引き続き積んでたSFマガジン消化につとめたので本自体は少なめ。
◆『19世紀ロシア奇譚集』
馬車が壊れ、とある村の奇妙な家主のいる屋敷に世話になることになる。ちょっとしたユーモア短篇といった作品だが、この家主がダメ発明家なのが楽しい。
「指輪」エヴゲーニー・バラトゥインスキー
資金繰りに窮した主人公は、裕福だが変わり者という人物に相談する。ホラーあるいは因果応報的な話に収束するかと思いきや。いい作品で、多少雰囲気に違いはあるが、プロット的にはウィリアム・トレヴァーあたりを連想。
「家じゃない、おもちゃだ!」アレクセイ・ヴェリトマン
ドモヴォイ(家霊)の住む二軒の館に住む人々の運命が描かれる。このドモヴォイが頑固爺さん属性でユーモラスなのがポイント。
「白鷺ー幻想的な物語」ニコライ・レスコフ
とあるパッとしない貴族の高官が査察のため行ったペテルブルクで美しい青年が配下に就くことになる主人公。誰からも愛されるこの青年が急死して、彼に取り憑くことになるのだが、多少鬱陶しい程度でさほど重苦しくないのが面白い。
「どこから?」フセヴォロド・ソロヴィヨフ
当てもなく歩く主人公。友人を訪ねることを思い出し…。正調怪異譚。短いが文体のキレが良い。
「乗り合わせた男」アレクサンドル・アンフィテアトロフ
列車で乗り合わせた男からいきなり五等官かどうかを聞かれる。死者だというこの男が話すには…。テンポよく現代性もあって楽しい。
「クララ・ミーリチー死後」イワン・トゥルゲーネフ
大作家だが読むのは初めてかも。わずかな接点しか持たない女性の死に翻弄される若者の話。こうしたアンソロジーの中にあるが、文豪による文学的な題材の作品だが思いの外怪異寄り、というような位置だろうか。主人公が取り込まれていく描写の熱に浮かされる様は巻末にふさわしい迫力。
古典新訳文庫は解説が毎回充実しているのだが、本書もロシア文学と幻想怪奇をめぐる流れが様々な角度から分析され、詳しくない身としては実にありがたい。
さてこれに関しては二つも読書イベントに参加したので、両方言及。
まずは第57回怪奇幻想読書俱楽部読書会に参加。
kimyo.blog50.fc2.com
主宰のkazuouさんが言及されているが、英米の本流的な怪奇譚からするとちょっと歪ともいえる「家じゃない、おもちゃだ!」「乗り合わせた男」などが盛り上がったりしていたのが印象的。またSFも含めたロシアものの訳書、ドイツロマン派からの流れなど話題が多方面に及び実に楽しかった。(その分、課題本『ドイツロマン派怪奇幻想傑作集』同じく非英米ということでいろいろ教わりたかった次回58回の読書会が締め切りになったのがイタかったー。まだ読み終えていなくて迷ってしまったのだよな)
こういうことは珍しいのだが、偶然にもこの本で別のイベントが行われ、しかもオンラインだったのでそちらも参加。
https://peatix.com/event/4124832/view
✨明日開催✨
— 紀伊國屋書店 (Books Kinokuniya) 公式 (@Kinokuniya) 2024年9月26日
紀伊國屋書店Kinoppy&
光文社古典新訳文庫読書会#104https://t.co/hUyX1YTvog
忘却されてきたロシアン・ホラーの魅力再発見!
