異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2017年8月に読んだ本

もう9月ですか・・・。とりあえず備忘録。

『解放されたフランケンシュタインブライアン・オールディス
 長年の読もうと思っていたが、ようやく読了。ストーリー的に軽いかな?と思ったところも荒俣宏解説ではきちんと解き明かされていてさすが。ただ個人的に『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』とか多少書きとばし気味の作品の方が割と好みかもしれない。オールディス流文学論も割合直接的に登場するのも興味深い。(そうそう、これ8月の初めくらいに読んだんだが、その後19日にオールディスが亡くなった。ニューウェーブSFを代表する作家・評論家で、実作の方はまだまだ未読が多いがその奇想や理論家としての視座には随分影響を受けた。R.I.P.)

『書架の探偵』ジーン・ウルフ
 書架にいる探偵、擬人化された(リクローン)本が探偵として活躍するという笑ってしまう設定がぬけぬけとそのまま本格ミステリとして進行する遊び心が楽しい一冊。近年のウルフは余裕綽々と楽しんで書いている印象がある。細部はいろいろ気になるのはいつもながらだが。

ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』西寺郷太
 『プリンス論』も良かったが、こちらも素晴らしかった。とかく軽んじられがちな80年代メジャーポピュラー音楽シーンをブラックミュージックの視点から精緻に検証し再評価をしていく姿勢には、80年代音楽育ちとして頭が下がる思いだ。ミュージシャンでトークもいける多方面にポテンシャルの高い著者だが、一方本職の音楽評論家たちはいったい何をしているのだろうという感想も出てしまう。

SFマガジン2012年5月号」
 読み切りのみ。
錬金術師(後篇)」パオロ・バチガルピ
(前篇は前月号) トバイアス・S・バッケルのThe Excutionessと同設定のシェアード・ワールドもの。魔術師や錬金術師の登場する異世界ファンタジーもの。しかし絶望的な状況と追い込まれた人物が見せる情念はいつもながら。面白かった。
この号はイアン・マクドナルド特集。
「ソロモン・ガースキーの創世記」不死を手に入れたナノ=エンジニアを主人公とするスケールの大きいSF。まあまあかな。
「掘る」火星を舞台にしたYA向けアンソロジー収録作。テラフォーミングではなく掘削で都市をつくるというアイディアがユニーク。
サイバラバード・デイズ』刊行記念特集だが、いずれもインドものではないのね。北アイルランド居住で英国周縁からの視点を大事にしているとわかるインタビューは良かった。

ある日どこかでリチャード・マシスン
 鮮烈なホラーの印象が強いマシスンだが、本編はタイムトラベルもののファンタジー。オーソドックスなラヴストーリーで基本的な骨格は実にシンプルだが、フィニイを踏襲した19世紀末の風物のディテールと抜群のストーリーテリングで飽きさせない。作品背景が詳細に紹介されている瀬名秀明氏の解説も素晴らしい。

『縮みゆく男』リチャード・マシスン
 これまたシンプルなアイディアをサスペンスフルに描くことができるマシスンの手腕が発揮された一編。なにしろタイトルで既に出オチみたいな話をカットバックの手法で(発表後60年経っても現代のスピード感覚で読んでいくことができるのだから。町山氏の解説のように豊かだったはずの50年代アメリカ家庭の父親が実存的不安にさらされているというのは納得だが、現代の眼でみると主人公は悲劇的な運命をたどるもののむしろつまらないプライドにこだわる自己中心的な人物だという印象で皮肉なコメディとしても読める。終盤の展開にはまた異なる面があるもののそこはバランスをとったということなのではないかと思われる(3つの解説にあるような文学的考察には正直違和感を覚える。基本的にマシスンは高い技量を持つエンターテインメント作家で理屈抜きに楽しめるところに最大の魅力があり、シリアスにも受け取れる面があるとしてもそれは結果的なものではないかと思う)。発表時期は異なるが「ある日どこかで」での真摯な主人公との描きわけにも作家としての幅の広さを感じさせる。

『トリフィドの日』ジョン・ウィンダム
 放射能の影響といういかにも時代を感じさせる内容たが、淡々と終末を迎える世界の状況を描くあたり英国SFらしい伝統が見られる。ただ破滅する世界の描写、主人公の心象風景などバラード的な終末感とは明らかに違いがあり、危機的な世界を特権的な立場の主人公が傍観者としてシミュレーションしているようなSFジャンルの長年の構造上の欠陥が本作にも現れている。

2017年7月に読んだ本

『黒檀』カプシチンスキ
 長期間に渡りまた非常に広範囲に及ぶアフリカのルポルタージュ集。危険をおかすことも厭わず外からの視点を超え現地に踏み込み記録し得ぬものを記録しようとする情熱と筆力がすごい。残した作品が世界各地にも広がっていたことにも驚かされた。他の著作も気になるが果たして時間があるか・・・。

