で、本作をテキストにした岡和田晃さんによるSF乱学講座も聴いた。
sfrangaku.okoshi-yasu.net
実に貴重な資料が沢山提出され、内容に関する踏み込んだディスカッションもあり、時代背景など実に参考となる部分が多かった。やはり山野浩一は今日的な作家なのだよね。一部資料に「SFの本」(1980年代の半商業誌)があって高校生時代の自分が偶然載っているという笑劇の場面があったのもご愛敬(苦笑)。
◇『ルパン三世傑作集』モンキー・パンチ
山野浩一『レヴォリューション+1』を読んで、ジェリー・コーネリアスがまた気になってきて、実はルパン三世に似てるのではないかと思い、あたってみた。まずは思っていたより、ルパン三世や主要キャラクターがアニメとズレが少ない、つまりアニメが原作に忠実だったということ。フォーマットがほとんど固まっていたということで、モンキー・パンチの偉大さがわかる。あとはタッチの洗練ぶりに目を引かれる。全く古さがないのだ。こういうを楽しむのにはkindleだと限界があるなあ。
◇『日本SF短篇50 1』日本SF作家クラブ編
さて時の経過を考慮するとどうしてもいわゆる日本SF第一世代の作品には違和感が強くなる(特にボーイズクラブ的ノリが)。というわけで、そうした視点から以下の感想に。
「墓碑銘ニ〇〇七年」光瀬龍
男性視点による"浪漫溢れる"宇宙像は背景にマチズモをどうしても感じさせてしまう。不思議と少年たちが主人公の「決闘」にはその欠点が隠される印象なのだが。
「退魔戦記」豊田有恒
当然日本SF第一世代の作品なので、プリミティブなのは当然で、原型としてどう評価をするかということなのだろうが。とはいえ現代語口調と思考の鎌倉時代の人間とか、単純な"外から脅威"へ対抗するための歴史改変とその侵略によって改変された未来を"異常"ととらえて修正しようとする未来人とかあまりにも思考実験として素朴過ぎる。現代の作家だともう少し違った処理をするだろう。それから出てくる女性キャラの取ってつけた感がまたアレだし…。あと少し思ったのは「モンゴルの残光」も似たような話だったが、本作との関連はどうなのかな。
「ハイウェイ惑星」石原藤夫
よく考えるとこれは生物学SFなんだよな。物理畑の思考回路で進化を考察するという一種のハイブリッド性がこの作品の魅力なのだろう。途中のオヤジギャグのセンスの古さが致命的に品を落としているし、近年の活動には違和感だらけだが、日本SFのある種の路線の大元ではあるだろう。
「魔法使いの夏」石川喬司
これはいいんじゃないかな。自身の戦争体験が反映された幻想SF。誰だったかミステリやSFではない主流文学系の作家が、創作物が実体験と混同される質問に辟易とするといった発言をしていた記憶がある。「作家の想像力を舐めるな」ということだった。たしかに飛躍の大きな非日常要素を含まない作品を主とする作家のそうした苛立ちはもっともだが、SF作品ではあまりにストーリーやディテールがアイディアに従属し過ぎて、シノプシスやあらすじの説明や書き割りのよう平板に感じられることもある。本作は実体験を背景としているせいか、昨日世界に手触りがある。こうしたジャンルではむしろそれが大事になるのではないか(検索すると本作について某ミステリ作家の酷評が見つかるが、同意しかねる)。
「鍵」星新一
名作として名高いが、星作品のトップレベルから少し落ちると思っている。ネタバレになるが、幸運の女神の叶えられる幸運がラストの台詞を引き出すための装置になってしまっている作りものっぽさがどうにも気になるからである。つまり、はなから幸運の女神は「不老長寿や若返り」を叶えられないのだ。
「過去への電話」福島正実
初読かも。「魔法使いの夏」は違うが、石川喬司一連の本人と思しき主人公視点の随想めいた作品と共通する幻想SF。福島の目指すものがなんとなく伝わる。現実ベースなので描写等に空虚さはないが、基本シンプルかつ昭和の男性視点の空想はありきたりなので特に目を引くようなものでもない。
「OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN」野田昌宏
