異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 まずは思い出の第3回シミルボンコラム大賞受賞作!『逆まわりの世界』フィリップ・K・ディック

 
 以前読書サイト<シミルボン>の終了ついては書いたが、10月1日で完全終了。
 これまで<シミルボン>投稿分はこのブログからリンクするかたちにしていたが、そちらが読めなくなるので転記することに。
 内容は当然重なる可能性があり、ミステリも少しありますが、ネタバレは大きなものはないはずなのでそのまま再投稿しますし、基本的に本人チェックなので誤字脱字チェックも不十分だとは思います。まあそこも全部含めご容赦を。
 シミルボンのレビューやコラムには必ずタイトルがあったので、波線(~)の間がその時のタイトルです。
 最後に投稿日も記載しました(その後修正したものもありますが、大きく修正したものはあまりなかったはずなので、最初の投稿日を記載しています。また当ブログへの再投稿の整理のために記載日が前後したりしていますがそこもまあ大きな目でどうぞ!)。
 何度も言及していて当ブログに何度も訪れていただいた方には飽きただろうけれども(苦笑)、シミルボンといえばなんといっても第3回シミルボンコラム大賞受賞が嬉しかった。
 これねえ長年活躍をされているSFレビューのビッグネームも投稿していたのよー。
 ラッキーパンチ、あるいは瞬間最大風速のようなものだけれど選ばれたのはホントに励みになったし、嬉しかったなあ。
 ファシリテータの牧眞司さんは、昔から大変お世話になっているSFファンの大先輩の大御所。
 もちろん選者として誰からの応募かわからないように選出しているのだけれど、受賞の知らせの後すぐにSFセミナーがあって、あまりに嬉しかったのでいきなり牧さんにお礼をいってしまった。すると、これを当ブログ主が書いたとまだお気づきでなかったため、「君だったのか!」と結局驚かせてしまうことになったのもまた良い思い出。
 受賞後の対談までさせていただき、旧知ではあり長く尊敬の念を持って文章を読んだりしていたが(SFファン活動自体はしていなかったこともあり)、じっくりお話しする機会はなかった牧さんと一対一での対談をさせていただくなど今でも夢の様である。
 (対談記事の変な格好でSFファンの一部にウケたのも大成功であった(笑)
 またいい気になって再挑戦した第6回コラム大賞では見事に落選したのもまた良い思い出。
 いろいろと読書生活を豊かにしていただいた。
 さて、ということで再投稿、まずはコラム大賞受賞作から。
 続けてコラム大賞落選作(笑)。
 あと、定期的にお題も出ていて、それを利用したこともあり、それも続けて再投稿していく(アマチュアにはお題があった方が書きやすいので良い企画だったと思う)。
 それから、シミルボンにおいての「連載」という形式のもの(もちろんこれは依頼があったわけではなく、自由に投稿可能)。
 連載は「放克犬のおすすめポピュラー音楽本」といわゆる異色作家短篇系の「奇妙な味を求めて」の2つ。
 受賞作・投降作、連載は一気に基本的に毎日再投稿の予定。
 で、残りはぼちぼちといきます。
 では参りますね。
<第3回シミルボンコラム大賞受賞作>(※テーマは「時間とSF」)
『逆まわりの世界』フィリップ・K・ディック
~時代の変革期を反映したディック中期の異色作『逆まわりの世界』~
 1986年ホバート位相という時間逆転現象で死者が甦るようになり世界は一変していた。
小説の舞台はその現象が定着してしばらく経っている1998年。
既に死者の甦りは日常化し、そうした死者(老生者=オールド・ボーンと呼ばれている)を発見する役割を担うのは巡回する警察官で、その後再生と保護者への売却を担う施設へ通報するのだ。
そして生者は時を追うごとに若返りやがて子宮へと回帰するのだが、その子宮は誰のものでも構わないというなんとも奇妙な世界である。
 そんな中、黒人解放家にしてユーディ教の始祖トマス・ピークの再生が近いことが問題となる。