『所有せざる人々』アーシュラ・K・ル・グィン
 これまたようやく初読。文明化され過剰な欲望を有する(そして女性差別的な、我々が現在住んでいる世の中が象徴された)世界と文明的には遅れているが平等だが抑制的なところも強い世界とが対照化され描かれる。ル・グィンの堅実で精緻な筆にはいわゆる高揚感をあおるようなダイナミックなSFアイディアの面白さを期待する読者には静か過ぎるようにも思えるかもしれないが、描かれる世界は発表されてから時間を経てなお立体的で現在に通じる身近な問題として感じられる。特に科学者の両義性を描いた部分が今日的で重要な視点だろう。

中村とうよう 音楽評論家の時代』田中勝則
 中村とうようの持ち味が特徴だった80年のミュージックマガジンを愛読していた身には、詳細かつネガティヴな側面も触れらている丁寧な評伝で興味深かった。中村とうようはその批評した音楽の幅や世界の音楽をそれまでの印象批評や民族音楽の学術研究とも異なる新たな視点でとらえた功績の半面で極端な物言いでトラブルも絶えなかった毀誉褒貶の激しい人物として知られていたが、間違いなく戦後のポピュラー音楽の聴き手(時にプロデューサーとして送り手でもあったが)文化を代表する人物でそれを「音楽評論家の時代」としてとらえたのが本書の肝であろう。丹念な取材に基づき、相当昔の時代に中村とうようへ影響を及ぼした先駆者たちにもスポットライトを当て、狭いジャンルの王様として君臨するのを拒否した中村とうようのキャリアを尊重ししっかりとネガティヴな面も描き出しているところに著者の自負が感じ取れる。ポピュラー音楽というある一つの世界に全てをかけた人物の生涯の記録として読むこともできる。面白かった。

タイタンの妖女カート・ヴォネガット・ジュニア
 全米一の大富豪マラカイ・コンスタントが時空を操るウィンストン・ナイルズ・ラムファードにより宇宙スケールで数奇な旅をする話。ユーモアに包まれているが基本的には戦争など苦痛に満ちた運命と個人の内面をめぐって、人間はいかに生きるかがテーマで全体にヘヴィな内容だ。ワイドスクリーンバロックのバカバカしさは痛快さは良い悪いは別として微塵も感じられない。オールディスはいったい何をいいたかったのだろう(笑)。個人的にはラムファード夫妻とコンスタントの不思議な関係が気になる。

『ヒドゥン・オーサーズ』(惑星と口笛ブックス)
 西崎憲さんによる電子書籍のアンソロジー。型にとらわれないユニークな作家が並んで普段読めないような小説ばかりで刺激的だった。斎藤見咲子、ノリ・ケンゾウ、若草のみち、伴名練、杉山モナミ、深沢レナ、(相変わらずの言語感覚の)深堀骨が印象に残った。巻末の個性的なプロフィールも読みどころだ。

マルコ・ポーロの見えない都市』イタロ・カルヴィーノ
 これまた世評高い本だが初読。短い章が沢山並び、基本的にはある都市についてマルコ・ポーロが語るパートとフピライ汗がやり取りをするパートの2つで構成されている。前者は「都市と〜」という見出しがついていて同じ見出しの情報は前から番号がつけららている。ランダムについているかと思いきや番号の方に一定の法則性があり幾何学的な構成になっている。同じ見出しのを取り出して順番に読むとまた印象が変わるのかもしれない。SF・幻想文学好きとしては「都市と死者」が特に面白かった。

異世界の書』ウンベルト・エーコ
 一種の図鑑といえるような本でちびちびと一年間くらいかけて読了。各種テーマ別の異世界を章毎に美しい図録とさすがの豊富な知識で紹介した、著者のまさしく博覧強記が存分に発揮された一冊。人間の想像力の豊かさよりも奇妙さの方が印象に残る。なかなかのお値打ち本だがこれが書棚にあると気分が上がるのよね(笑)。

