◆『ホット・ゾーン』リチャード・プレストン
世評高い本書だが、やはり抜群に面白い。予備知識少なめで読み始め、アフリカの感染拡大の話が中心かと思ったら、それは一部で、むしろ迫真性が感じられるのはアメリカ本土での研究施設のパートであった。著者がアメリカ人だから当然といえば当然。いずれにしても<見えない敵>であるウィルスをとらえ封じ込めるのがいかに危険と困難を伴うかが、ウィルスの背景や立ち向かう専門家たちの人間ドラマ(パーソナルな家族への思い、専門家同士の衝突)まで描出され(実際ドラマ化されたらしい)、一気に読み進めることができる。読んだのは再刊のものだが、原書は1994年に刊行、終盤のエコロジー的な視点は後代の類書への影響も推察される。また単に読むのが遅れただけではあるが、コロナ禍以降の現在からみると感染疑い例における診断技術の大きな差(現在の進歩)を結果的に確認できた。本書での専門家たちの知力・体力を尽くしての奮闘ぶりには頭が下がるが、一方でトランプ政権になりCDCやWHOの活動に障害が生じていることには暗澹たる気持ちにならざるを得ない。全く関係ない部分に言及すると、日本で英国料理に関するネガティヴな視点が一種ミーム化してさすがに失礼なのではという苦言すら見た記憶があるが、アメリカ人の著者も本書で英国料理についてさらりと懐疑の念を表明している。
◆『あ・じゃ・ぱん!』矢作俊彦
表記、ブクログだと上巻が『あ・じゃ・ぱん!』で下巻が『あ・じゃ・ぱ!』になっているのが面白いね(実際には”ん”と”!”が融合しているので正直正確な表記は不可能なのだが)。丸屋九兵衛さんイベントで本作を丸々一回分特集する企画があり、慌てて読了。
https://peatix.com/event/4384201
改変歴史ものの傑作として名高い。昭和世代としては記憶に残る人物や団体や出来事が次々と登場し、実世界とは別な顔を見せていくのが楽しい。作者の本領であるミステリ的な要素もしっかり取り込んでいて、かなり破天荒なエピソードにあふれながらも全体のつくりとうまく拮抗している。個人的に一番楽しめたのは文体。日本ルーツもあるアメリカ人の独白体に次々と日本語の様々な言い回しが挿入され不思議なユーモアとリズムを醸し出している。
◆『ニューロマンサー』ウィリアム・ギブスン
今月の名古屋SF読書会に向けて。読むのは3回目。刊行時に全く歯が立たなかったのに(自分よりSFマニア度が低いはずの)周囲の絶賛にすっかり自分のセンスに自信を無くした因縁の一冊である。2読目では楽しむ手がかりをつかみかけたが、過剰なガジェット趣味が80年代の悪しきノリを想起させる部分が気になった。今回ようやく普通に読めるようになった。全体のフォーマットはデフォルメされたハードボイルドで、その類型ぶりは時にユーモアすら漂わせている。コミックやアニメが似合うセンスだ。説明を省き、どこで何が起こっているのか分かりにくい表現は、人工物と生命あるいは社会構造と人間といった対立構造の垣根が消えてしまった世界を描こうとしているからだろう。40年経過しているのに場面場面のカッコ良さは現在でも消えていないのは特筆すべき。個人的にはラスタファリアンの描写が面白かった。
◆『おぼえていないときもある』ウィリアム・バロウズ
『ニューロマンサー』を再読し、影響が気になったので、積んでいた本書を読むことに。ジュディス・メリル『年刊SF傑作選』に浅倉久志訳「おぼえていないときもある」が収録されたことから、山形浩生と柳下毅一郎がバロウズに興味を持ち、ひいてはバロウズ紹介に大きく関わった。そこで「おぼえていないときもある」の入った短篇集を記念碑的に全訳することになったという本である。中身に関してはやはり難物だなあと感じるものの、一つ一つが短いしところどころSF的なイメージが入るなど少しとっかかりがある作品も目立つ。なかでも「紫イイヤツやってくる」はミラーグラスや猿の脳に電極を刺す実験が登場し、『ニューロマンサー』への影響をうかがわせる。
以下例によって雑誌は気になったもののみ。
◇紙魚の手帖 vol.18
○フィクション
「子どもたちの叫ぶ声」レイチェル・K・ジョーンズ
スクールシューティングをダークファンタジー化した作品。あまりに重い問題であり、作品化の野心には敬意を表するものの、非日常的な要素が必ずしも効果を上げているとは言いがたい。
○ノンフィクション
・人間的な、あまりに人間的な 二〇二〇三年ヒューゴー賞騒動 古沢嘉通
2023年の成都ワールドコンで話題作『バベル』がノミネートされなかった問題についての詳細なレポート。どちらかというと開催者側が中国当局に目をつけられないように検閲を行なった可能性が疑われているようだ。実際には大英帝国の横暴への抵抗といった側面の強い作品だったことが翻訳刊行後の今ではわかるわけで、自粛といった行動の根深い問題が感じられる。ともかく貴重なレポートでありがたい。
◇SFマガジン2023年8月号
○フィクション
「筋肉の神に、敬語はいらない」ジョン・チュー
スーパーヒーローが現代的にアレンジアレンジされているのが面白い。
「宇宙の底で鯨を切り裂く」イザベル・J・キム
