気がするんだよね。もうちょっとユーモアよりというか。
『銀河の果ての落とし穴』エトガル・ケレット
 この作家、初読だが様々なタイプの短編が収録されていて、非常に面白かった。

 

トン・ゼー(Tom Zé)@三鷹公会堂、行ってきた

 1960年代ブラジルの音楽を中心とした芸術運動トロピカリア(Tropicália)。1990年代のカエターノ・ヴェローゾCaetano Veloso)の再評価と共に知ったのだが、そのオリジナルの一員であるトン・ゼー(Tom Zé)がまさかの初来日。やや仕事場から遠いのだが10/31三鷹に遠征してきた。
 とはいえカエターノの来日公演は観たりしていたものの(これは素晴らしかった)、一時ほどブラジル音楽を追うことがなくなってしまい、トン・ゼー自体は来日公演が決まるまで聴いたことがない状態であった。ただ情報やジャケット、本人の佇まいからして曲者っぽい匂いがプンプンしていたので気になる存在だったこともあり、早めにチケットはおさえて少しずつ音楽を聴いていた。
 iTunes等でもいろんな曲が聴けたが、さすがに活動期間が長く、はじめは今一つピンとこない感じもあったが、だんだん面白さがわかってきた。例えばこの曲。

 
 
 実にビート感覚が新しくヒップホップ以降という気がするが、アルバムEstudando O Samba(邦題:サンバ学習)は1976年である。そしてこの曲。



 はい。このヴォイスモデュレーターの使い方。やはり直感は間違ってはおらず、変な音にぶっとんだサウンド好きの人、ブラジルのひとりP-Funk、要はジョージ・クリントンに資質が近い人だったのだ。これはまさしく当ブログ主のツボにきます(まあデビット・バーンのプッシュによって再評価が進んだミュージシャンだから当然といえば当然。1980年代にトーキング・ヘッズロック系としてはいち早くP-Funkのバーニー・ウォーレルを登用していたからね)。
 さて来日公演、小さめのハコで手作り感あふれるも、ポルトガル語のわからない当ブログ主の様なオーディエンスにも優しい、日本語字幕付きかつ同時通訳の方も随所にトークを訳すというアーティストの意図を丁寧に伝えようというスタッフの高い志がしっかりと感じられるコンサートであった。時にスペイシーな詩情あふれる歌詞と真摯なメッセージ、そしてなんとも味のあるユーモア。様々な要素を持つ豊かな歌詞世界を知ることができた。
 しかも御年83歳(!!)にして元気いっぱい、サーヴィス精神は過剰なほど旺盛、もちろん派手ではないもののちょっとした演出に百戦錬磨の特異なセンスが光る。男性の良い面と女性の良い面を・・・といったメッセージがあり、ちょっと今の時代への苦言でもあるのかなと思ったら「そんなわけで女性の下着をはきます」(!?)と言って、舞台上で一生懸命ははき始める始末(これがまたベタな赤いスケスケのやつなのよ(苦笑)。このどこまで本気にしていいのやらわからない食えない飄々としたところが絶妙で、なんともサイコーな爺さんである。
 というわけでにわか勉強に近く、少々曲名の把握が甘いのだが、この2010年のライヴ盤に収録されている曲が多かった印象である。

https://www.amazon.co.jp/Pirulito-Ciencia-Tom-Ze/dp/B003P6OXM2/ref=sr_1_5?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Tom+Z%C3%A9+ciencia&qid=1572790075&sr=8-5