ラヴクラフト全集 3』
ラヴクラフト全集 4』H・P・ラヴクラフト
 サイト<奇妙な世界の片隅で>のkazuouさん主催の読書会のテーマがラヴクラフトということでその準備として、休みもあったので3、4と続けて読んでみた。読んでみて、いわゆる科学に対する意識が割と強い作家だなあという印象が強まった。ある登場人物がなんらかの謎に疑問を持ち、恐ろしい秘密が明らかになる。定型的、ワンパターンといわれがちなラヴクラフトだが、薬物、忌まわしい因縁の館、都市の遺跡、解読不能の書物、自らが自らでは無くなる不安、新しいテクノロジーなど様々な題材を使っていることに気づく。
 「家のなかの絵」(3)「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」(4)では海外の事物、「潜み棲む恐怖」(3)や「眠りの壁の彼方」(4)では見捨てられた貧しい者たちといった題材には作者の生活圏外の未知なるものへの恐れが読み取れる(差別者であることをこちらが意識してしまうからかもしれないいが)。SFファンにも人気があるのは新しいテクノロジーへの興味があるところで(それこそ『フランケンシュタイン』からの伝統だろう)、「時間からの影」(3)「宇宙からの色」(4)「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」(4)「冷気」(4)「狂気の山脈にて」(4)などにそのセンスが出ている。特によかったのは3では人間ではないものに変化する側の視点で描かれた「アウトサイダー」、時空間に関する科学的視点からスケールの大きな凶々しい宇宙史が展開される作者らしい傑作「時間からの影」、4では疑似科学的な歪んだ理論が印象的な『宇宙の色」、読書会でも人気だったどことなくユーモラスな「冷気」(この時代にもう冷房があった驚き!)、話運びがスムースではないため少々読みにくいが南極+怪物+これまた異様な疑似科学描写+壮大で暗黒な宇宙史とぶっ飛びぶりが凄い「狂気の山脈にて」あたり。まだ十分に読めていない作家なので雑感だが、(必ずしもアカデミックではないが)好奇心旺盛でいろんな知識を持っていた人物だがそれが虚構とはいえどれも恐怖に結びついていくという感性のひずみ具合にどことなくフィリップ・K・ディックと共通するものが感じられる。また現代科学の黎明期に登場したフィクションということでコナン・ドイルによるミステリ、H・G・ウェルズによるSFと同根なのではないかと思わせるところもあり、この辺の時代はやはり興味深い。一方読書会では怪奇幻想文学の系譜としてのラヴクラフトについての言及があり、ダンセイニ・マッケン・ブラックウッド・ホジスンといった作家ももっと読まなくてはと思った。
 それからふと「SFの本」にラヴクラフトの記事が載っていたなあと思い出し調べてみたら6号で倉阪鬼一郎氏の「原形質への招待 H・P・ラヴクラフトとは誰か」というキャリアや代表作をコンパクトにまとめSFの影響についても言及された評論で非常に面白かった(ちゃんと読むのが随分遅れたがw)。

アルチンボルド展(@国立西洋美術館)に行ってきた

アルチンボルド展 公式サイト

 いろいろな物を重ねてつくった肖像画で子どもの頃から親しんでいた<寄せ絵>で有名なアルチンボルド
 実際に観られてほんとうにうれしい。人工物を使った寄せ絵はキュービズムの先駆といった感じがあったが、寄せ絵はもっと前からあったことや、静物画の開祖でもあったことや、宮廷画家だっただけでなく祝祭でも重要や役割を担っていたことなど面白かった。

2017年6月に読んだ本

『狂気の巡礼』ステファン・グラビンスキ
 科学的な比喩や考察がところどころにあるのがいい。オカルト風ミステリ「チェラヴァの問題」、時間SF風味の「サトゥルニン・セクトル」、ネイティヴ・アメリカンを題材にとった「煙の集落」など物語性の強い後半パートの「狂気の巡礼」の方が趣味に合う。

『永久戦争』P・K・ディック
 新潮文庫で出ている3冊あるディック短編集の一つ。「ジョンの世界」は名作「変種第二号」と内容が重なる部分が多いが、タイムトラベルなど後者よりバラエティに富んだアイディアが多く盛り込まれていたのが印象深い。サスペンスフルな「歴戦の勇士」も良かった。

『戦時生活』ルーシャス・シェパード
 南米を舞台にしたマジックリアリズム風ポリティカルSFといった感じか。骨組みはラヴ・ストーリーをコアにしたロードノヴェルで、必ずしもタイトルから推測されるようなヘヴィな戦争ものではなく、割とすいすい読める。当時だと気にならなかったかもしれないが、今から思うとやや男性視点が目立つかなあ。実は野球小説の要素もあるが、主人公はヤンキースファンでメッツファンとしては宗旨が合わない感じだ(笑)

『夫のちんぽが入らない』こだま
 読む前に想像していた内容とは随分異なっており。予想を超える壮絶な世界が展開され一気に読了。やるせない出来事が次々に起こる様子をそこはかとなく漂うユーモアでちょっと距離感を保って描く筆致が素晴らしい。

『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介
 中央アジアの架空の小国を舞台に内戦状態で男たちが逃げだしたために後宮の少女たちが国を治めるというライトノベル風の設定だが硬軟取り混ぜたあらゆる要素が巧みに組み合わされ、虚構の利点が生かされた現代的な傑作だった。劇中劇が重要な場面で効いてくるところが特に好み。