宇宙を海に例えるのはそれこそ1940年代のSFからあったのではないかと思わせるが、乗員の死んだ世代宇宙戦を鯨に見立てるというのはなかなか新鮮。しかも視点はそれを回収する業者側で、乗組員が万が一生きてても殺処分する厳しい世界を背景としている。
「魘魅蠱毒」パク・ハル
呪術師が不穏な噂を広め、処罰される。対応に苦慮する県監は。スチームパンク李氏朝鮮ものという『蒸気駆動の男』は以前から気になっていたがその一篇。なるほどこれはダークホラー調で良いね。やっぱり読もうかなあ。
この3作家、順に台湾出身アメリカ在住、韓国系アメリカ人、韓国作家とSF方面で東アジア系のプレゼンスの高さが目立つ。作風も多様化しているようだ。
○ノンフィクション
・SFのある文学誌 長山靖生
この回は大下宇陀児(うだる、と読むのね不勉強にも知りませんでした)。甲賀三郎、海野十三、そして大下宇陀児は理系学歴のある作家なのね。プロレタリア文学系評論家の平林初之輔による変格物探偵小説への批判というのがなかなか歴史的に面白く思える。
◇文藝2020年春季号
特集 中国・SF・革命
○フィクション
「宇宙の春」ケン・リュウ
遠未来、大きく変質した地球と人類の運命を描く。壮大なイメージが物理的な建造物と連関していくあたり、長く残る建造物を有する中国文化ルーツを感じさせるがどうだろうか。
「ツォンパトリ」佐藤究
既に人気作家になっているが読みのは初めて。病魔に侵された晩年の孫文が、入り組んだ世界情勢の最中に日本渡航した際に講演したという史実がベースとなっている。後半にこの不思議なタイトルのものが登場して広がりが生じるところ、実際の歴史で講演のテーマだった「大アジア主義」をずらせるかたちで描いているところがポイント。他の作品も読んでみたくなるのと孫文にも興味が湧いてくる。
「移民の味」王谷晶
近未来餃子青春小説。安定した筆捌き。うまいねえ。
「最初の恋」上田岳弘
中国とのプロジェクトで長春に行くことになった主人公が過去の出来事を思い出す。掌篇でスケッチめいた作品だが、現代の社会が反映されているところなど悪くない。
「盤古」樋口恭介
SFマガジンにもたびたび掲載されているSF分野の作家でもあるので、数作読んでいるが、本作が一番読みやすかった。伝統的な日本文学的な題材にSF的な視点を盛り込んで行くというスタイルがスムースに融合している。
「村長が死んだ」閻連科
ある村の村長が亡くなった後の騒動が描かれる。村長の実像など次第に明らかになる、諷刺性の強い作品。面白かった。
「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」ジェニー・ザン
白人男性がこれまで何度も没にされてきた詩を中国人風の名を使ったら(何回か没の末だが)ある雑誌で掲載されたという問題を軸に、白人男性視点が優位な米国文学界で、表現者として人種差別的偏見にさらされる状況を静かに訴えるエッセイ。いまだに変わらぬ問題に暗澹たる気持ちになるが、示唆に富む内容である。
「食う男」イーユン・リー
大きく変化する時代の波を生き抜いた祖父をめぐって苦い思い出と共に回想が綴られる。食に関するエピソードの空腹感や嗅覚などの臨場感を通し、激動の中国現代史が浮かび上がる秀逸なエッセイである。
○ノンフィクション
⭐︎特別企画
・対談エトガル・ケレット×西加奈子
・エッセイ ぼくはアンチ・イスラエルなのではなく、アンビ・イスラエル
エトガル・ケレットは(まだ沢山読んでいるとはいえないが)好きな作家(TH No.81で『銀河の果ての落とし穴』のレビューを書かせていただいたこともある)。イスラエルの作家ということで、政治的な立場を明確にするように強いられる苦悩、それをユーモアで乗り越え表現活動をしていく意志が、対談および短めのエッセイで表明されている。ともすると不明瞭と批判を受けることもある道を選んでいるともいえるが、ある種の固い決意でもあろう。
◇たべるのがおそい vol.2
〇フィクション
「遅れる鏡」ヤン・ヴァイス
過去に読んだのを忘れていたが再読。人工的な劇場と時間が遅れて反射が映るイメージが印象深い。とはいえ詩的な要素の強い部分は再読でもとらえきれなかった。
「回転草」大前栗生
映画の西部劇などで乾燥した地面を転がっていく<回転草(tumbleweed)が主人公ということで、これは意表をつかれたと思い身を乗りだした。ただまあ思いの外、飛躍の程度は中規模ほどで止まった印象。
「ミハエリの泉」四元康祐
生々流転といつのだろうか。時代を超え、種々の出来事や人物を通し物質がめぐっていく様が表現されている。
「カウントダウンの五日間」アンナ・カヴァン
進歩的な教育制度を断行した学長が学生運動に直面するという近未来SFめいた設定だが、<超女性>とされるこの学長の神話的イメージが鮮烈。
SFセミナー2025年にも参加しました。『伊藤典夫評論集成』が飛ぶように売れる、異空間でありました(笑)。新しい知り合いもできました。また名古屋SF読書会にも参加することになりました。刺激を受け、5月は本の購入が増えてしまいました。削減に成功しつつあったのに…(苦笑)
終了後、読書仲間の皆さん(<ざっくりにもほどがある)と旧交を温めました。2024年はいろいろあり、こうしたこともご無沙汰だったのでちょっと感慨深さもありましたね。おつきあいくださった皆さまありがとうございました!