異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

ふと思い立ってデヴィッド・ボウイの初期作品をまとめて聴いてみた

 デヴィッド・ボウイのキャリアは長く作品も多いので、その魅力に気づくの遅れてしまったリスナーとしては、まだまだ全貌が追えていないアーティストの一人である。 
 以前ブログでは大回顧展のことを書いたり

funkenstein.hatenablog.com
 野中モモデヴィッド・ボウイ ──変幻するカルト・スター』の感想を書いたり
funkenstein.hatenablog.com
 いずれも2017年くらいのこと。もちろんもう少し前からボウイの興味は持っていたものの、「これは腰を入れて聴かないといけないなあ」と思ったのは(下手をすると)2000年代になってからかその少し前くらいかもしれない。最初にこれは!と思ったのは世評高い『Low』『Heroes』の凄さに(随分遅れて)気づいてから。

 で、その辺りの作品は愛聴していたが、長いこと初期作品はあまり聴きこんでこなかった。
 最大の理由は「いわれるほどSFっぽくないな」という印象がぬぐえなかったからである。
 既にテクノポップニューウェーヴが始まった頃にロックを聴き始めたので、ボウイの初期作品の高い評価を知りつつ、当時のSFフリーク中学生には「<宇宙もの>なのに音はアコースティックでメロウ。歌詞もなんだか寂しくて暗くてピンとこない」という感じだったのだ。
 今思うと「SFファンであることが邪魔をした」ということなんじゃないかと思う。
 とはいえそうしたすれ違いは長く続いてしまうもので、ボウイ関連でいけば2000年代に再刊された『地球に落ちてきた男』もいい作品だとは思ったが、全体に陰鬱な話と思ってしまっていた。

 ということで、ようやくこちらも年を取って、聴き直してみたくなった。
David Bowie

David Bowie

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 ファースト。1967年で、サイケデリック・ポップなアルバムといったところか。のちに『Pinups』で"See Emily Play"をカヴァーするが、シド・バレット在籍時の初期ピンク・フロイドも連想させる。
 夢に満ちた宇宙開発の果てに月面着陸が映し出した世界は何とも荒涼な風景でしかなかったことを指摘したのは誰だったか。そんなことを思い起こさせる”Space Oddity"のダウナーな魅力はニューウェーヴSF以降の視点を見事に表現している。感性の鈍い中坊(当犬)にはオトナ過ぎたのである(小説ではニューウェーヴは読んでいたんだけどなあ)。全体にはサイケデリックな風味のフォーク・ロック。
 
 『Spade Oddity』同様トニー・ヴィスコンティがプロデュースしているのだが、こちらの方がロック色が強く、要はT-レックスっぽい。"Black Country Rock"なんてヴォーカルがマーク・ボランかと間違うくらい。面白いのは1曲目の”The Width of a Circle"でハリール・ジブラーンという詩人がいるのを不勉強ながら初めて知った(オスマン帝国出身のキリスト教徒で「20世紀のウィリアム・ブレイク」とも称され、ロック関連のミュージシャンの支持も厚かった様子)。
 今回一番良いと感じたのがこのアルバム。楽曲のクォリティが高く、ボウイのメロディー・メイカーとしての才覚が存分に発揮されている。"Changes"Oh! YOu Pretty Thing""Life On Mars?"と名曲が並ぶ。歌唱までそのままの"Songs For Bob Dylan"や"Andy Warhol"など愛する対象へのストレートなリスペクトも微笑ましかったり。
 さすがにこの作品はこれまでもよく聴いていた。地球にやってきた宇宙人の成功と挫折という流れを通しで聴くと、主演映画「地球に落ちて来た男」と同じ様に、孤独なアーティストの内面というのが根底にあるということがあらためて感じられる。当初、(頑ななSFファンの悪癖として)アイディアや人類を俯瞰するようなハードなSFばかりに目がいっていた当ブログ犬にはあまりはまらなかった。しかし、コンセプトや歌詞とは距離を感じつつも、結局耳に馴染み易いメロディアスな楽曲群に次第にアルバムの良さに気づかされていく。今では、宇宙趣味の波及という先駆的な役割を含め、ロック史上でも重要なアルバムだと思うようになった。
 こちらは「ジギー・スターダスト、アメリカへ行く」といったコンセプトのアルバムだったらしい。ドゥーワップを取り入れたり、ボ・ディドリーっぽいリズムがあったり、ローリング・ストーンズのカヴァーがあったりとブラック・ミュージックへの強い関心がうかがわれる。次々とチャレンジを続けるボウイの創作意欲に脱帽である。
 ジギー・スターダストのキャラクターから離れたいという意図からの全曲カヴァー集らしい。ザ・ヤードバーズザ・フーが2曲もあったり気分でつくっている感じがあるが、"Anyway, Anyhow, Anywhere”が(カヴァーにしてもあまりに)あまりにザ・フーそのまんま
で、意外なボウイの器用さに驚かされたり。楽曲の多彩さもそうだが、ボウイって割となんでもできる人なんだよな。

