異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2023年2月に読んだ本、参加した読書イベント

←よくわからないけど参加してみることにしました

◆『澁澤龍彦訳 幻想怪奇短篇集』
 『怪奇小説傑作集4』(以下『怪奇集4』)の収録作と『ふらんす怪談』が合わさった本らしく、再編集本といった感じなのかな。『怪奇集4』の方は既読なので、そちらの作品は再読。
「呪縛の塔」マルキ・ド・サド
 ヒロイックファンタジーの先駆けような作品という全体の印象は変わらないのだが、今回はそのスケールの大きさにインパクトを感じた。それほど昔でもないのだが、その時には何を読みとっていたのかなあ。
「ギスモンド城の幽霊」シャルル・ノディエ
 こちらにいたっては以前読んだ記憶が全くといっていいほど消えている(苦笑)。幽霊屋敷ものといえるが、20世紀の洗練されたもの比べ、必ずしも流麗ではない展開や枝葉の未整理な部分がかえって味わいになっている。
「緑色の怪物」ジェラール・ド・ネルヴァル
 飲酒にまつわる、酩酊感を漂わせた正調怪奇といった映像的イメージが良い。
「解剖学者ドン・ベサリウス 悖徳物語 マドリッドの巻」ペトリュス・ボレル
 人間関係が軸にあり、主流小説的な趣向もある作品だが、背景にある解剖への好奇心と恐れなど、怪奇が新たな科学技術に付随する側面を持つことも伝えてくれる。
「勇み肌の男」エルネスト・エロ
 勇敢な男に忍び寄る不安な影、という普遍的なモチーフだが、いつからこの系列はあるのかなとふと思った。
「恋愛の科学」シャルル・クロス
 狂った論理という点で奇想SFに相通ずるセンスが感じられ、やはりこういう作品は好き。
「奇妙な死」アルフォンス・アレ
 イメージとしての海が現実を侵食するというテーマとして、J・G・バラード「いまめざめる海」(短編全集2)を連想した。
以下はアンリ・トロワイヤ『共同墓地』から。
「殺人妄想」強迫観念に囚われた人物の行動になかなか現代的なインパクトがある。
「自転車の怪」これは『怪奇集4』にも収録されていた、自転車怪談。これもニューテクノロジー+怪異のパターン。
「幽霊の死」ややコミカルで、モダンで洗練された構成になっている。
「むじな」戦場の兵士の一人の話に耳を傾けてという形式。怪異について、真偽より不安感などが描写で表現されるというこれまた現代的な作品。
「黒衣の老婦人」奇妙な老婦人にちょっと敬遠気味ながら関らざるを得なくなり話が進行する、というこれまたなかなか新しさを感じさせる作品。ストーリーも起伏が巧みにコントロールされている。
「死亡統計学者」死亡統計を的中させる学者、という奇妙な論理系の要素がある作品でミステリ的な趣向ともいえる。ラストもうまい。
「恋のカメレオン」性格を変える注射を受けた男女の不思議な恋愛模様が描かれる。科学技術が人間を変質させるという外挿法が援用されており、一種のSFと考えることもできる。また、あまり類のない切り口のスクリューボールコメディともいえ、トロワイヤの作家としてのセンスの冴えも感じられる。
 歴史小説など一般主流文学の世界でも名のあるトラワイヤだけに非常に洗練された技巧がどの作品にもみられ、さすがである。
◆『異常 アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ
 比較的シンプルな異常状況がアイディアのコアになるのだが、前半はそれが明かされない。その分、中盤からぐっと面白くなってくる。ウリポの作家らしく、意識的に周到に全体がコントロールされていて、巧みな構成には舌を巻いた。また細部にも重層的な意味がこめられているようだ。(アイロニカルな面は強いものの)ハッピーエンドでもバッドエンドでもない不思議な終盤はなかなか印象的。多くの登場人物が社会や人間のいろいろな側面を写し出す、万華鏡の様な作品でもある。ポピュラー音楽ネタも楽しかった。また個人的なことになるが、亡父に縁のある海外の場所が2か所も本作には登場して、偶然とはいえちょっと思い出深い読書になった(父については以前<山野浩一さんを偲ぶ会>のところでこのブログで触れたことがある。父が解剖学を教えていたナイジェリアのイバダン、その後内科医として肝臓の研究で留学したニューヨークのマウントサイナイ病院の両方が本作に登場するのだ。ちなみにどちらも当ブログ主は同行しているので、必ずしも本人と無関係でもないところがある。(さきほどの以前のブログで言及した不思議な巡り合わせの話は、アトリエサードTHNo.76の岡和田晃山野浩一とその時代(5)映画『デルタ』の思想と「NW-SF」創刊前夜」でも言及されている)

