異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

TVで観た映画(備忘録)2016年4~10月

CSなどで観た映画の備忘録

ワルキューレ」(2008年) 数多くヒトラー暗殺計画が実際あったようだが、これも実在の事件で結構きわどい(クーデター成功寸前)までいったといえるやつかな?監督はブライアン・シンガーなんだな(後から気づいた)。最後はどうしても重くなる内容だが、サスペンス映画としてなかなか面白かった。「ブラック・ブック」のカリス・ファン・ハウテンに加えワルデマー・コブスも出ていたのは意図してのことか?

リディック:ギャラクシー・バトル」(2013年) リディックと間違って録画しちゃった(笑)。それはともかくリディックのキャラクターと雰囲気は悪くなかったが、少々展開がもっさりしていてもひとつだった。

ディファイアンス」(2008年) ナチスに支配されたポーランドでユダヤ人救出を行った実在のビエルスキ兄弟を描いた小説の映画化。生き抜くために同胞からの略奪もしていたため実際の彼らの評価については意見が分かれているようだが、その点もちゃんと触れられている点など真面目な作品。ただ真面目過ぎる印象も。

TV映画リメイク版「ルーツ」(4話構成)(2016年) 全体にヴァージョンアップというか迫力が増してて凄かった。描写だけではなく、ストーリーの方もよりハードになっていたかな?素晴らしかった。北軍に追い払われそうになったピンチをチキン・ジョージが話芸で回避するところがアフロアメリカンの芸能文化を象徴している気がした。また2話ではジョン・ハンターの本が登場してちょっと驚いた。

ガメラ対深海怪獣ジグラ」(1971年) ユルい感じだが、いちおう伏線も回収されたりもしていたし楽しめた(まあ強引っぽいけどw)。ジグラの形はなかなかいいんじゃないか。

スーパーマン・リターンズ」(2006年) スーパーマン映画ほとんど観てないがなんとなくもっさりスピード感に欠けてるかな。10年経って映像の古さも気になるし(これは製作者のせいともいえないか(笑)。それから今のアメコミ映画のキャラクターが沢山出てくるにぎやかな感じも乏しく、人物関係がシンプル過ぎるようにも。この頃とアメコミ映画の潮流が変わったのかもしれない。

「イーグル・アイ」(2008年) 初見かと思ったが、後半はどこかで観たことがあったかも。序盤に訳もわからずめちゃくちゃな状況におかれるパターンはディックっぽい感じ。まあネタもそれだし。休む暇のない展開は細部は甘く似たようなパターンが繰り返されるし映像もB級っぽさが目立つもののそれなりに楽しめるが、黒幕の見栄えがもひとつ21世紀っぽくなくのはどうにも残念な感じ。

「怪獣ゴルゴ」(1961年) ロンドンを襲うというのがちょっと新鮮で映像も割と気合いが入ってる。造形も愛嬌があっていい感じだが、親子のサイズバランスが場面場面で違ってるのが気になった。

2016年 10月読了本

日本沈没小松左京 恥ずかしながら初読。意外と破滅物が苦手なので・・・(バラードの破滅物は別)。海底探査ものの要素が強いのかなあ。メカの描写が緻密で、よくこういうものがベストセラーになったなあという気もする。地質学的というか地形を俯瞰的にとらえた流れるような描写も実に巧みで、いまだに追随をゆるさないものがあるなあとうならされた。一方で女性の登場人物は当時のステレオタイプの域を出ず、全く魅力がない。そこが大きく古びた部分である。

『消しゴム』ロブ=グリエ ロブ=グリエ初挑戦『快楽の館』はピンとこなかったが、本書は面白かった。死体が見つからない殺人事件、というアンチ・ミステリ的な設定が可笑しいし最終的に理知的に謎が収束するところにもニヤリとさせられる。もっといろいろ読んでみようかな。

