<シミルボン>再投稿 連載「放克犬のおすすめポピュラー音楽本」 第15回『フェイス・イット デボラ・ハリー自伝』
~ニューヨークパンクのポップアイコンが辿ったタフな足跡が飾らずに記録されている好著~
1970-80年代のロックなど洋楽育ちの人間としては、ブロンディーは忘れ難いバンドだ。特に当ブログ主などは、洋楽の聴き始めが1979年(中学1年)。当然予備知識がつくのに少し時間がかかるから、助走で1年くらいとるとして、ほぼまるまる80年代の音楽で自分の音楽観が形成されたことになる。
その頃に大活躍していたのがブロンディー、もちろんバンドの顔かつ中心人物はデボラ・ハリー。ロックらしく周囲におもねらない妖艶な空気をまとわせつつ、飾らない親しみやすさも兼ね備える。熱心なファンでなくとも、その存在感は多くのロックファンが認めるところだろう、何よりもカッコよかったのは、現在以上に平均年齢が低かったポップ/ロックのチャートにおいて、ピークを迎えた時に30代だったことだ。日本の同時代の沢田研二とその辺りちょっと共通するが、ジュリーはその前にタイガースで既にスターだった。一方、デボラ・ハリーは若い頃は何をしていたのか。本書を読めばわかる。ほんとによくいる、「いろいろ憧れはあるが、何をどうしたらよいかわからない」平凡な若者だったのだ。
1945年生まれ、ニュージャージーで養女として育った彼女は地元の短期大学を卒業(芸術系)、ニューヨークに憧れ移住し、1970年代初頭のパンクやアートの自由な表現の世界と深く関わっていく。とはいえ、本書の序盤は多少もどかしい。早くから音楽活動はしているのだが、ほとんどアマチュア同然だし変動も大きい(むしろアート寄りの実験的なグループが含まれているのが目を引く)。それどころか、さしたる成果もないまま、1972年にニュージャージーに逆戻りしてたりする。おい、いったいいつデビューすんだこの人!(笑)
さて、そんな迷走気味の彼女に、(ようやく)運命を変え、そしたまた生涯のコンビとなる人物との出会いが訪れる。クリス・シュタインである。音楽的リーダーシップやバンドの方向性の決定など、ブロンディーのもう半身といっていい存在。公私ともに支え合ってきたバディである。そこからの快進撃、売り上げ重視のレコード会社との軋轢、クリスの病、バンド解散からの困窮(金銭的にも行き詰っていたとは驚き)などなどある意味数々のスターが辿る軌跡がつづられる。
まず読みどころは本書に登場する様々な人物の名だ。ブロンディー自体は世代的にも、ニューヨークパンクのコアなミュージシャンと変わらない。それどころか実はラモーンズやパティ・スミスよりも上。下積み時代から交流があり、ニューヨークパンクシーンでも一目置かれていただろう。一方で、ヒット曲も多く、ポップスター的な側面も持つ。マイナーとメジャーを自由に行き来するようなユニークなポジションに位置していた。また元々のアート系的センスでニューヨークに移住したこともあり、アートや映画ともつながる。また記憶力にも優れているようで、出てくる人物はロック関係以外でもバディ・リッチ、マイルス・デイヴィス、ティモシー・リアリー、アンディ・ウォーホル、ジョン・ウォーターズ、H・R・ギーガーなどなど。
そうした多士済々な人物とのエピソードが、クールな視点で、ストレートに語られていく。こんなにざっくばらんでいいかと思うほど、男女関係、ストーカーや暴行の被害体験、ドラッグ、911テロ時のことなどについて明かしている(ジェンダー問題についても触れている)。フォトジェニックな人物なので、沢山の写真、またファンからの似顔絵が沢山収められているなど、ヴィジュアル的にも楽しい。ところどころ一風変わった持論が出てくるのも一興で、大部であるが、読み応えのあるところ満載で読む者を飽きさせない(テッド・バンディに襲われそうになったという下りは、ちょっと信じられないが)。
本書を通じて気づくのは、天性の音楽的才能を有したとはいえない(元々傑出したシンガーあるいはサウンドクリエーターとは言い難い)彼女が、好奇心と自己分析で運命に立ち向かっていく姿だ。圧倒的に男性が多数を占める世界で自らの個性を発揮し、幾多の妨害もタフに乗り切ったその歩みに勇気づけられる。
個人的に少々意外だったのは、クリスとパートナー関係を解消していたことだ。なんとなく公私ともにずっとパートナーだったと思っていたが、クリスの病と困窮が重なった時から、関係が修復できなくなったようだ。しかし、クリスとの関係がいかに重要で、仕事上のパートナーとして、また友人として大切にしているかが伝わってくる。本書の終盤で、なんとも印象的な部分がある。911後にクリスと妻が安全のため、ウッドストックに転居することになる。彼女はバイクでハドソン川沿いを走るうちに猛烈な悲しみに襲われる。しかし、その〝悲しみ”が見棄てられた子どものものなのではないかと気づき、再び気持ちを切り替えるのだ。時に50代中盤のデビーがバイクと共に佇まい、悲しみを振り切り、前を向く。ロック映画のワンシーンのよう。くそう、デビー、ちょっとカッコ良すぎるではないか。(2021年8月1日)