『#19世紀ロシア奇譚集』
訳者 #高橋知之 さんを迎えて
2024年9月27日(金)19:00~20:30
Zoom配信
どなたでも無料でご参加いただけます📙
実は最初の30分ほどはこちらの都合で聴けなかったのだが、十分に面白かった。そもそも今や大文豪の代名詞みたいなトルストイですらヘンリー・ジェイムズから異様なものと評されたようだ(必ずしも否定的ばかりではなくということらしい)。つまりわれわれが英米文学で正統ととらえているものを考え直す(ありていに言えばalternativeということになってしまうかな)きっかけになるのがロシア文学なのかもしれない。ロシア文学には<地の声(あるいは肉声?)>といった「スカース」という表現があって、通常の文学表現の合間に挿入されるということを知ったのも大きかった。英米そして日本文学にはあまりないとのこと。それが非常に訳しにくいというのはなんとなく納得。訳者の 高橋知之氏は怪奇幻想文学好きで、津原泰水の名前も挙げられており、落語やお笑いから翻訳のヒントを得ているなど、非常に今後を大いに期待させてくれる方でもあった。
◆『第四間氷期』安部公房
タイトルは現代の間氷期のこと。年代記的な小説ではなく、「モロー博士の島」のような生物改造とそれに関する陰謀劇が展開するSFミステリの趣向で前半は展開。しかし背景とする思弁性は先駆性を有し現代においても曇ることがない。日本のSFの嚆矢にして、あとがきにもある「現在に未来の価値を判断する資格があるか」という根本的な問いかけがあることに唸らせられる。ポストヒューマンに関する作品でもあり、今なお刺激的な視点を提示している。
◆『妻の帝国』佐藤哲也
とある高校の日常風景から話は始まる。やや抽象的なディスカッションが交わされる中、一人の生徒が直感で理解できる「民衆の意思」の存在を主張、それは覚醒すれば理解可能だともいう。彼は「最高指導者」からの手紙を受け取っていたのだ。
一方、その「最高指導者」は「わたし」の妻である。一風変わった性格の妻と「わたし」は珍しくもない出会いを経て結婚にいたる。しかし妻は既存のすべてのイデオロギーを否定し、直感による民衆独裁のみを肯定する革命家だったのだ。
現在の政治体制をふまえたシミュレーション小説ではなく、思想的な動機から社会が崩壊してく過程は寓話的な部分が強い。しかし人によって構成される社会の構造は思想によって一気に変質する側面も持つ。本作は日常的な光景を乾いた文体で鮮やかに切り取っており、事態の推移がある種の現実感をともなって読者の前に現れる。非常に恐ろしい作品でもある。
以下雑誌は例によって興味のあるもののみの感想
◇SFマガジン2002年3月号
ニール・スティーヴンスンと新世代作家特集。
○フィクション
「ポタワトミーの巨人」アンディ・ダンカン
2001年世界幻想文学大賞ショートストーリー部門受賞作。実在のボクシング世界ヘビー級チャンピオンだった、1881年生まれのジェフ・ウィラードを題材に取った作品。ジェフは白人であり、モハメド・アリに影響を与えた黒人ボクサーのジャック・ジョンソンから王座を奪ったため、当時白人ファンの溜飲を下げたというようなことがあり、また奇術師フーディーニと一悶着あったり、その辺が本作に取り込まれている。作品は手堅くまとまっていて悪くないが、むしろ途中に出てくる「フーディーニといっしよにステージにあがるんだージャック・ロンドンがオークランドでやったように、ウィルソン大統領がワシントンでやったように。」という一文が気になるね。それぞれなんのことなんだろう?
