~作者の世界に存分に浸る幸福感が味わえる傑作~
やや耳馴染みのない言葉がタイトルの小説は第一部「グレート・ブリテン・イスラム共和国(IRGB)」から始まる。既におわかりの通り、これは現実の世界を舞台にしたものではない。気候変動で度重なる嵐が襲い、テロが頻発するという混乱状況にあり、イスラムに支配されているという近未来英国なのだ。作者の近年の翻訳長編『双生児』が第二次世界大戦を、『夢幻諸島から』が架空の群島を舞台にしていたのとは趣が異なり今回はSF色の強い設定である。
写真家ティボー・タラントは野戦病院に従事していた看護師である妻メラニーをテロにより亡くし、失意のなか帰国していた。メラニーの死を両親に伝えた彼を海外救援局の担当者がロンドンに送るため迎えにやってくる。混迷の続く世界状況のせいか、どうやら人々は自由に移動できなくなっているのだ。
しかし彼らは単なる送迎者ではない。彼がメラニーに同行して撮った写真には国家安全保障上の機密が存在するというのだ。どうやらメラニーを襲ったテロには謎があるらしい。そして彼は謎めいた女性から行動を共にしないかと誘われる。やがてメラニーが遭遇したテロで使われた兵器がは爆発区域が正三角形となるような新型のものであること、その技術が物理学者リートフェルトが発見した理論に基づくものであることが明らかになる。
ここまでが第一部のあらすじだが、全体で上下二段組590頁で八部構成からなる本書のイントロダクションでしかない。
その後は時折ティボーやその同時代の近未来パートをはさみつつ、第一次世界大戦中に戦局打開のために敵から航空機を見えなくする方法をつくるよう協力要請された奇術師の話となったり(そこではあの有名な大作家が登場!)、さらには第二次世界大戦のなんとも魅力的なラブロマンスが繰り広げられたり、なんとなんと『夢幻諸島から』と同じ≪ドリーム・アーキペラゴ≫を背景にした島プラチョウスまで出てくるのだ(本書全体のバランスを損ねずにちゃんと≪ドリーム・アーキペラゴ≫シリーズらしく不気味な異文化テイストがあるところがお見事!)。
さてこの「隣接」とはなにか。ひとつは本書のSF要素の核である「隣接場」なるアイディア、それにともなう隣接テクノロジーを指し示している(具体的には本書をご参照ください)。ただそれだけではない。
上記の第一次大戦で協力要請された奇術師は航空機を相手から消す方法について、奇術のテクニックを分析し
”べつの種類のミスディレクションは、隣接性の利用である。マジシャンはふたつの物体をそばに置く、あるいはなんらかの方法で両者を繋いだうえで、ひとつの物体のほうを観客にとってより興味深いものに(あるいはより謎めいたものに、あるいはより面白いものに)する。(中略)―大事なのは、たとえ一瞬であっても、観客が興味を抱き、間違った方向に向くことなのだ。"(第二部より引用)
と考えをめぐらせている。
まさしく「語りの魔術師」プリースト自身の言葉にも見えてくる。というのは作品に登場する、時間・空間を超え多くの人物やエピソードは、少しずつ違いがありながらしかし関連しつつ進行していくからである。そこから立ち上がるのは錯覚を誘う幾重にもずらされた立体写真のようで、プリーストの真骨頂といえる。
特にクリスティーナとマイクのパートが大変ロマンティックで美しいシーンが多かった。全体に航空機の描写に力が入っていたという印象もある。
上記のように直接過去作とリンクする要素(『双生児』との重なりも実はある!)が多く、集大成的な要素もあるプリーストランドといった様相を呈した、特にファンには楽しみどころたっぷり、何度も読み返したくなる傑作である。もちろんプリースト初めての読者はパートを切り離して楽しんでもいいだろう。魅力的なエピソードが満載だからである。(2018年1月6日)