異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 連載「放克犬のおすすめポピュラー音楽本」 第14回『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』


~異能の天才が辿った驚くべき軌跡がギュッと詰まった一冊~
 近田春夫
 日本のポピュラー音楽の世界で、唯一無二の存在である。
 その歩みはとにかく類を見ない。
 70年代初め、まだ日本ロックが手探り状態だった時代に、内田裕也のファミリーになり、日劇ウェスタンカーニバルに出演、様々なミュージシャンのバックや歌謡曲の仕事もしながら、ディスコのハコバンもやり、レコードデビューにこぎ着ける。
 人工的なロックンロールや歌謡曲のカバーなどユニークなロックミュージシャンとして活動する中、80年代に入るといきなり10歳近く年下のバンド人種熱とビブラトーンズを結成、ニューウェーヴ・ロックの潮流に身を投じたかと思えば、80年代中盤を過ぎると今度はこれまた黎明期のヒップホップの開拓者となり、それもそこそこに人力ヒップホップバンドのビブラストーンへの活動をシフトさせる。
 さらにさらにそこでも収まらず、匿名の世界であるハウス~トランスのシーンへと進み、音楽活動ばかりかレイブのスタッフまでつとめるぐらいに没頭する。
 さらに2018年にはヴォーカリストとして「超冗談だから」をリリース、ハルヲフォンも再始動するらしく、現在もまだまだバリバリの現役ミュージシャンなのである。
 これだけでも信じがたいほど幅の広いキャリアなのだが、ここにCMソングの作成(超有名な曲が並ぶ!)の話、また音楽専門家としてのもう一つの重要な顔である批評活動、さらに音楽以外で雑誌の編集部の仕事そしてTVやラジオでのタレント活動のエピソードまで加わるというのだから、全くとんでもない人物である。
 本書の楽しみ方はまだある。
 外交的で屈託のないキャラクターは多くの人に愛され、長いキャリアでの交友関係は異常なほど広く、また本人の常人離れした記憶力に支えられ、登場する音楽関係の重要人物は夥しい人数に及ぶ。
 そのため、本書はまさしく日本の音楽史いや芸能史が体感できるような一冊となっているのだ。
 その時々の音楽を吸収し、それをミュージシャンとして実践する、というと時流を追いかける人物、と誤解されることもあるかもしれない。
 しかし、近田春夫はその正反対のタイプ、むしろ時流をつくる音楽家なのだ。
 この人の本質は、慶應幼稚舎の試験前に他の男の子と取っ組み合いを始めてしまった少年がそのまま大人になったように感じられる。
 その時に感じた衝動を抑えきれないのだ。
 興味がおもむくままに、新しいことにチャレンジをする。
 そして音楽や事物の背景にある構造や論理を見抜く明晰さを備えているため、結果的に世の中の潮流を予見することになるのだ。
 いちおう自分の近田春夫体験を簡単に触れる。
 おそらく最初はTVタレント/司会者として名前を知る程度(ミュージシャンでもあることはおぼろげには把握)。
 兄の影響でミュージックマガジンを読んでいたら、プレジデントBPMのレコード評が載っていて、おじさんなのに最新のヒップホップにチャレンジしているユニークな人物と認識(昔のロック文化は若かったから、30代でもおじさんミュージシャンだったのである)。
 そんなある日、友人と観に行った江戸アケミの追悼ライヴにビブラストーンが登場。
 追悼のしんみりした雰囲気を一変させるテキパキとした座の仕切り(なにしろ、その日にやる曲を最初に全部説明してしまうのだ!)、と演奏と歌詞の面白さに圧倒され、その場でファンになり、音楽を追いかけると同時にミュージックマガジンやレコードコレクターズに載る彼の理詰めで切れ味鋭い音楽評論もチェックするようになった。
 音楽評論では、ヒップホップ以外ではマーク・ボランやスライを高く評価していた(当時CD化されだした、ロックの名盤がよく特集されていて、たいてい絶賛の評なのに、近田が嫌いなビートルズ「サージャントペッパーズ」を酷評した回があったのを思い出す。是非また読みたい)
 彼の文章で印象的なのはしばしば「10年経ってから、あれは先駆的だったとかいうなよ」ということだった。
 後追いでそんなことをいうのは「カッコ悪い」であり「誰でもできること」ということなんだろう。
 スクエアで鈍感な自分には大変厳しい指摘ではあるが、少なくとも自分がスクエアで鈍感であることは自覚していようとは思っている。
 そんな自分にとって、本書でちょっとだけ寂しいのは、中村とうようの名が無いことだ。
 知る人には有名な話だが、日本のポピュラー音楽批評の先駆けでロックの世界でも予見的な仕事をしていた中村の見立てが全く外れてしまったのがヒップホップである(中村はヒップホップを全く評価していなかった)。
 しかし理解できないながら、ヒップホップ側の立場である近田を遠ざけることもなかった。
 その理由は近田が信頼に足る人物だということだった。
 細かいエピソードやどういった言葉で中村が近田を表現したかのはっきりした記憶はないが、たしか近田がカタギではない関係の人がからんできた時に、逃げずに応対して話をつけたということだったと思う。
 ヒップホップという音楽を挟んで正反対の立場をとる二人が信頼関係に結ばれていたというのはとてもいい話だと思うので、本書にいち読者ながらここで補足をしておきたいと思う。
 ミュージシャンそして音楽評論家として近田春夫がいかに優れているかは内容から十分すぎるほど伝わってくるのだが、一方で爆発的なヒットがあるわけではないのでどうしてもミュージシャンズミュージシャンといったところはある。
 本書はそんな彼が生き馬の目を抜く音楽業界で、自らの好奇心を折ることなく、様々な工夫をしながら、音楽活動を続けてきた苦闘の歴史でもある。
 そして飾らない人となりらしく、病やプライベートの芳しくないことも隠すことなく触れられている。
 表裏のないそのままの人生が反映されていて、そんな苦闘の中でも常に明晰であろうとする、カラッとした明るさが印象に残る。
 何かと重苦しい現在の状況の中、一筋の光明を与えてくれる気がする。
 いずれにしても、非常に貴重な記録である。
 ロックを中心としたポピュラー音楽ファン、特に1970・80年代の音楽で育った世代には、必読の書といえるだろう。(2021年3月27日)