○ノンフィクション
・「テクノロジーの世界に遊ぶ」ニール・スティーヴンスンインタビュウ デイヴィッド・V・バレット
いまや"メタバース"が一般用語として浸透しているニール・スティーヴンスン。『ダイヤモンド・エイジ』(積読のまま(苦笑)刊行時で、創作の流れや参考にした本などについて語っている。いわゆるSFプロパー外の人で、SFコンヴェンションへの参加しないと言及しているのが面白い(自意識過剰に陥るだけで、ファンから質問されても自分が混乱して作家活動には邪魔、というようなことを答えている)。
・「コミュニケーション補綴具ーはたして脅威の存在か」ニール・スティーヴンスン
短いエッセイでコミュニケーションツールとしてPowerPointをとらえるという内容で、ユニークな発想力がわかる。PowerPointに訳注がついめいるのが時代を感じさせる。
◇SFマガジン2009年7月号
伊藤計劃追悼と映画「スタートレック」効果器記念特集号だがそちらは失礼ながらスルー。
〇フィクション
「齢の泉」ナンシー・クレス
2008年ネビュラ賞ノヴェラ部門受賞作。若いころにキプロスで恋に落ちた娼婦を忘れられない男。彼女がある金持ちの妻になったと知って、という話だが近未来が舞台で不老技術をめぐる攻防の話も加わる。アイディアと情感のあるストーリーのバランスがよく、受賞も納得。ちなみに序盤に「日本人が入れ込んだレトロな金属性の犬」というフレーズがあるが、AIBOのことかな(この時期にはもうブームは過ぎてたっぽいが、<その技術が取り入れられていて>という文脈なのでオマージュ的な意味だろう)。
◇SFマガジン2012年1月号
○フィクション
「ドリアン・グレイの恋人」グレゴリイ・フロスト
タイトルのようにドリアン・グレイを題材にしているが、<老いない>を<太らない>にしているのが現代的。シンプルなストーリーだが雰囲気があってよかった。
「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」ロバート・F・ヤング
ミスをおかして、26世紀から11世紀にやってきた航時スーツを身に着けたPRC(過去再建部隊)マン。小品といってもいい長さの作品だが、作者のロマンティックな持ち味がよく出ている。あらすじだけで昔は拒否感が出ていたのだけど、『ジョナサンと宇宙クジラ』を読んでからは、この人の良さがわかってきた気はする。他の作家より堂に入っているというかタッチがスムースなんだよね。それでも相変わらず「たんぽぽ娘」は好きではないのだが(苦笑)。
○ノンフィクション
現代SF作家論シリーズ(監修:巽孝之)
第12回ウィリアム・ギブスン
ヴァーチャル・カナダーウィリアム・ギブスンの脱領域空間 ポール・ジャイルズ(海老原豊訳)
相変わらずギブスンに明るくないので、なかなか把握しづらい論考なのだが、カナダに亡命しヴァンクーヴァーに移り住んだ作家を環太平洋という視点でとらえるという視点は興味深い。(アナリー・ニューイッツの名も出てくる)
◇SFマガジン2012年10月号
レイ・ブラッドベリ追悼特集号。
〇フィクション
「祝杯を前にして」井上雅彦
舞台は1995年。LAで行われる怪奇幻想映画のコンベンションに向かう作家と編集長。いつもの鮮やかな幻想ショートショートだが、わからない箇所がところどころある。ブラッドベリファンならちゃんと楽しめるのだろう。
以下ブラッドベリ作品。
「生まれ変わり」
生前最後の短篇集収録作ながら1943年前後の作品を改稿したものとのこと。散文詩のような、生と死のイメージを鮮やかに届ける。ブラッドベリらしい作品。
「ペーター・カニヌス」
犬が告解の秘蹟を行う話。可愛らしい掌篇だが、こういった作品はキリスト教徒ではないと少々わからない部分がどうしてもあるように思ってしまう。
「霧笛」
再録。怪獣ものの原点とされる作品で、再読になるが、そもそも<怪獣(あるいは怪物)>ものには根本に詩情があるのだなと思わせる。