『短篇小説日和』西崎憲選 『英国短篇小説の愉しみ』3巻分を編集したもの。ジャンルレスの傑作ぞろいだが、選者らしくどれも幻想風味があるのが特徴。1では切れ味の良い文体スパーク「後に残してきた少女」、なんともいえないオチのハーヴィー「羊歯」、不思議な神話的世界が描かれるカーシュ「豚の島の女王」、2では美しいファンタジーのリー「聖エウダイモンとオレンジの樹」、短い中に起伏に富んだユーモアファンタジーが展開されるアンスティー「小さな吹雪の国の冒険」、執拗な男による怖ろしい心理劇ハートリー「コティヨン」、3では民話風の語り口がよいディケンズ「殺人大将」、夫婦の断絶が見事に切り取られているエイクマン「花よりもはかなく」巻末の短篇小説論考も大変素晴らしく、今後の読書の手がかりをあたえてくれる。個人的にはマン島出身のナイジェル・ニール、カリブ海と縁の深いM・P・シールやジーン・リースといった作家も気になった。

怪奇小説傑作集3』 定番にちょう遅ればせながら手をつけることにしました(笑)。当たり前だけど傑作ぞろいだった。マッド・サイエンティストものの傑作ホーソーン「ラパチーニの娘」、名高いディケンズ「信号手」、大英帝国時代の空気が感じられる「イムレイの帰還」、怪奇というより美しいファンタジーのコッパード「アダムとイヴ」などが楽しめたが、なんといっても(月並みながら)ラヴクラフトダンウィッチの怪」。正体不明の怪物たちにより世界が変わってしまうという恐怖には独特のものがあってこれは一つのジャンルなんだなあと今更ながら気づかされた(いや遅いね我ながらね)。

『この世の王国』カルペンティエール 『魔術的リアリズム』(寺尾隆吉)でも指摘されていたように、非西洋的な視点を有するというには不徹底でそのせいかドライヴ感を欠いて高揚感に乏しい。非日常的な世界も断片的に登場するのみでやや平板で惜しい感じである。

2016年7~9月読了本

諸般の事情でなかなか長い読書感想が書けない。ただ備忘録の役割も果たせなくなってきているので、しばらくはメモ書き程度でブログ記事以降の読了本の整理。

『カント・アンジェリコ高野史緒 サイバー・バロックの煽り文句も踊る、カストラートとハッキングの融合した著者らしい大胆不敵な大風呂敷が楽しい。

『ハイ・ライズ』J・G・バラード 映画公開に合わせ復刊。未読だった。裕福な人々によるゲーテッド・コミュニティで人間が変容していくという80年代後半以降の『殺す』『コカイン・ナイト』『スーパー・カンヌ』などに直結する作品で、非常に重要な位置づけの作品だと感じた。渡邊利道氏による的確な時代感覚によるパースペクティヴな社会論・文学論をベースにした作品解説も大変ありがたい。映画も抑制的な美術センスが光っていた。

『テレビの黄金時代』小林信彦 テレビが熱狂的な人気を誇っていた時期の偉人とされている永六輔大橋巨泉が亡くなったが、世代的に70年代後半くらいからのテレビしかしらないので、いったいどういう人達だったのか今一つわからなかった。芸能に関するノンフィクションでもクールな筆さばきを見せていた小林信彦がその時代について書いている本書のことを知り購入し読んでみた。60年代あたりの有名タレントや番組とその裏側を一歩引いた視点で時系列を注意深く確かめながら記述している点がよく、アメリカの映画やTV番組を下敷きに何をやろうとしたのかなど興味深かった。もちろん著者流の切り口ではあって、人の好き嫌いははっきりしているし、またテレビに漫才ブームが根深い悪影響を及ぼしたと考えているようでもある。終盤には少しだが80年代以降のバラエティへの言及もあり、SMAP×SMAPも載っていたしりして、今再刊するとちょうど良いのではないだろうか。

『死の鳥』ハーラン・エリスン "Deathbird Stories"の全訳(あるいは抄訳)ではなくベスト短篇集であった(正直失望した。長年の洋書初心者にも関わらず"Deathbird Stories"を果敢にも全部目を通したことがあり歯が立たなかったので翻訳で読みたいと常々思っていたからである)。エリスンについては激しいパッションが特徴で、現代の作家ではバチガルピと相通ずるものがある気がする。個人的には波長の合う作品と合わないものがあるのも事実で、文体のカッコいい「竜討つものにまぼろしを」、冴えない男の思いがストレートに描かれる「プリティ・マギー・マネーアイズ」、アーブーに涙「死の鳥」、ニューヨークの孤独が背景に感じられる暴力的な「鞭うたれる犬たちのうめき」、少々ラファティを連想させる「ジェフティは五つ」といった辺りが印象に残ったが、ところどころついていけない部分もあった。ただ文章の切れ味は圧倒的で、鏡明氏がlivewireのイベントで「古びていなくて安心した」とおっしゃっていたようにいまなお読者の心を揺さぶる力を持っている。