 あまりに熱心にメッセージを語るあまり予定より曲が少なくなったらしいのもご愛敬。なんとも自由で変、それでいて深遠なトン・ゼーワールドを堪能した。特に自由という点ではあまり類を見ないコンサートであったように思う。与えてくれた開放感はちょっと他にはないものだ。
 さて話が飛ぶが11/2にlivewireで世界の最新SF情報をテーマにトークが行われ参加した。その感想はまた書こうと思うが、チリ留学中の池澤春菜さんがデモの様子やそうしたデモの背景についてのお話もあった。軍事政権下でいかに文化が失われ、その後も長く影響を受け続けてしまうことについて、身近な問題として伝わった。トロピカリアも反軍事政権といった側面を持ち、また商業主義的な音楽への変質に対する危機感をきっかけに生まれている。トン・ゼーたちの行った運動がいかに重要であったか、そしてその意義は余裕の失われつつあるこの国でもあらためて着目すべきもののように思われてならない。

 

2019年9月(や最近)に聴いたCD、観た映画、ドラマなど

Endrecheri(エンドリケリー)「Naralien」

予想以上のどFunkアルバム。Go-goを思わせる曲など世代的にツボなものがあるが、例えばI'm gonna show U how 2 FUNKにはGeorge Clintonのソロなんかのテイストがあるとこなどセンスがシブい。言葉遊びなどにもP-Funkを十分に咀嚼していることがうかがわれ、奈良spacyな感覚がユニーク。堂本剛おそるべし。

※そういえば(DVDプレイヤーが故障していたので後から付録DVD観たんだけどやっぱりライヴカッコいいね。一度観てみたいなあ。

丸屋九兵衛さんの詳細なレビュー → https://wezz-y.com/archives/68803 コンサートかま長いというP-Funkフォロワー徹底ぶりが一番笑った。

雑誌「音楽と人」も買ったよ。 http://ongakutohito.jp/ongakutohito/  インタビューで真摯な活動ぶりがうかがわれる。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 」

  1960年代文化と映画への愛情に満ちた作品で面白かった。途中ラジオからIllustrated Manがどうのこうのという発言が流れる場面があったが、映画版がこの作品の1969年に公開されてるのでその話かな。 

https://en.m.wikipedia.org/wiki/The_Illustrated_Man_(film) 

以下のインタビューにある、ドクトロウのラグタイム読みたくなるね。 https://www.excite.co.jp/news/article/Tvfan_1198326/ 

「工作  黒金星と呼ばれた男」(2018年)

  1990年代後半以降の韓国と北朝鮮の交流事業をめぐる諜報活動を描いたサスペンス。善悪が一筋縄ではいかない世界を俳優陣がよく表現した心理劇の趣向をとっている。前半クールでスリリングなスパイものが後半にアクションになると思いきや(南北統一というよりもその前の段階の)南北交流への思いあふれるエモーショナルな展開に流れる展開、またそこから提示された解決策には、多少戸惑いを覚えなくもなかったが、いまだ終戦ではなく休戦状態にある政治的緊張を抱えた韓国映画らしい力作だ。

トールキン 旅のはじまり」(2019年)

 面倒をみる神父さんはTNGDS9のオブライエンだったねえ。まあそれはともかく。トールキンについては詳しくないのだが、割と史実に忠実なのではないかという声を複数の方面から聞いた。基本的にはシンプルな友情の物語でよくまとまっているし演出もそんなに過剰ではなく良い作品だと思う。名古屋SFシンポジウムで中野善夫さんのパネルで、中野さんが訳されたトールキンとCSルイスらについて書かれた『インクリングス---ルイス、トールキン、ウィリアムズとその友人たち』の話が出ていて読みたくなった。(基本的には映画より後の話ということで入手困難なのだが大変気になる。再刊されないかなー。この本でも映画の登場人物たちもでてくるみたいだし)。

あと何年もかかったけど、刑事コロンボ全部観終わった。最後はコロンボ・ミーツ・レイヴパーティといった内容で、昔気質のコロンボが先端の文化と出会う(でも新進のテクノロジーにも高い理解力を示し、敵を出し抜く)お馴染みの内容だが、2003年までやってたんだなあ。新シリーズの方はコロンボにいろんな服装を着せたり、あざとい演出などギミックが目立ち、嫌う人がいるのも分かるが、悪くない作品も結構ある印象。