異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 『迷宮1000』ヤン・ヴァイス

~時代を超え英米の空想科学小説とはひと味もふた味も違うユニークな傑作~

 1987年初版、2016年東京創元社復刊フェアで刊行された作品。
 本屋でなんとなく気になって購入した本だったが、読んでみたら非常に面白かった。これだから本屋通いはやめられない。
 ふと目が覚めた主人公は記憶を失い自分が誰かわからなくなっている。そこは1000階もある超巨大建築。ポケットの手帳には、謎の人物オヒスファー・ミューラーの正体をつきとめタマーラ姫失踪の謎を解く探偵役をつとめなくてはならないことが書かれていたのだ・・・。
 骨格は本格探偵小説。しかし、この小説の舞台は空気より軽い奇跡の金属ソリウムで一変した世界。ミューラーはその利権で世界を牛耳るどころかソリウムでできた宇宙船による開発で得られた富までもわがものとしようとしているというスケールの大きさなのだ。
 また両腕のない殺し屋、こめかみにレンズのついた盲人、バチルス菌を武器にする男(他に血清や毒ガスも武器として使う者もいる)などなどインパクトの強い脇役も次から次へと登場するし、なにせ舞台が超巨大建築なので、そのなかに歓楽の町や証券取引所まであるのだ。
 そんな巨大な力を持つミューラーを相手にしなくてはいけない主人公ピーター・ブローク(名前は早々に明かされる)には一つ武器があった。実は姿が見えないのである。なんとこれは透明人間探偵の話なのだ!
 そして話は一風変わったRPGといった趣きで超巨大建築ミューラー館をさまよいながら次第に謎が解き明かされ読者を飽きさせないし、1001から始まるページ数や思い切ったタイポグラフィックの使い方も楽しい。
 なんとも大技的な設定とアイディアで驚かされるが実はこれ1929年の作品なのだ。現代科学黎明期で科学により世界が大きく変化する時代らしい大胆さはそこからだろうし、そこが作品のパワーになっている。またメリハリがあり親しみやすいストーリー展開と裏腹に頭蓋骨などしばしば死の影やグロテスクなイメージが現れるところは英米の空想科学小説とは異なる持ち味でそこも読みどころである。
 その陰には第一次大戦で従軍しシベリアに抑留されたという作者の体験があるのかもしれない。ソリウムは人間の視力を奪う作用があり、ミューラー館の建造を担った労働者は盲人となり必要な栄養分を錠剤でとりなんの希望もなく生きているだけだったり、一方歓楽街では手術などで快楽の増幅が図られているといった具合で早すぎたディストピア小説といった側面もある(オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界は1932年、ジョージ・オーウェルの『1984年』は1949年)。

 最も考えさせられるのは(解説で言及されているように)、既にしてナチスの収容所を予見しているかのような描写もがあるところだ。驚かされると同時に作者の懸念が的中してしまった人間の愚かさも感じなんとも複雑な気持ちになる。とにかく多面性のある本でSFファンはもちろんのこといろいろな人に知って欲しい本である。
 さて作者のヤン・ヴァイスの翻訳小説「遅れる鏡」が2016年に出た文学ムック「たべるのがおそい」vol.2にも載っている。

 こちらは光が遅れて反射する鏡のある円形劇場を舞台にした幻想小説でこれも美しくもグロテスクなイメージが印象的な一編だった。劇場(特に舞踏)、鏡、夢といったモチーフは『迷宮1000』と共通している。(2018年1月13日)