七色いんこ手塚治虫 コンビニ本。こういう演劇ネタの話だったのか。

『青い鳥』メーテルリンク 火や水や光が主要キャラクターだったりする抽象度の高い内容で途中にはスペイシーな展開もあるなどかなり想像していたのと違っていてかなり驚かされた。なんでも読んでみるもんだなあ。
(偶然鳥の本が続いたぞ(笑)

トーマの心臓萩尾望都 これも恥ずかしながら初読。おっさんが読むとなかなか眩しすぎるものがあるなあ(笑)。でも面白かった。こういう男子寮ものってどれくらいの系譜まで遡れるのかなあ。

『エターナル・フレイム』グレッグ・イーガン 物理の数式のところはさっぱりな読者だが、架空の科学史として非常に面白い。また過酷な運命を背負う種族たちの苦闘ぶりとそれにも関わらず社会が協力しきれないところあたり人類の諸問題を連想させる。続きもまた楽しみだ。

『パパラギ』 本を整理してる途中で見つけたので読んでみた。西サモア酋長の演説という設定で白人が書いた一種の偽本だった。今は許されないだろうねえ。1920年に何らかの義憤に駆られて西洋文明批判本を書いた著者の気持ちは時代も随分昔だし理解をしてもよいが、それから60年近くたっての1977年に(内容を知りつつ)再刊した人々の意図には不純なものを感じざるを得ない。推薦文を書いた遠藤周作谷川俊太郎浅井慎平らも罪を免れるとは思えない。

劇場で観た映画2016年5月~10月

 これまでTVで観た映画も書いていたのが嘘のようにものぐさになり、気づいたら既に5月から観た映画についての記事を書いていないぞ。このままでは備忘録の機能も果たせないので慌てて箇条書き。

「プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムス」 Prince急逝に伴う上映で初見。一番好きな時代なんだけどなんとなく観ていなかった。人気絶頂向かうところ敵なしだったThe Revolutionを突然解散、個人名義でアルバム"Sign of the Times"を発表しその時の少しだけドラマ仕立てになっているライヴ映画。急造に近いと思うバンドだということを微塵も感じさせないクォリティの高さに圧倒される。特に素晴らしいのがShiela Eで、ドラムにダンス躍動感あふれるパフォーマンスに目を奪われる。数多いる殿下配下の女性ミュージシャンのなかでも別格の存在であることがわかる。死のショックが癒えない時期の上映で、殿下へのファンの思いが劇場に一体感を生み素晴らしい雰囲気だった。終了後は涙があふれた。

「Bad Brains/Band in DC」 上記の「プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムス」と同じく渋谷HUMAXシネマだったかな。グループの影響力の大きさと平坦ではなかった道のり、奇行は目立つが替えのきかないフロントマンHRと周囲のあつれきなどが印象に残った。生で観たい気もするがその時のHRの状態で楽しみるかどうかは賭けに近い感じかもなあ。

「ハイ・ライズ」 原作を読んでから観た。原作自体は1990年代の「楽園への疾走」「コカイン・ナイト」「スーパー・カンヌ」などに通じる閉鎖したコミュニティで人間の行動が変容していく作品群に直結する内容で、映画も原作に基本的に忠実。わかりやすくするためにトビー少年の視点が生かされるのも「太陽の帝国」を思わせ、非常に原作のエッセンスを上手く抽出している印象。特に感心したのはヴィジュアルで、原作が書かれた時代らしい建築や小道具のデザインに寄せていることで、これはなかなか大変だった思われるが(ただ単に当時の再現をすると現代から見ると変なものに映る可能性があり、現代的にアレンジされた1970年代中盤という難しい線)、原作の雰囲気を損なわないことに成功している。

そして黒沢清2本。去年「岸辺の旅」があって、さらに今年も2本。ファンとしては嬉しい限りである。
「クリーピー 偽りの隣人」 サイコパスに詳しい元警部が対処にあやまり重傷を負って、転居し大学教授になっている。ある日過去の未解決事件の謎を解明するように部下に持ちかけられる。一方転居先の隣には奇妙な親子が住んでいた。いわゆるミステリなんだけどところどころに現れる黒沢清らしい空間描写がたまらないんだよなあ。特に何気ない日常の中におぞましい空間がいきなり顔の覗かせるところの恐ろしさといったら!香川照之の演技も凄い。

