異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 今度は第3回シミルボンコラム大賞落選作の1本目(笑) J・G・バラード作品と時間

 
 ※この頃シミルボンが楽しくて。
 第3回シミルボンコラム大賞(お題「時間とSF」)に3本も応募していたわけです(元気だったなあ(笑)。
で、落選作の1つ目「J・G・バラード作品と時間」です。
 さて落選理由だが(牧さんに指摘されて納得だったのだが)手堅いもののちょっと面白みが欠けているね。ただ当時は(もう1本の落選作含め)どれも似たような出来に思えたのよね(今読むとディックのが一番よく書けている)。こうしたレビューのような目的が割とはっきりしているタイプのものであっても、自分のつくった物の客観評価は難しいということなのだろうね。(以下本文)
 J・G・バラードは初期作品から時間をテーマにしている。
 先頃刊行されたJ・G・バラード短編全集1『時の声』、2『歌う彫刻』にも時間をテーマにした作品が目立つ。
 自らも「時間はすべてのSF小説にとっての大きなテーマであり、わたし自身の作品のほとんどを支配するものでもある。(以下略)」(上記『歌う彫刻』収録作品解題より)と語っている。
1956年発表のデビュー短編「プリマ・ベラドンナ」と同時期に書かれた「エスケープメント」(2作共に上記『時の声』収録)はループする時間をテーマにした掌編だが、時間と意識についての視点が垣間見える。
「重荷を負いすぎた男」(1963年)(上記『歌う彫刻』収録)自らの意識を変化させることによって外界から遊離する人物も、意識による時間の超越といったアイディアともいえる。
 こうしたシンプルなアイディアストーリーではバラードの問題意識は背景にとどまるのみだが、「時間都市」(1960年)(上記『時の声』収録)の主人公コンラッドは時間の計測に取りつかれた偏執的な実にバラードらしい人物で、人口過密で過度に複雑化した都市で人々の生活がスケジュール管理されるいわば”時間ディストピア”社会が描かれ時間がメインテーマになっている(時間警察、というのがタイムパトロールではなく市民に対するスケジュール管理への抵抗者や個人の時計所有を取り締まる組織だという発想のユニークさにうならされる)。
 印象的なのはいたるところ時計にあふれた時間都市(クロノポリス)の描写である。
 鉄道網、高速道路、超高層アパートなど高度に機能化され人間の去った都市では全ての時計が同時刻で止まっている。その静謐で不思議な安らぎに満ちた光景は、加速度的に進む文明社会へのバラードな危機感とその一方で倒錯的な美に満ちている。
 「時間都市」は一つの都市の終りが描かれるが、「時の声」(1960年)(上記『時の声』収録)では気の遠くなるようなスケール、宇宙の終りがテーマである。
五百人以上におよぶ末期の夢遊病患者をかかえる神経疾患病棟、自殺した研究者がプールの底一面に残した解読不明の文字によるメッセージ、放射線防護のために異様な進化を遂げた生物たちといかにもバラードらしい終末感に彩られた道具立てが、生物進化の袋小路や宇宙からのメッセージというSFらしいアイディアを経て壮大なスケールへと広がっていく。
 バラードの中でもいわゆるSFらしさの強い作品である。
 クライマックスで自らに人体実験を施し、<時の声>を聞いたパワーズの眼前に広がる心象風景はまさしく「外なる現実と内なる精神が融け合う場所」自身の提唱した「内宇宙」を現出させたものであり、SF史上でも特筆すべき美しい瞬間だろう。
 そしてその光景は破滅的でありながら穏やかで美しい。
 バラードの主人公たちはそんな破滅の美しさに魅了されている。
 そしてその終末的世界はしばしば時間のイメージが重ね合わされる。
 「時の声」で作品の終盤に印象的な場面がある。世界の行く末を見つめるコルドレンがパワーズの死を確認し警察を呼びに行く場面で残るコーマに「時計をこわさせないように、たのむ」と声をかけるのだ。
 これはコルドレンがまだ時間にとらわれていることを象徴しているのか?
あるいはいつしか全てが終り時が止まるのを見つめたいという欲望なのか?
ところで破滅的な世界と時計というとトランプ米大統領の発言による話題になった世界終末時計だろう。
核戦争の危機に直面した時代に生まれた世界終末時計は、第三次世界大戦の緊張を描いたアメリカンコミックの金字塔『ウォッチメン』のコアイメージの一つであり、作品には繰り返し終末を示す午前零時寸前の時計が出てくる。 
 バラードの代表作とされ世界が結晶化する世界が描かれる『結晶世界』では、全てが結晶化する森は「空間と時間の最後の結婚」が行われる場所だとされている。
 そこは空間も時間もない場所であるともいえる。
 時間も失われるということは時間が止まるということと等価なのだろうか?
 時間が失われる瞬間、果たして時計は止まるのだろうか?
 そんな時間が失われる世界こそが強迫的に時間にとらわれた人々の最後の安息地である、という倒錯がバラード作品に繰り返し現れるモチーフなのだ。(2017年5月10日)