『ニガー・ヘヴン』カールヴァン・ヴェクテン
 1926年の作品で、解説によると「人種の議論と黒人文化をめぐる問題意識が先鋭化されつつあったハーレム・ルネッサンス絶頂期」にあたるらしい(ググったところニューヨークのハーレムという地域自体は1600年ごろからあり、1904年の地下鉄開通から建設ラッシュで多くの人々が住むようになり価格の低下から1920年辺りには黒人のハーレムが形成されたという流れのようだ)。現在ではタイトル自体読み上げるもの憚られるが、著者が白人であったことに加えて黒人文化に詳しいものの内容的に同情的とはいえない描写がたびたび登場することから当時もかなり物議を醸したようだ。ただアウトサイダーから見た冷たい切り口が黒人の中にある意識の違いを描写することに成功している感もあり、貴重な記録である側面は否定できない。ちなみに全体としては割とシンプルなロマンス小説である。

イベント<手塚眞プレゼンツ星くずサロン SPECIALパール兄弟meets 星くず兄弟>を覗いてきた

 
 <手塚眞プレゼンツ星くずサロン SPECIALパール兄弟meets 星くず兄弟>というイベントがあった。この<星くずサロン>定期的に行われているようなのだが、今回は自身が監督した1985年の映画「星くず兄弟の伝説」の続編が完成したことを記念して(公開は来年初めらしい)当時の関係深いメンバーでトーク&ライヴということになったようだ。
 参加した、といいたいところだが遅くなったので泣く泣く帰宅・・・(遠距離者の割には準備が不足してた)。
 実にSNS時代らしいきっかけで、パール兄弟の話をTwitter仲間としていて「実はパール兄弟好きなんだけどライヴには行ったことないんですよー」みたいなことを書いていたら、ヴォーカルのサエキけんぞう氏自ら「今度ライヴあるよ!」とのお誘いがいきなり。日程も空いていたので行くことに。
 多少忙しくて当日までイベントの内容をちゃんと把握していなかったので、遅くなることにあまり気づいておらずこれはしまったとら思いつつ途中での帰宅を決心・・・。失敗した・・・(同じところでやった<脱法ラジオ>も遅くまでやっていたから、早く気づくべきだったんだが)。
 まあそれはともかくイベント自体は大変面白かった。周囲も自分も洋楽中心に聴いていたので、東京の変化するロックシーンにはあまりアンテナがなく(友人たちは日本のメタルシーンはある程度押さえていた気はするが)断片的にしか知らなかったが、一番初めに好きになったバンドはPINKでパール兄弟も好きだったし後にはVIBRASTONEにもはまったという具合にとにかく自分の趣味は近田春夫氏周囲をぐるぐるしていたわけだ。前半のトークで映画『星くず兄弟の伝説』戸川京子が出ていたり、手塚氏が監督した「ケンタッキーの白い女」のヴィデオに岡崎京子が出ていたり、当時のアイコンたちのつながりはあまり知らなかった者には興味深い。もうちょっと当時のものを読んだり聴いたりしようかなあ。
 急速にシーンが変わっていく当時についてサエキ氏が「(物事の)時系列が非常に大事。1日1日というと大げさだが少なくとも月単位でとらえないといけない!」と正確性を強く求めていたのが印象的だった。予備知識がないため詳細は記憶が曖昧だが(悲)、近田氏が窪田晴男氏を見出したこと、映画のイベントなどで手塚眞氏がロックシーンと結びついたことなどが大きかったようだ(ざっくり)。
 それにしても今から思うとこの時期に架空のバンドをテーマにコンセプトアルバムを作り、それが映画になるというような近田氏の着想の新しさと行動力はホントに凄い。先駆性の塊みたいな人だ。
 一部のみしか観ていないので感想というには失礼だが、ライヴももちろん素晴らしかった。特に窪田氏のギターはやっぱりカッコよかった。多ジャンル混淆のサウンドを支えるリズム隊とキーボードの三人の演奏ももちろん最高で、時代をとらえた抜群のセンスを持ち表現力の高いヴォーカルのサエキ氏と合わせに実に強力な布陣であることがよくわかった。今年はパール兄弟としてはもうやらないらしいが(どうやらサエキ氏と窪田氏のユニットはどこかであるっぽい)、ちょっとスケジュールをチェックして是非再戦したい。
 そうそうSNS時代らしいエピソードをもう一つ。イベント後に気分が80年代になったので昔のことをつらつら考えていて1988年に来日したTrouble Funkのコンサート開始前にサエキ氏がいらして、友人と盛り上がったことを急に思い出した。そのことをtweetしたら、サエキ氏ご本人からご同意をしていただいた。その当時ご本人とそういったやり取りをすることになるとは想像もしていなかった。きっかけもTwitterからでいかにも現代らしいなあと感じた。