「ダゲレオタイプの女」 全編フランス語、スタッフもフランスで選抜ということでフランス映画。不勉強ながらダゲレオタイプというのが古典的な写真技法だということを知らなかったのだが、それを使った写真芸術家のところにアルバイトで採用された若い男が次第に芸術家の過去を知っていくという話。結局どこを切っても黒沢清という作品だった。芸術家の娘を演じるConstance Rouseauがミステリアスな美貌で非常に役にマッチしていた。同じ姿勢を長時間保ち、美しい写真に永遠を封じ込めるという技法へこだわりを見せる芸術家の偏執には映画を撮ることに対する視点がオーヴァーラップしている感もある。またミイラ取りがミイラになるといった構図はく「クリーピー」とも重なる。これまた面白かった。

※三つも忘れてたんで追記
ズートピア」 難しいテーマをハイレベルの映像とストーリーで自然にまとめられていることに驚かされた。評判通りというより評判以上、特に後半の展開は良い意味で予想を裏切られ、素晴らしかった。(本当に人種差別的なところの深い問題まで踏み込めているのか、という意見も見たがそこは商業ベースとして成功させているところがOKと考えてしまう。根が俗物なのかもしれない)

「MR.DYNAMITE」 パンフレットにもあるように重要な70年代までを焦点にしたJBのドキュメント。効果的にライブ曲を挟みながら歯切れのよい編集されていてよかった。今後JBを知りたい人にスタンダードなりうる内容。プロデュースに同時代のミック・ジャガーがいるのでリスペクトしながらネガティヴな面も紹介されバランスもよい。伝説化されたタミー・ショウの裏側を話すミックのチクリとやりつつ負けを認めているところにそれが現れていた。ミックは初ソロのミュージックビデオタイアップお遊び的な映画Running Out of Luckでも遭難した言葉の通じない国で自分と気づいてもらうためにレコード屋でセルフモノマネをするシーンがあったが、今回も思いきりJBと比較映像になってて、そのあたりの分かってる感がいい。

スーサイド・スクワッド」コミックの方の予備知識はなし。もう一段クレイジーな展開を期待していたところもあったが、まあ楽しめた。うーん評判は芳しくないのも似た路線の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」をTVで観た今はよくわかるけどね・・・。

丸屋九兵衛さんP-Funk関連トークまとめ(後半)

 さて後半。こちらはトークショーの話になるが、実際はBIBLIOPHILIC & bookunion 新宿(以下union)が中心で下北沢B&B(以下B&B)でのはちょっとになります(諸般の事情から)。(例によって※印はブログ主の感想、間違い等あればご指摘を)
 Bootsyの話。まず1988年のアルバム"What's Bootsy Doing"の曲を聴きながら(※当ブログ主にとってもBootsyを知った、いやP-Funkを知った思い出深いアルバムなんだよなあ)。
'Party On Plastic'
www.youtube.com

「時間がねじくれて圧縮されたような魅力」また「Shake that floppy discの歌詞が時代を感じさせる」。「初めて打ち込みに取り組んで少し音作りに少々無理がある面も」とも("The Lord giveth and the Lord taketh away"以来6年ぶりにだったのかな?当初は相当聴きまくった当ブログ主だが今では少々力が入り過ぎていたという印象があるかな)。このアルバムは結構日本でも話題になっていたと思うが、丸屋さんが苦言を呈したようにBootsyのオタク的センスへの注目は弱かったよなー。これなんか完全にゴジラのパロディでラドンまで登場するのにね。

 この一枚前1982年"The Lord giveth and the Lord taketh away"について。タイトルは聖書ヨブ記 "The Lord giveth and the Lord taketh away(主は与え、主は奪う)"からだそうで、またこのジャケットのように岩に突き刺さったベースを引き抜くというアーサー王をモチーフにしたアルバムでもある。
(といってもこの写真だけじゃわからないかも…)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/86/The_One_Giveth,_the_Count_Taketh_Away.jpg