ダイアモンドの犬

ダイアモンドの犬

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 コンセプト的なものに疲れてカヴァーアルバムを出したのかも思いきや、またすぐコンセプトアルバムにもどる。タイトルは『動物農場』あたり?"1984"”Big Brother"という曲もあり、オーウェルオマージュなのか。音楽的には引き続きストーンズ色強めか。"Rebel Rebel"のような強力チューンがほぼどのアルバムにもあるのはさすが。"1984"はアイザック・ヘイズそのままのワウワウファンクで、幅広いジャンルをカヴァーする作曲能力もまた尋常ではない。
 さて創作意欲旺盛なのはいいが、今度はストレート過ぎるほどのブラック・ミュージックアプローチが行われたアルバム。その方向性には疑問が投げかけられたようだが、このアプローチは『Let's Dance』の大成功へ導く。そして"Fame"はジョージ・クリントンに”Give Up the Funk"作曲への啓示を与え、(その宇宙趣味と共に)実はアフロフューチャリズムの隆盛にも寄与したことは無視できない(『ファンクはつらいよ』174ページ参照)。
ステイション・トゥ・ステイション

ステイション・トゥ・ステイション

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 そして、ブラック・ミュージックへのアプローチを進化させまた次作『Low』へと続くアヴァンギャルド性との融合を高い完成度で結実させた本作もまたボウイ史を飾る傑作であろう。ハイライトはボウイのさまざまな顔を見せつつ、長尺を全く飽きさせることのないタイトル作だが、ニューオリンズファンクにまで射程に入れた”TVC15”もまたボウイらしい雑食ぶりである。
 繰り返しになるがボウイの幅広いジャンルに及ぶ作曲能力の高さには驚かされる。その貪欲ぶりは短期間での目まぐるしい変身にもつながり、(特に初期には)「何がやりたいのかわからない」と思われていた節もある。その作曲能力の高さを思うと、別の世界線のボウイを想像してしまう。それは「もしもボウイが何らかの理由で自らがフロントに出るのを嫌がっていたら」という妄想である。あれだけのルックスとファッションセンスでフロントに出ないボウイというのはもちろん想像しづらいのだが、それでもこんな話を考えてしまう。「なんらかのきっかけで長年フロントに出ることを嫌っていた知る人ぞ知るイケメントラックメイカーのボウイ。神格化され、周囲の熱意に押されてキャリアの晩年にたった一度のリーダーズアルバムを出す。豪華なゲストもあってロック史上空前の大ヒットとなる」。しかしそれは稀代のパフォーマーであるボウイのいない世界線であり、それはあまりに味気ない世界でもある。なのでこの発想は、雑誌のボウイ特集号の箸休めSF短編ぐらいにしかならない話なのだった(苦笑)。