「歌おう、感電するほどの喜びを!」
再録。有名作品だが初読。おばあちゃんロボットがやってきて子どもたちの面倒をみる話。まあおばあちゃん版ドラえもんだな(1977年作だからその表現で問題なし)。ドラえもんとのび太のいい話回みたいな感じだが、このおばあちゃんロボットがやってきて起動するところがミイラから蘇る描写で怪奇幻想色を帯びるのが非常に良いアクセントになっていると思う。この辺がブラッドベリの味なのでは。
○ノンフィクション
・「連れて帰ってくれ」
自身による短いエッセイ。少年時代のSF小説との出会いについて。火星シリーズとターザンシリーズを暗記した彼は祖父母の家の芝生の上でだれにでも物語を聴かせ、本エッセイのタイトルそのままに火星に「連れて帰ってくれ!」といっていたという。全くファンではないのだが(月並みにいってやはり甘すぎるのよね)、ブラッドベリもまた「ここではないどこかに帰りたいの人」だったのだなあと思うと心動かされるものがある。後の作品「火の玉」につながるという、5歳の時に亡くなった祖父とのエピソードもまた名画の様に美しい。
・「感電するほどの墓碑銘をーレイ・ブラッドベリのために」現代SF作家論シリーズ番外篇 巽孝之
普段は様々な書き手がSF作家について論じ、巽氏が監修者として紹介する形式だが、今回は自らによるブラッドベリ論。魔女狩りの犠牲者のしそんであったとか、映画版「白鯨」の脚本をたんとうしていたとか、知らなかった。アメリカ文学史において果たした役割を読み解いていく。いつもながら新鮮な視点かつ明解、ブラッドベリの拍子抜けするほどの素朴なアメリカ中心主義にもしっかりと言及、網羅的な内容にもなっている。
◇SFマガジン2018年4月号
ベスト・オブ・ベスト2017。
〇フィクション
「「方霊船」始末」 飛浩隆
『零號琴』スピンオフ。漢字とルビを多用した固有の文体でグロテスクなイメージを紡ぐ手法は本篇同様魅力を放つ。
「魔術師」小川哲
忘れられた天才魔術師が舞台に戻ってきた。新たな出し物とは。人生を賭けたトリック、という題材としてはプリースト『奇術師』を想起させる。やはり魔術師ものはいい作品が多い。
「9と11のあいだ」アダム・ロバーツ
『ジャック・ダグラス伝』(未読)が評判を呼んだ作家で、作品は初めて読む。必ずしもコメディとはいえない表現をとっているものの、これは大ボラ的な要素が強く本人の持ち味はまだちょっとわからないような作品。
◇SFマガジン2019年6月号
横田順彌追悼号。
大昔に『脱線たいむましん奇譚』を読んだくらいで、古典SF研究についても全く押さえていないのだが、重要なお仕事をされていたと思うし、周囲の人々に愛されていたのがよく伝わってくる(ニューウェーヴSFは苦手だったようだが)。
〇ノンフィクション
・「ぼくの亜米利加旅行」
1975年に鏡明、荒俣宏、伊藤典夫とロサンゼルスの北米SF大会やフォレスト・アッカーマン宅を訪問したり、ディズニーランドへ行って、さらにはニューヨーク、サンフランシスコと東西往復している。基本的にはユーモアたっぷりの珍道中の紀行記の趣向だが、さすがに現代だと問題のある表現がちらほら出るのも当然といえば当然か。なにはともあれアッカーマンが日本の貴重本をいろいろ持っていて、日本から訪問した彼らが買ったりもらったりしている様子には驚かされる。おそるべしアッカーマン。
・「横田順彌の不思議な世界」中島梓
SFマガジン1978年6月号掲載の横田順彌ユーモアSF論。論旨はともかく10頁に渡って氏のユーモアSFについて解説しており、ダジャレを中心とした作品がゆえになかなか貴重な評論ではないかと思われる。
〇フィクション
「かわいた風」横田順彌
様々な登場人物の断片的なエピソードから未来世界の状況が浮かび上がってくる叙情的な作品。氏のシリアスな作品を読むのはおそらく初めてではないかと思うが、SFらしい詩情とともに厭世的な影も垣間見える。