 あとこのThe OneはJBがFunkの基本としたThe Oneでしょうね。
Soul Deep - James Brown - The one - YouTube
このアルバムには前記した曲Countraculaも入っている。また1曲目"Shine-O-Myte"はDynamiteのシャレ(※他にもダジャレやネタ満載らしい。音的にも評価の高いアルバムだが、ちゃんと聴き直さなければ)。
 

 さてParliamentの各アルバムについて。カッコ内の数字は発表年。当ブログ主P-funk好きにも関わらずストーリーはよくわかっていないので、トークショーの内容だけではなくbmr 2011年5月号の特集AFRO-FUTUREでの丸屋さんの親切な「読解! Pファンク・ストーリー」を一部参照しながら書いた。(※またP-funkメンバーのBlackbird Mcknightの日本語ブログも英語ネタや元ネタを紹介していて日本人にはありがたい。なぜ日本語ブログなのかというと奥様が日本人だからである)

1."Osumium"(1970) まだこの頃はコンセプトはなく、サウンドも試行錯誤の段階で話題も少ないのだが「再発の時"Rhenium"になり曲数が増えているのに原子番号が減っている」(Osmium原子番号76でRheniumは75)という丸屋さんらしい細かいツッコミに笑った。

2."Up for the Down Stroke"(1974) サウンドはかなりまとまり、タイトル曲は強力なファンク。ただ歌詞はget up for the down strokeを繰り返すのみ(※たしかに)でまだGeorgeらしいコンセプトはまだない。またタイトル曲はOhio Playersっぽいとも(ちなみに自伝ではOhio Playersに対して辛辣な記述がある)。

3."Chocolate City"(1975) ようやくコンセプトが前面に出る。Chocolate CityとはWashington D.C.が合衆国の首都であるにも関わらず、黒人の比率が高かったため(現在は50%ぐらい)。White Houseとの対比でもあり、郊外には白人が住んでいたためvanilla suburbsと呼ばれたりもしたようだ(歌詞にも出てくる)。当然ブラックミュージックも盛んで、当時はメジャーでなかったレコードを安く買って集めていたのがアトランタレコード創始者Ahmet Ertegun。外交官の息子だからWashington D.C.にいたわけで巡り合わせの妙。D.C.とC.C.のダジャレでもある(※この辺りはB&Bで詳しく話があり、人口比率については円グラフも登場。現在は変化しているようだが、白人の比率が非常に低かったことと大学が多くスポーツの盛んな大学があったことから若い白人はスポーツ推薦に違いないと思われていたという話があった。が、詳細については失念してしまいました失礼)。さてアルバムタイトル通り、ブラックカルチャーの偉人たちでホワイトハウスを乗っ取るという歌詞(※今でこそ偉人たちだが現役バリバリの20~40代の若い人たちで、オバマ大統領が登場した現代には理解しがたいぐらいの思い切ったアイディアだったと思われる)。あと2曲目"Right On"もいい(※同感)が、実はコンセプトといえるのは最初のタイトル曲だけなのが惜しい(※同感)。Screaming Jay Hawkinsみたいな曲もある(※"Let Me Be"だったかなー失念)。

4."Mothership Connection"(1975) Parliamentの代表作であるこのアルバムでGeorgeの本領が発揮。まとめ前半に触れた『アウターリミッツ』をパロった導入でchocolate milky wayからきた(いかにもドラッグを連想させる)Lollipop manことThe long haired suckerによる宇宙放送局WEFUNK(アメリカのラジオ局にありそうなネーミング)が地球のラジオ局を乗っ取ったということが示され、Starchildも登場しファンク欠乏症で危機に陥ったこの世界をファンクで救おうというメッセージが提出される(しかしこの後のアルバムからThe long haired suckerとStarchildが一緒になってしまい、The long haired suckerは出てこなくなってしまう) 。(※ちなみに1975年に"Chocolate City"と一緒に出て、サウンドもコンセプトも急進化を遂げていることに軽く衝撃を受けるね)

