異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。

国書刊行会《未来の文学》が完結

 国書刊行会未来の文学》がついに完結。
 フェアのやっているジュンク堂書店藤沢店に行って、冊子を入手した。
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 最初の冊子には第1回配本ジーン・ウルフケルベロス第五の首』 2004年夏刊行予定とある。(実際に刊行されたのは2004年7月20日
 『ケルベロス第五の首』といえばしゅのー先生(殊能将之)である。しゅのー先生ホームページのThe Reading Diary of Mercy Snowをまとめた『殊能将之読書日記2000-2009』を確認してみると、翻訳前にThe Fifth Head of Cerberusを詳細に紹介しているのが2000年6/24。さらに翻訳に近づいたと思われる、訳者柳下毅一郎氏の<文藝>連載「オレにやらせろ」(自身が翻訳したい本を紹介する連載)への言及が2002年7/19(2002年秋号の回でThe Fifth Head of Cerberusが紹介されている)。そして《未来の文学》の名が出てくる最初が(たぶん)2003年6/11。
 当ブログ主が前ブログを開始したのが2006年5月で、その時の感想が記録されていないので、しゅのー先生の力を借りてしまったが、相当興奮した覚えがある。
 とりあえず、全冊子並べてみた。
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 刊行時(直前)の冊子には

 失われたSFを求めて―
ウルフの超傑作からワトソンの熱いデビュー作、
ディッシュの日本オリジナルベスト、
そして待望のスタージョンラファティ長篇作まで。
 60-70年代の傑作SFを厳選した
SFファン待望の夢のコレクション!

 とある。ここでのポイントは60-70年代というキイワード。ニューウェーヴSFに影響を受けた自分にとっての原点ともいえる時代だ。そんな自分の土台を再確認させてくれるような企画であった。名作揃い、というストレートにいうのには抵抗がある。何せ、一筋縄ではいかない作家の一癖も二癖もある、<変>な作品ばかりが並ぶのだ。しかしそれが読者を惹きつけたのは間違いない。背景にあるのは間違いなくニューウェーヴSFだ。ラインナップにはもちろんニューウェーヴではない作家も顔を揃えている。しかしディッシュ、ディレイニー(それぞれ2長篇)に、エリスンニューウェーヴSF系作家の多く収められた『ベータ2のバラッド』。さらにウルフやラファティといえば、デーモン・ナイトのアンソロジー「オービット」を連想させ、これもニューウェーヴSF系作家の名前が目立つシリーズである(「オービット」についてはちゃんと把握していないのだが、とにかく12年20巻出ている持続力がまずすごいな)。
 そもそもニューウェーヴは<変>なのだ。偉大な予言者であったことが次々に証明されてきた、あのJ・G・バラードだって、科学の進歩ばかりに目を奪われていた時代に、真のSFは「健忘症をわずらう男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車をながめながら、両者の関係の究極にある本質をつきとめようとする」物語だと宣言するのは、やはり<変>だと思う。<変>というのがふさわしくなければ、オルタナティヴといってもいいかもしれない。普通の見方では見えないものを、違う観点からとらえていこうとする試み。
 それにしても、あらためて全作品振り返ってみると、やはり<変>な並びである。もちろんストレートに名作というものもあるが、読みやすいとはいえないもの評価の難しいもののちらほら。刊行から17年。なかなか本を売るのが難しい時代に冒険的な企画だったと思うが、だからこそ支持され、続いたのだろう。出版界への波及も大きかったと思う。ジーン・ウルフラファティの再評価につながったし、例えば竹書房文庫でハーネスやビショップの幻の作品が翻訳されたりするのも《未来の文学》がなければ、なかったのではないだろうか。
 さて、読んだのは19作品中16。所持して未読2、未所持1である。どれかは言及しない(苦笑)が、遅読の当ブログ主としては、読破率がかなり高い叢書である。そして、この<変>な叢書に心を奪われ(同時に自分の原点とクロスするような作品群が商業出版される事に心強くなり)、トークイベントに出かけ、同好の士と交流を深め、調子に乗ってブログを始め、ひょんなことから雑誌に文章を書かせてもらったり、この17年いろいろなことがあった。そして今、国書刊行会に感謝しつつ、続きの叢書への期待もしているのが正直なところなのだ(笑)。