異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2024年1月に読んだ本

 年末年始には久しぶりに友人たちと会ったり、映画を観たりする予定だったのだが、体調を崩し、全部おじゃん(死語)。(現在は回復)
 ということで、自宅でダラダラ。そこで、積んでいたが肩の凝らなさそうな、北村薫<時と人 三部作>(と呼ばれてるのね、今回知った)を。
◆『スキップ』

 17歳の女子高校生が、ある日突然25年先の自分へ意識が飛んでしまう。ということで、SF的な設定が使われているものの、話の中心は「記憶が失われたまま17歳の状態に戻り、慣れない25年先の社会に適応しようと足掻く中年教師」による学園青春ドラマである。時間を跳躍させるとなると、過去をやり直す話が定番だが、それとは逆にいきなり若い時代を失ってしまった主人公を描く視点に意表をつかれた。学校あるいは教師ものは好みではないのだが、筆捌きでは世評の高い作者のこと、造詣の深い国文のエピソードを織り込みながら、澱みのない展開で一気に読ませる。
◆『リターン』

 『スキップ』と同じく、時間についてのSFアイディアを導入した人間ドラマだが、直接のシリーズものではなく、また別の独立した作品。本作は事故にあった主人公がある一日に閉じ込められる、といういわゆる時間ループものといえるだろう。日常世界とのわずかなつながりを保ちながら打開策を探るところやじっくりと心理が描かれるところの丁寧な筆致は相変わらず見事だが、終盤になってのサスペンス部分はやや唐突で構成のバランスが悪い気がした。また『スキップ』の方が面白かったのは、時間ものにはノスタルジアの要素が欠かせないからかもしれない。本作ではループしない方も日常世界の方も同じ現代でしかないので。
◆『リセット』

 本作は三部構成で、太平洋戦争前後の時代変化が視点人物によって語られ、その視点人物が複数現れて最後に全体の構造がわかる形になっている。Amazonの感想とかをざっと見ると、低評価にら「話が動くまでが退屈」といったものが散見される。これは『スキップ』『ターン』の一連の作品なので、時間アイディアがどうしたパターンなのか早めに提示されないと落ち着かない読者が一定の割合でいるということがわかる。構造を早めに把握しておきたいといことだろうが、そうなると自分の認識を超えた作品にどう対処するのか気になるね。要は、個人的には三作の中では一番良かったということ。その前半の重しが後半のドラマに効果的に作用している。三作ではこれが一番で、「スキップ』がその次で『ターン』が今一つ。時間ものは時代の落差が大きなポイントなのだなと感じて、時代背景が劇的な『リセット』とほぼ時代落差なしの『ターン』が弱い。あと『リセット』は「この世界の片隅に」を連想させる内容でもあったな。ちなみにp74に本筋とはあまり関係ないが、映画「ハワイ・マレー沖海戦」の話がちらっと出てくる。1942年の国策映画で、先日CSで最後の方だけ観た。円谷英二が特撮を担当しているだけあり、戦争シーンは後の「ゴジラ」と遜色ない出来で、技術的にはこの頃すでに完成していたことがわかった。
◆『遊戯の終わり』コルタサル

 単著を読むのは久しぶり。
I
「続いている公園」
再読。非常に理知的な構造になっていて、作者の創作姿勢が感じられる。
「誰も悪くはない」
 セーターをうまく着ることができない、という小説であるが、いやホントにそういう作品なのでびっくりする。
「殺虫剤」
 こちらは子供同士の世界が残酷な面まで生き生きと描かれている。細部に自伝的な面がないのかちょっと気になる。
「いまいましいドア」
 宿泊中のホテルで隣から音が聞こえてくる。ホラー的なシチュエーションの中に不思議な静謐さがある。
バッカスの巫女たち」
 クラシックコンサートでの熱狂がエスカレートする話。発想のコミカルな飛躍は現代小説に近いか。
II
「黄色い花」
 自らの生まれ変わりと思った少年に注目していく人物の話。因縁や巡り合わせといった方向には進まず、思いの外普遍的な視野に広がっていく。
「夕食会」
 二人の書簡形式で、とある夕食会について片側の怒りが表明される。何度か読んでみたが、ねじれた時間がどの様な意味を持つのか悩ましい作品である。
「楽団」
 知人が映画を観に行った劇場で、素人めいた楽団の演奏が始まってしまった話。妙なシチュエーションを作り出すのを得意としている印象を受ける。が、冒頭の「似たような出来事がもとで亡くなったルネ・クレヴェルの思い出に」とあって頭が混乱する。(ググるとルネ・クルヴェルというシュルレアリスムのアーティストがいたらしい)
「旧友」
 短い作品が並ぶ本書の中でも、とりわけ短い3ページの作品。ヒットマンが標的を狙う、それだけの内容だが、引き締まった文章と鮮やかな描写がなかなか良い。
「動機」
 殺された友人の謎を追うが、謎の女に惑わされ。これまた短い作品で、クライム・サスペンスを煮詰めてダイジェスト版か予告編を作ったような不思議な面白さがある。意図しての事かは分からないが。
「牡牛」
 ボクシング小説。これも短い中に鮮やかな描写とキレのよい文章が心地よい。ふと、ボルヘスが意外とストリートファイト的な場面を書いている事を連想したり。

「水底譚」
 語り手が見た恐ろしい夢は。これは割と明確な構造になっている印象だが、それよりも水を中心とした幻想的な描写が美しい。
「昼食のあと」
 両親の命令であの子を散歩に連れて行かなくてはいけない。あの子、をめぐるあれこれが描写されるが結局よく分からず落ち着かなくなる。後期の筒井康隆を連想させる、と思ったがなんのことはない、この本自体が筒井康隆の読書歴開陳書評集『漂流 本から本へ』に載っていた。

山椒魚
 山椒魚に魅せられた主人公の話。これも割と図式化してしまうと似たパターンはよく見られるタイプだが、やはり描写に魅力があって読ませるんだよな。
「夜、あおむけにされて」
 この作品も「水底譚」と同じく夢がモチーフになっている怪奇譚で、匂いの描写が印象に残る。
「遊戯の終わり」
 鉄道の沿線で、車窓に向かって活人画あるいは彫像を見せるという遊びを始めた三人の少女。やがて、鉄道の中でそれに気づいた若者が現れて。これもこれまで聞いた事がないようなユニークな状況設定。切ない青春小説でもあり、傑作。
 理知的に作品を構築している作家という印象を受けるが、発想がユニークで文章表現も豊かであり、独自の文学世界を確立している。特に良かったものを挙げると「続いている公園」「だれも悪くはない」「バッカスの巫女たち」「黄色い花」「遊戯の終わり」といったところ。
◆『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』ジョン・スラデック

 次々に繰り出されるダークなエピソードは、(既に指摘があるが)ノワールといっていいが、全体はコメディ。アイロニカルでキツめなジョークの冴えは作者ならでは。言葉遊びの仕掛け(気づかなかった)など詳細な解説もありがたい。訳出に感謝したい。
◆『見えない流れ』: エムナ・ベルハージ・ヤヒヤ

 チュニジアの首都チュニスを舞台に、中年の兄妹ヤーシーンとアイーダ、家族や周囲の人々の日常的な出来事、そしてそれに対する意見交換などが綴られる現代小説。現代のチュニジアの人々の生活が伝わってくる実直な小説で後味もさわやかだが、ちょっと自分には生真面目過ぎるかな。