異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 連載「放克犬のおすすめポピュラー音楽本」 第12回『タイムラインの殺人者』アナリー・ニューイッツ

~真のパンク精神に満ちた、歴史改変SFの傑作~
 2022年からの時間旅行者テスは、1992年カリフォルニア州のアーヴァインで行われるライブを目の当たりにする興奮を隠せずにいるが、実は歴史観光目的ではない。
 テスは<ハリエットの娘たち>のメンバーで、時計の針を巻き戻して女性を抑圧したままにしようとする<コムストック信奉者>の暗躍を、食い止めようとしているのだ。
 そして激しい歴史改変の戦いはの舞台は、1893年のシカゴ万博の〝アルジェリア劇場”のダンサーを巻き込み、やがて紀元前、さらにはとんでもない過去まで遡っていき、後半は時間のスケール感も増し、タイムトラベル技術の謎に迫り、また歴史を変えるのは偉人なのか集団行動なのかというディスカッションが行われるというSFならではの楽しみも満載である。
 さて、本書の背景は巻末の橋本輝幸氏の解説にコンパクトかつピンポイントの内容で詳しいので、是非そちらを参照していただきたい。
 が、一応簡単にこちらでも記しておくと、このハリエットとは解放奴隷で、<地下鉄道>(奴隷の逃亡を助ける地下組織)を牽引したハリエット・タブマン(Harriet Tubman)であり、コムストックとはアンソニー・コムストック(Anthony Comstock)、道徳を盾に郵便の制限という手法で避妊や中絶の医学情報まで制限を行ったコムストック法を成立させた人物である(コムストックとコムストック法のことは恥ずかしながら本書で知った)。
 反動的、差別的な勢力による人権への抑圧が問題となっている昨今、非常にタイムリーな内容だ。
 現実に行われている抑圧をテーマとしていること、それから1969年カリフォルニア州生まれの本人の自伝的要素をはらんでいるため、その戦いはリアルかつヘヴィなものとなっている。
 その分、SFらしい大胆な思考実験でありながら、女性たちの戦いの難しさと切実さがストレートに伝わってくる。
 特にシカゴ万博での女性たちが力を合わせるところは、多くの読者の目頭が熱くするだろう。
 そういえばボブ・ディランのTheme Time Radio Hourというラジオ番組のシリーズで、彼によるタブマンの紹介でHarriet Tubman carried a gunという一節が耳に残っている。身を守るだけではなく、怖じ気づく奴隷たちを威嚇するためだったという逸話だ。"You'll be free or die."ということであり、<ハリエットの娘たち>も命をかけて戦う。
 間違いなく必読の一冊だろう。
 これまた解説にあるように、本作の背景90年代のRiot grrrlと呼ばれるパンクムーヴメントであり、既存の男性中心のパンクムーヴメントやサイバーパンクへの違和感のようだ。
 実際、本書では冒頭の1992年の場面でもパンクミュージックシーン自体の空虚性が指摘されている。
 この辺りは、オリジナルのパンク時代の空気を知りながら、その後辿った歴史も知る著者の世代ならではのクールかつ苦い視点と感じる。
 近い世代らしいパンク以外の様々な80年代音楽ネタはツボにくるのが個人的に大きな読みどころだが、なかでもエックス・レイ・スペックスが登場したのは嬉しかった。
 といっても(これまた恥ずかしながら)最近知ったばかりなのだが、エックス・レイ・スペックスはロンドンのパンクバンドで、女性ヴォーカルはPoly Styrene(つまりポリスチレン)というちょっと変わった名を持つ人だが、ソマリ人の父とスコットランドアイルランド系の母というルーツを持った人物で、2011年に亡くなってしまったのだが、遺作であるGeneration Indigoが(特に80年代音楽好きの胸を打つ)大傑作なのだ。
 作風など含め、ちょっとPhil Lynottを連想させる人物でもある。
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Generation Indigo

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 そういえば本作では上記のアルジェリアの他に、インド系や韓国系女性が活躍し、人種的な多様性も強く打ち出され、ここにも著者の主張が出ている。
 方向性には共感しつつ、男性寄りに歪められたパンクムーヴメントを根本から改革していこうという、著者の気概が十二分に伝わってくる。これぞ真のパンク精神、といえる一冊である。(2020年8月23日)