5."The Clones of Dr. Funkenstein"(1976) このアルバムではマッド・サイエンティストのDr. Funkensteinが登場。この曲"Dr. Funkenstein"のライヴ・アルバム"P-funk Earth Tour"(1977) のヴァージョンが凄い。丸屋さんご指摘の通り基本的には単純な曲なのだが観客の盛り上がりが尋常ではなく数あるポピュラー音楽のライヴ・アルバムの中でも特筆すべきものだろう(※個人的に最も好きな曲である)。

www.youtube.com

"Whoa!
They say the bigger the headache, the bigger the pill, baby
Call me the big pill
Dr Funkenstein..."
というこれまたいかにもドラッグを思わせる歌詞から始まり
"Microbiologically speaking
When I start churnin', burnin' and turnin'
I'll make your atoms move so fast
Expandin' your molecules
Causing a friction fire
Burnin' you on your neutron
Causing you to scream
'Hit me in the proton, BABY!'"
と(SFファン大喜びの)実にアヤしげな科学用語を使ってかつセクシャルな(しかも必ずしもビッグヒットがあったわけではないグループ)
の歌詞を観客が元々知っていて大合唱しているシチュエーションには本当に驚かされる。(この下りを空でいえる丸屋さんはGeorgeに感心されたそうだ。そりゃそうだ)。

そしてDr.Funkensteinのキャラクターを足がかりに、<フランケンシュタインの花嫁>にちなんでThe Brides of Funkensiten(ガールグループなので複数形)も結成、アルバムも出す。

6."Funkentelechy VS. The Placebo Syndrome"(1977) placebo syndromeは偽薬効果(placebo effect)からきているようなのでまあわかるが、Funkentelechyはどうやらentelechyからきているようでなかなか難しい。ともかく本アルバムでは実際のplacebo effectとは違い、ファンクを失わせるものらしい。ここで人気の悪役Sir Nose D'Voidoffunkが登場(devoid ofのシャレ、ファンクを欠いているということ)。ファンク度をアップするBop gunというStarchildの武器も出てくる。アルバムについているコミック(※紙ジャケボックスの『カサブランカ・イヤーズ』にもついていた)にはStarchildとSir Noseの決闘の場面がある(背中合わせで何歩か踏み出し振り向いて撃つという例のやつだが、Starchildは実は後ろにも目があるという全然公平じゃない戦い(笑)。そもそも代表曲の一つ素晴らしい"Flashlight"が眠りたいSir Noseを正義(のはずの)方がライトを使って眠らせないという話(まさしく「タケちゃんマンブラックデビル並」)。(※一方で曲"Bop Gun"には公民権運動のキイワードWe shall overcomeやサビにendangered species絶滅危惧種なんていうアイロニカルな言葉も忍ばせているのだからGeorgeはおそろしい。クールさとユーモアが同居してるんだよね)。

7."Motor Booty Affair"(1978) 映画ジョーズのブームにあやかったのか、George今度は海だ!となったのがこのアルバム。開くと中にキャラクターや海中都市(アトランティスらしいが 1曲目"Mr.Wiggles"には『オズ』らしいエメラルド・シティも登場している)のイラストを切り取り線に従って抜くと立ち上がるようになっている変形ジャケットで完成するとこんなになる!(再発の紙ジャケットのもののようだが、元々こうだった様子。LPでも同じような作りの画像があったので。ただLPはもったいないらしく全部切り抜いた画像がなかった。当ブログ主だって再発の紙ジャケでも切り抜かないよ(笑)

http://arbyess.tumblr.com/post/90292975877/bonkers-pop-upcut-out-artwork-to-parliaments
arbyess.tumblr.com

(※変形ジャケットが出せるようになったのは、Parliamentのポジションが社内でも認められるようになったことなのかな)
上記bmrによるとストーリーとしてはファンク・パワーによるアトランティス浮上計画というのが背景らしい(※変形部分に隠れているのだがアルバムの見開きに大きめの字で'WE GOTTA RAISE ATLANTIS TO THE TOP!'と書かれている)。泳げないSir NoseはRumpofsteelskin(ランプオブスティールスキン。ここの3枚目の赤いやつっぽい。じゃその次の写真の黄色いヤツは誰なのかな。rumpが尻で鉄の肌だから、黄色い方がそれっぽい気もしたりして・・・)と組んで、一方Starchildが組んだのはDf.Funkensteinの海中用クローンMr. Wiggles(こんな感じ。ググったらエル・マルヤッチが引っかかったというあまりに当たり前な展開(笑)。トークショーではPsychoalphadiscobetabioaquadoloop!と"Aqua Boogie"のサビを皆に合唱させる丸屋さん(笑)。水責めにされ苦しむSir Noseも最後には快感を覚えるようになり"Aqua Boogie"をちょっと踊ってしまうというかなりM的な展開(笑)。さらに泳げない黒人というのはステレオタイプのイメージを使ったのでは。またジャケットの黄色い鳥、曲の方では鳴き声はカラス。神話からきたのでは、と丸屋さん(※神話のところはちゃんと覚えていない。今ざっとググったところ八咫烏とつながりがあるらしい中国の金烏やギリシア神話アポロンのカラスが元々は金の羽を持っていたなどが引っかかってくるので東洋西洋いろいろありそうだ)