テレビ関係者らしい制作ミーティングの描写には当時の記録としての面はあるかもしれない。が、ウェルズの火星人襲来騒動を再現させて視聴率を稼ごうという図式自体、昨今時代とのズレを批判される業界の体質が現れていて、この作家もまたの女性蔑視もあり、根底に日本SF創成期の「お行儀の良い良識を吹き飛ばす"面白"主義」自認の歪んだ認知が感じられる。昔の作品群にも関わらず、その点をしつこく指摘するのはその歪んだ認知が現代でも強く影響力を持ち続けているという問題があるからである。タイトルは気が利いているが。
「大いなる正午」荒巻義雄
超難解だがなぜか惹かれる作品、というのが何度か読んだこれまでの印象だったが、今回は楽しく読めた。「ハイウェイ惑星」が生物学に物理学を持ち込んだ一種の荒技ながらSFにはそれなりにあり得るアプローチな一方で、本作は宇宙や哲学に土木工学をぶち込むというさらに非常識に挑んでいる。個人的にこの手の強引でともいえる手法に伴う軋みというかダイナミズムがSFの魅力だと感じていることが今回再確認できた。本作での"海"にパワーも禍々しさがあるのは「ソラリス」の影響だろうか。やはり難解ではあるのだが、抽象的なイメージを小説に落とし込む作業が魅力的である。
「およね平吉時穴道行」半村良
たぶん中学生以来の再読だが、これ山東京伝の話で、作者は滝沢馬琴より山東京伝に入れ込んでいたというのが背景なんだろう。主人公がSF発想にこだわるあたりにこの時代の日本SFらしさが垣間見えるが、さすがにフィクションを構築する技法やセンスに冴えがある。女性登場人物が受動的な客体ではなく表現者であるというのも当時としてはひねりのある設定ではあろう。
「おれに関する噂」筒井康隆
マスコミ諷刺という点でアイディアは素晴らしいのだが、行間から立ち上がるミソジニーっぽさは如何ともし難い。これはこの人の作風なのだろう。仮に狙ってやっていたのだとすると無意識の場合とは別種の問題があるね。
◆SFマガジン2011年10月号
SFスタンダード100Pt.2とミリタリーSF特集。特集についてはスルー。
「亀裂」ジョン・G・ヘムリイ(ジャック・キャンベル)
ミリタリーSF特集の作品(小説はこれだけ)。とある星で現住種族から攻撃を受けた人類を救出に向かった隊員たちの奮闘が描かれる。コアアイディアはむしろ文化人類学系。謎解きは多少エンターテイメント寄りにご都合主義に陥ってる感は否めないが、人気作家だけにテンポ良く読ませる。
「卵の私」深堀骨
卵の各部分から構成される「私」が語り手、というこれまた規格外の着想からコミカルな騒動を経て、最後に阿鼻叫喚のエンディングへ。今回は中国の古典からヒントがあったようだが、異様な言語感覚によって、凡百のユーモアSFが超えられない時代の壁をするりと抜けるような凄さがある。それにしても「初月給〜、セッサミストリ〜♪」って(笑)。
◆SFマガジン2010年11月号 ハヤカワ文庫SF創刊40周年記念特集号Pt.II。
「ジャッジメント・エンジン」グレッグ・ベア
クラークや小松左京を連想させる、スケールの大きな世界と個人史が交錯する王道SF。壮大な時空をめぐるアイディアがやや難解な一方、オールドスタイルでもあり傑作というには印象は弱い。
「温かい宇宙」デイヴィッド・ブリン
機械人やらサイボーグやらに囲まれた未来での普通の人類(旧人類)が主人公。斜め読みだが、これ知性化シリーズとも違うのかな?同じ設定の作品あるのかなあ。
「手を叩いて歌え」オースン・スコット・カード
タイムマシンを開発した男が昔の思いを遂げるべく過去へ。とはいえこの相手が当時でも年下の未成年という1982年作であることは割り引いてもまあまあヤバい話である。実はそこら辺をスルッとうまい処理がなされているのだが、カードって意外に際どいところを攻めるよね。タイトルやラストに聖書などモチーフがあるのかは不明。
「ジョージと彗星」スティーヴン・バクスター
クラーク直系のスケールの大きな描写が読みどころで、主人公がヒヨケザルというコントラストが愛らしい。
◆SFマガジン2011年8月号
初音ミク特集はスルー。
○ノンフィクション
巽孝之監修 現代SF作家論シリーズ第7回J・G・バラード「上海」という胎児の夢 安藤礼二
シュルレアリスム、上海、胎児といった切り口で横光利一や夢野久作との比較し解析。脱西欧的な視点によって新たな文学世界を創出すること試みとしてのバラード作品という視点だろうか。