異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2021年10月に読んだ本など

 そうそう、まずは読書会とイベント参加について。
 まずは名古屋SF読書会。
www.ne.jp
お題は劉慈欣『三体Ⅲ』。何度かお邪魔しているが、このご時世にオンラインでやっていただけるのはありがたい!
大長編のあらすじがまとまっている労作のレジュメに従って、アイディアの謎の部分やキャラクターの話、米英SFとの落差などいろいろ興味深い話題が出た。正直、『Ⅲ』はかなりハードコアなSFアイディア満載のぶっ飛んだ話なので、一読ではよく把握できていないことも個人的には思い知らされた感じでもあったが…。あと例によって恋愛シーン、女性描写の難が指摘される、SFあるあるもあったな(苦笑)。
とにかく今回も楽しかったです。スタッフの皆様ほんとうにありがとうございました!
 京都SFフェスティバルも参加。
kyofes.kusfa.jp
もちろんこちらもオンライン。橋本輝幸さんの最新SF情報、円城塔作品分析の話、いずれも知らないことが多く参考になった(円城塔の数学的解析は自分には難しいが、解析的に大いに重要な発見が得られそうで有望な分野なのではないかと感じられた)。スタッフの皆様ほんとうにありがとうございました。

さてその他。
◆『エシュティ・コルネール もう一人の私』コストラーニ・デジェー(出版社:未知谷)
 1885年生まれの作家コストラーニ・デジェーによる、エシュティ・コルネールという作家が遭遇した出来事が描かれる作品。断章で、様々なエピソードがつづられる形式。それおぞれ長いタイトルがついていて、そのままの話なのでいわばネタバレタイトルなんだが、別にオチがどうのというタイプの小説でもないので特に気にならない。第11章の歴史上の人物に似てるスタッフばかりのホテルとか、第12章でどんなシチュエーションでも上手に居眠りをする恩師を擁護したり、第16章では命の恩人に便宜を図っていたらどんどん頼ってくるようになり鬱陶しくなる話とか不思議な空気やユーモアがあって面白かった。
◆『独裁者のブーツ: イラストは抵抗する』ヨゼフ・チャペック(出版社:共和国)
 カレル・チャペックの兄ヨゼフの反ナチス・反ファシズム諷刺イラスト集。作者50歳の記念で連載が行われたもののようだが、折しもナチズムがヨーロッパを脅かす時代、現代の諷刺画・コミックにも通ずるような太い線を中心としヴィヴィッドなスタイルで鋭く世相をとらえる。やがて強制収容所で生涯を終える、個の視点で激動のプラハを見つめた不器用にも思える歩みを追ったノンフィクション部分も大いに充実。大変良い本だった。
 たまたま2冊小出版社の本を読んだが、ダイレクトに本を出したい情熱が伝わってくる温かみがあるのが大きな魅力だと感じた。『独裁者のブーツ』の方は職場の近くでやっていたブックフェアで見かけた本で、偶然の出会いだったんだよね。今後もこうした出版社に注目していきたい。
◆『コインロッカー・ベイビーズ村上龍
 刊行から数年程度で購入していたが、結局随分経って先日読み始め読了。コインロッカーに捨てられた少年二人の辿る数奇な運命を描く作品。奥付が1984年だから読み終えるのにいちおう40年は経っていないな(苦笑)。ということで、ちょっと時代のモードのずれみたいなものはある。例えば音楽業界のビジネスの在り様など、戦後の影を引きずっている要素があり、昭和な作品なのだなと感じられる。
 ただし、この小説は完全な現代小説ではなく、当時から見ての近未来が舞台となっていて、そうした異化作用のため、全体としては時代の落差を感じる部分は細部にとどまる。それからこの作品は、社会全体をシミュレーションするような視点が中心になるSFというわけではない。近未来を舞台にしているのは、少し違った(当時の)現代日本を作品世界の背景にすることにより想像力を膨らませることが目的で、あくまでも同時代の現代社会を描く作品だ。そういう意味では、暴力と人間、文明の発達による変質する人間といったテーマを持つ、J.G.バラード後期の長編群(『コカイン・ナイト』以降)と共通する部分が感じられる。洗脳、テロリズムといった切り口も有しており、先駆性という意味でもバラードと相通ずるのではないだろうか。
 しかし全体のトーンはバラードと異なり、寓話性が強く、より物語性とパッションが前面に出ている。展開も起伏に富んで、次々に思いもかけないことがおこる小説でもある。必ずしも端正な小説ではなく、暴力的な描写が多いことを除いても、多様なエピソードに多くの個性的な登場人物がからむ、どことなくゴツゴツした手触り作品である。いまだに多くの支持を集めるのはそうした多面的な顔を持つこと、暴力的な面を多く含むが寓話的で非日常的なタイプの作品であることが要因の一部だろう。
◆『中性子星』ラリイ・ニーヴン
 ニーヴンは良くない意味でのアメリカンのライトなノリが感じられて、長いこと敬遠気味だったが、(まあこちらもいろんな小説に慣れてきて)なるほど宇宙冒険SFの科学的・(当時の)現代的に洗練されたスタイルだったのだなあと高い評価を得ていた理由がよく分かった(今更ではあるが)。一種の巻き込まれ型主人公であるベーオウルフ・シェイファーの登場する、表題作や「銀河の<核>へ」などが面白かったかな。ただ、未来人があくまでも現代人の延長戦でしかないのが多くのSFのツラいところ…いやそれどころか、その<現代人>の価値観が、(たとえば主人公の一人が子どもを持ちたがっているところとか)既に時代のずれを感じさせて、いっそうツラかったりしてしまうのも否めない(何せ翻訳は1980年、原書は1968年発表の短編集なので)。