◆『もうひとつの街』ミハル・アイヴァス
 隣接したもう一つ街が存在して、とタイトルからするとちょっと違う異世界に迷い込むような内容かなと思うが、次々にシュールなイマジネーションが連なっていくかなりぶっ飛んだ描写があふれている作品だった(アイディアとしてもミエヴィル『都市と都市』を連想させるところもある。果たしてミエヴィルは本作を読んだことがあるのだろうか)。特に終盤の図書館の描写が強烈であった。一方で表現することへの理知的な探究もみられる作品でもある。
◆『SFの気恥ずかしさ』トマス・M・ディッシュ
 長年のSF読者として世代的に、容赦のない作品やLDG論争などでの歯に衣着せぬ批評でディッシュは非常に大きな存在感があり、SFジャンルの問題を深く考えさせてくる作家であった。なので、本書の登場は心待ちにしていたし、内容もまた大変すばらしかった。twitterでの何回も感想をアップしたくらいである。
※この辺からの連ツイ


 だからこそ本来は整理して書く必要があり、ちょっと簡単に書くわけにもいかない気もしている。早いうちに取り組みたいと思っているが、twitterで書いていない1点だけ。強面、厳格といった印象が強いディッシュだが、本書を読んでみるとSFに対しても娯楽性を悪事ととらえているわけでもなかった。娯楽性を読者が求めることを上段から非難していることもなかった。ただし、質の低いものあるいは手抜きに関して容赦はせず、また良質なものをしっかり紹介しようという信念が強い。そのための<強面><厳格>の顔だったのだ。
SFマガジン2015年8月号
 たしか読み切り少なめ。
「変身障害」藤崎慎吾
 この時期の円谷✖️ハヤカワの一連の企画作品。セブンに変身できなくなったモロボシダンの話。巻末の著者解説にあるように、時間の落差から生じるウルトラシリーズへの印象の変化が反映され、ちょっと侘しさが漂う作品になっている。当ブログ主も昔の番組の古さなどが気になる方で、非常に共感できる。またアイディアもきっちり考えられている作品でもある。が、企画自体はリブートかユーモアによる変化球がいずれにしてももっと高揚感を加えたい方向性だと思われるので、ややミスマッチな印象がある。その分、著者が誠意のある書き手であることも知らしめてくれる(まあ検索すると割と好評のようなので、ウルトラシリーズの熱狂的ファンとはいえない人間からの余計なお節介かな)。
「縫い針の道」ケイトリン・R・キアナン
 事故にあった輸送船の中で苦闘する主人公が過去の回想と共に語られ、童話の世界と巧みに融合する。本格SFミステリと怪奇幻想が共存した個性的な作風で技量の高さも感じさせる。個人的には事故の影響で植物に満たされた船という冒頭のシーンにインパクトがあったので、そちらがエスカレートする展開を想像ひていたがちょっと違っていた。

 で、漫画は相変わらずのらんま。大奥も少し読んだ。
らんま1/2』22-31巻 高橋留美子絶好調の持続が相変わらず確認できる、湧き出て止まらぬアイディアの泉である。
※追記 そうそう書き忘れていた。第9話「怪談・仕返し人形」、第10話「人形の罠」はあかねが人形に体を乗っ取られてる話で、当然基本線はコメディ。ただ、乗っ取られたことをあかねが気づく流れはゾクっとなるくらい怖く、ホラー系のセンスも優れていることがわかる。そちらの方も読んでみる必要があるとあらためて認識した。
『大奥』9巻 よしながふみもまた凄いね。平賀源内のキャラクター造形とかね。

 オンラインイベントも参加。
 若島正vs豊崎由美トークショーで、若島さんの若い頃の思い出深い読書経験。

bookandbeer.com
 若島さんの(党派的にならない)学究的な姿勢の原点や、個の立場から文学をとらえる大きな力になった多ジャンル(映画や音楽)への深い造詣といったところが確認された。豊崎さんの引き出しも巧みで、素晴らしいトークショーであった。若島さんが、初めて読み通された洋書が最近新訳で出たリチャード・ライト『ネイティブサン アメリカの息子』だということは知っていたが、そこに「(英語といっても)一人一人の人間の言語がある」(あくまでも大意です、為念)と認識したというところが最も心に残った。
mainichi.jp