「大喝采」横田順彌
当時の活動写真を題材にした明治もの。文体が見事だな。レトロロマンの香りを醸し出している。
特集外作品のフィクション。
「ムジカ・ムンダーナ」小川哲
音楽を文化の中心とした民族の元を訪れる音楽家とその過去が重なる。実はまだちゃんと長篇を読んだことがないのだが、読んだ作品はどれもレベルが高く、これも拡がりのある音楽SFに仕上がっている。
「髭を生やした物体X」サム・J・ミラー
再読だがやはり傑作だな。映画「遊星からの物体X」オマージュだが、映画公開時の時代背景とゲイの苦悩が重なり、人間存在の根幹に向き合うような作品になっている。重い作風なのでなかなか紹介が進まないのもわかってしまうのだが、やはりいい作家だなあ。
◇SFマガジン2021年8月号
ハヤカワ文庫JA総解説と映画「夏への扉」と「ARC アーク」特集。「Arc」未読だな。この頃あたりからホットな話題も押さえることができなくなってるなあ(悲)。
○フィクション
「人ともに働くすべてのAIが知っておくべき50のこと」ケン・リュウ
停止したAIが残したメッセージとは。タイトル通りのメッセージが、前置きの後50並ぶ掌篇。ケン・リュウ自作のAIに自らの作品を読ませてできたテキストば使用されているという。本文にはオクテイヴィア・E・バトラーの未訳作の主人公の名前も登場する。本誌が2021年なのでこの辺りはさらに状況が進んでいるのだろうなあ。
「魔女の逃亡ガイドー実際に役立つ扉(ポータル)ファンタジー集」アリクス・E・ハーロウ
厳しい日常にさらされている子どもたちに解放のための本を案内しようとするちょっとパンクな司書を描いている。これはSFファンの心をつかむよね。ということで、ヒューゴー賞を獲ったのも納得。
感想を検索したところ、飛浩隆が本作を賞賛しつつ「小説家が書く図書館や読書礼賛もの」へ警戒心を示していることをTwitterで表明していて、書き手ならではでやはりさすがだなと思った(予定調和や内輪視点に陥りがちだということではないかと推察)。
「働く種族のための手引き」ウィナ・ジエミン・プラサド
シンガポール出身の女性作家ということだが、作品はそうした背景とはあまり関連の感じられないもの。ロボット同士のオンラインでのやり取りから成る。内容以前にロボットの擬人化の部分でどうも興味が薄らいでしまうのだよなあ。
○ノンフィクション
・「さようなら、世界 <外部への逃走論」木澤佐登志
ポピュラー音楽の造詣の深さか伺える連載だが、ロシア文化における宇宙主義にも明るそうで興味深い内容だ。背景に加速主義へのシンパシーを感じざるを得ないため、一定の距離を置く必要のある書き手ではあると思うのだが、毎回面白い話題を提供してくれている。
・「SFのある文学誌」長山靖生
ほとんど読んでいない連載だが、この回は小酒井不木の科学に対する言説について。ちょっと気になって目を通したが、大正時代の科学への思想的なアプローチや彼の神秘主義志向、また人工心臓(あのリンドバーグも登場)の話題に及ぶ。こうしてまた気になる内容が増えてしまうんだよな(笑)。
そして1年間に及んだ長澤唯史先生の指輪物語講義ついに終了。
www.asahiculture.com
ピーター・ジャクソン映画を観たのみで、原作未読だったので、読みながら講義を聴いていて、最終講義はこちらも旅の終わりのような気持ちが…(実はまだ少し読み残しているが(苦笑)。最終回は映画版では出てこなかった、戦争から帰還しての苦い結末について。そこをC・S・ルイスが高く評価した点であることなど。また書かれた後の出版のあれこれも面白かったなあ。ここでもアッカーマンがからんでいたとは(杜撰な出版計画でこれに関してはお騒がせだけだったみたいだが)。とにかく時代・個人史・関連人物など作品の背景や作者の意図、読者の受容及びその影響などなど多方面からの分析でこの大作の魅力を知ることができた。ありがとうございました!