8."Gloryhallastoopid(Or Pin the Tale on the Funky)"(1979) 宇宙に回帰。それどころか最も本気に宇宙な内容。副題はpin the tail of donkeyという目隠ししてロバのしっぽをつける福笑いのような遊びからきているそうだ(※だからロバなのか)。↓
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1275865/Safety-fears-hit-sales-pin-tail-donkey.html

1曲目のPrologueに登場する
"Quarks, gluons, red giants, white dwarfs, big bang..."
giants, dwarfはファンタジーのそれではなく赤色巨星白色矮星と(※歌詞というより語りだけどこんな内容だったのか。これまた気づいていなかったSFファン失格じゃのう)。他に"The Big Bang Theory"に"Theme from the Big Hole"と宇宙ネタが続く※全然関係ないが当ブログ主が大好きなLabelleにも"Black Holes in the Sky"(アルバム"Pheonix"収録)という佳曲があるぞ!)。ただGeorgeが歴代No.1と評したGlenn Goins(※1978年にわずか34歳で悪性リンパ腫で逝去)を失って、ヴォーカルがマイクスタンド交代のSly&The Family Stoneのようになったのが弱くそのためインストの"The Big Bang Theory"がかえってよく感じられる、とも。またシンセベースとハンドクラップが使われるところで、当時のハンドクラップがまだ本当にハンドクラップをして録音されていて話も出た(※Zappだったか誰か失念してしまったが、ハンドクラップ用の録音部屋があったらしい)。一番面白かったのは中についているコミック。まだfunkyになっていないSir Noseに外部装着型の<つけ尻>をつけてfunkyにしちゃうという話(※細かい点は失念ご容赦。上記bmrによると敗北を悟ったSir Noseが身につけてもらったという展開だったようだ。またtwitterのやり取りで「尻が大きくなってfunkyのイメージなのでは」との指摘をいただいた。なるほど!ありがとうございました!)

9."Trombipulation"(1980) 今のところParliamentの最終アルバム。前作でめでたくfunk化したSir Noseがいよいよ主役の座に。「なぜSir Noseが大きな顔をしているのかわからない・・・」とその昔頓珍漢なことを書いていた有名評論家がいたとか(※当時それ読んでた・・・)。ちなみに内袋はこんな感じ。
http://hilobrow.com/wp-content/uploads/2011/07/trombipulation_sleeve_egyptian_detail8.jpg
 ジャケットとこれがあって分からないのは某音楽評論家はちゃんと見ていなかったのか、と丸屋さんから厳しい一言(※おっしゃる通り)。で1曲目"Crush It"にはより声の歪んだ踊りまくりのSir Nose Jr.(Bootsyのようだ)が登場。ジャケットの通りエジプト全開な内容。Sir Noseのルーツが古代エジプトを支配していたfunkyなCro-Nasal Sapiensであることを知る。自らのfunknessをあらためて自覚するSir Noseなのだった。タイトルはmanipulationからきたのではないか、との指摘(※象の鼻trunkをmanipulateするという話が出たような気がするがこれまた詳細は失念失礼)。(※このアルバムは評価が冴えないが、個人的には好き。このサウンドから低予算でしのぐGeorgeのソロにつながるものが感じられるんだよね。その粘りがあっての再評価だと思うので)

 ということで個々に有名な曲はあってもアルバムとしての評価は一般的に"Motor Booty Affair"辺りから芳しくない気がするんだけど、実は後半のアルバムの方がコンセプトや歌詞の面白さが増すんだね。汲めども尽きないとはまさにこのことで、もうちょっとしっかり歌詞を聞いてみなきゃと思った。丸屋さんありがとうございました。