異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 グラビンスキを読んでみた

 2015年から3冊の短編集が刊行されたポーランドの作家グラビンスキ。
 1887年オーストリア=ハンガリー帝国ガリツィア生まれで20世紀前半に活躍したこの作家「ポーランドのポー」「ポーランドラヴクラフト」の異名をもち<ポーランド文学史上ほぼ唯一の恐怖小説ジャンルの古典的作家>ということだ。
スタニスワフ・レム推薦の選書にも作品が収録されたということで、そのつながりも気になり手にとってみた。(いずれも『動きの悪魔』による)
 読んでみると非常に面白くまた現代的な視点を持ち合わせた作家だということがわかる。
 2015年に初短編集として紹介されたのが『動きの悪魔』である。初短編集にして作品のバラエティを重視したものではなく、鉄道によるテーマ短編集だというのがユニーク。巻頭の「音無しの空間」がしんみりといい味わいだ。やがて解体される放置された迂回路をその日まで見守ろうとする引退した鉄道員の思いが切ないファンタジー。しかし一方でこの主人公はなにかにとりつかれた人物でもある。同様の人物は数多く登場する。たとえば暴力的で異様なポルノグラフィーのような「車室にて」、駅構内で妄想旅行の一人遊びを楽しむ人物がどことなく不気味でどことなくユーモラスな「永遠の乗客」、鉄道運転に固執する機関士を描いた「機関士グリット」、思い出の王国に自ら囚われていこうとする人物が描かれる「シャテラの記憶装置」。そのニューロティックな感性は現代的で、執筆された時代を考えると非常に先んじていたものと思われる。
また、大事故の前に発生する偽の警報をめぐる「偽りの警報」、幽霊列車をテーマにしたグラビンスキ版「X電車で行こう」(山野浩一作『鳥は今どこを飛ぶか』収録)とでも呼びたくなる「放浪列車」には読者を引き込むサスペンスがありその技巧も洗練されている。未来を舞台にした「奇妙な駅」、マシスンを思わせるようなSF風味のホラー「待避線」などにはSF的なセンスや疑似科学・疑似理論への強い関心がうかがえる。そういったセンスも大変現代的と感じられる。
 タイトル作にはラヴクラフトのような宇宙的恐怖の感覚がみえ、この辺が<ポーランドラヴクラフト>なのだろう。
一方で「トンネルのもぐらの寓話」にはなんとも奇妙でとぼけたユーモアがあり、多彩な顔がみえる作品集である。

 次に2016年に刊行された『狂気の巡礼』。
 <薔薇の丘にて>と<狂気の巡礼>の2つパートに分かれるが、これは元々本国ではそれぞれのタイトルの名の短編集2つを1冊に合わせて翻訳されたということだ。前半のパート<薔薇の丘にて>、そのタイトル作は壁の向こう側のハーブと薔薇の庭園に誘われる白昼夢のような官能的かつ非常に視覚的な傑作。擬似科学要素が入りこむのも作者らしい。感染症の恐ろしさをイメージした植物の病死が不気味な「狂気の農園」、奇怪な論理にとらわれた男を描く「接線に沿って」、久しぶりの再会から旧交を温めるようになった友人とのつきあいからとうの昔に亡くなった人物の記憶が甦る「海辺の別荘にて」など全体により怪奇色の濃い作品が並ぶ。また、人里離れた田舎で思索にふける人物が語り手の「影」や筆を折った作家が語り手の(後半パートにあたる)「領域」には芸術や創作に対する作者自身の考え方があらわれているように思われる。
 後半の<狂気の巡礼>は、精神エネルギーが場所や物に残り他の人間に影響をおよぼすという「灰色の部屋」、斬新なアイディアの奇想ミステリ「チェラヴァの問題」、時間SF風味の「サトゥルニン・セクトル」、ポーの影響が見える「大鴉」、ネイティヴ・アメリカンを題材にとった「煙の集落」など物語性とバラエティに富んだ内容で、個人的にはこちらの方に好きな作品が多かった。

 昨2017年に出た『火の書』は再びテーマのある短編集で今度は「火」である。煙突を舞台にした怪異譚「白いメガネザル」、呪われた場所に固執する男「火事場」、カルト化する精神病院を扱った「ゲブルたち」(レムの「主の変容病院」を連想させる)、特殊な嗜好性が背景にある「炎の結婚式」などなにかに取りつかれ人物がやはり目立つ。
他に火災統計から隠れた論理を見出そうといういかにもオカルト趣味の「四大精霊の復讐」、花火の描写が美しい残酷童話風味の「花火師」、火のイメージがキリスト教的なモチーフと結びついた「煉獄の魂の博物館」、民話風の妖しさが漂いセクシャルな内容で物議を醸したという「有毒ガス」も忘れ難い。『動きの悪魔』同様テーマが作品集にも関わらず単調に陥ることなく変化に富んでいて、作家としての技量の高さが感じられる。作品の端々には現代的な視点がのぞき、当時としての感覚的な新しさも感じられる。また疑似科学的な題材を好む一方で、インタビューでは理知的でかなりの論客であることがわかり、オカルト的なものに興味を持ちながら一定の距離を置いて創作をしていた人物のように思われる。

 全体として怪奇趣味の間に、現代人にも通じる強迫的な人物像や原初的なSFにも近接する疑似科学的論理、官能性に満ちた描写にこの作家らしさがある印象だ。ちなみにこの3冊どれも装丁が素晴らしく作家の資質にも相応う嗜好品としての美しさがある。
 さてもう一つ言及しておこう。
 この3冊に先立つ1994年の『東欧怪談集』(沼野光義編)で「シャモタ氏の恋人」(沼野光義訳)が収録されている。
憧れた麗人への思いが届き逢瀬を重ねるが、決まった日に訪問しなくてはいけないなど、奇妙な関係であった。
やがて渇望を抑えられない主人公は・・・。あらすじとしてはストレートないわゆるファムファタールものといえるが、立ち込める濃密な描写が印象的な傑作である。こちらの方も一読をおすすめしたい。