第三次・四次世界大戦で分裂し黒人解放区が生まれたアメリカにおいて彼の存在が政治や宗教に大きく影響を与えるためである。
 このトマス・ピークの所有問題を背景に、再生施設ヘルメス・バイタリュウム商会のセバスチャン・ヘルメスの妻ロッタの誘拐をめぐりパーソナルな三角(四角?)関係を交えながら、逆行する時間で失われる情報の消去責任を担う<消去局>や市民特殊図書館、警察といった勢力がロボットやドラッグといった道具立てで虚々実々の駆け引きを繰り広げるというディックファンには馴染み深いストーリーが展開される。
 実はこの『逆まわりの世界』短編版が存在する(『模造記憶』収録)。
 こちらの方は長編版ではややサイド・ストーリー的に扱われるある論文がメイン・アイディアに据えられ世界のカギを握っており、テキストが世界の謎を解く重要な結節点となるという意味において『高い城の男』を連想させる内容で、全体的におどろおどろしい雰囲気の少ない明快なアイディア・ストーリーといった趣である。
 一方長編版で印象深いのは全体を覆う生死をめぐる宗教的な影だ。
宗教的なモチーフは珍しくないディックで啓示にうたれた晩年には作品の主題となっていくものの、本作は人工的なSFガジェットにあふれ現実離れした舞台設定が多い中期の作品にしてはそうした要素がかなり前面に出ているものではないだろうか。
 たびたび宗教的なディスカッションが登場人物で交わされるのもそうだが、そもそも老生者は生き返っても自ら地上に出られないので傷がつかないように掘り出される作業が必要になり、しばらくの間は地中にとどまっていなくてはいけない。
また再生しても長い間寒気に苦しむといったおおよそ再生という言葉の明るい響きとは似ても似つかない陰鬱な光景が冒頭から繰り広げられている。
 このホバート位相は<終りのラッパ>に例えられ、キリスト教の黙示録のイメージが反映され、死者の復活にあたっても神父が立ち合いお祈りが行われる。
 再生しても彼らはこの世にいない死者に近い存在のようだ。
 同じく時間を扱った「時間飛行士たちへのささやかな贈り物」(1974年)(『時間飛行士たちへのささやかな贈り物』収録)で悪夢のような無限のループにとらえられた主人公たち、あるいは直接には時間SFではないもののコールドスリープ中に取り返しのつかない過去を思い浮かべ覚醒してしまう「凍った旅」(『悪夢機械』収録)(1980年)の主人公といった生死の狭間にとらわれた人々を連想させる。
 ディックにとっては時間を越える旅もけっして恩寵ではないのだ。
 この重苦しさはどこからきたのだろうと考えてみると書かれた時代を反映したものなのではないかと思われる。
架空の新興宗教ユーディ教、幻覚誘発剤で「何千人という人間が一つの存在に合体する」といういかにもアメリカ1960年代らしいまたディックらしい宗教だったりするが、なにより印象的なのは黒人指導者レイ・ロバーツがマルコムXに例えられるなど現実の公民権運動による時代の変革期へのディック自身の不安が垣間見えるところだ(本文中にキング牧師の名も登場する)。
 というのも長編版に先立って1966年に発表された短編版の前年である1965年にマルコムXは既に暗殺されているからである。
 本作で黒人解放区が設定されたのは激化する現実の白人と黒人の人種間対立を懸念しての妥協案として提示されたのかもしれないが、結局セバスチャンは社会の救済より個人の思いを優先させ、「マルコムXの暗殺の時代に逆行」させる。
社会問題と個人の感情に揺れ動く実にディックらしい等身大の登場人物であり、弱い人物であるともいえる。
さらにディックの暗い不安は本作発表翌年である1968年のキング牧師暗殺の悲劇として的中してしまう。
大きな時代の変化の中でちっぽけな人間の見せる心の動きが情けなくも悲しい。
 一見荒唐無稽なアイディアとガジェットの中で、弱い一個人の生々しい感情がみられはっとさせられるのがディックの真骨頂だ。
 全体に宗教的な影の強い本作にもその特徴はよく現れている。(2017年5月10日)
 (読んだのは古い方なのであえてリンクは旧版の方で)