異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 今度は第3回シミルボンコラム大賞落選作の2本目 泰平ヨンの時間SF

 
 (まあこれも踏み込みが足りなくて考察が甘い感じ。では以下が本文)
 泰平ヨンの時間SF(※追記 スタニスワフ・レムの<泰平ヨン>シリーズについてのコラム)
 偉大な作家となれば、あるテーマにどのようなアプローチをしたかをみることによって、そのテーマの性質が明らかになるに違いない。
そこでこの人、スタニスワフ・レムである。
しかしもちろん一筋縄ではいかない。独自に思索を深め、ジャンルSFの縮小再生産的なアプローチについては失望を隠そうとしないレムである。
 時間SFに関係する一文にはこんなものがある。
「(前略)たとえば、あり得ないタイム・マシーンがあり得ない時間旅行のパラドックスを示すために用いられている、というような時は?そういった場合には、SFは空虚なゲームを行っているのである。」(「SFの構造分析」『高い城・文学エッセイ』収録)
 時間SFといえばパラドックスをめぐるロジカルなエンターテインメントが一つの大きなサブジャンルとなりこれまで実に多くの作品が書かれてきたが「空虚なゲーム」とはまた手厳しい。
 ただ、メタフィクションや科学解説と多彩な顔を持つレムもそのキャリアの前半には楽しい時間SFを残してくれている。
20年以上も描き続けられ「現代のはらふき男爵」とも称されたレムを代表的するユーモアSFシリーズ<泰平ヨン>の短編集『泰平ヨンの航星日記』である。
 「第7回の旅」では重力渦のせいで時間が入り乱れ、いろんな時間帯の泰平ヨンが同時に現れ互いに諍いをおこし、収集がつかなくなる。タイムループもののパターンといえるが、自ら予想されるトラブルをなぜ回避できないかがきちんと処理される論理性もさることながら、後半の委員会が招集されて事態の収集を図ろうとする話のエスカレーションが楽しい。
 レムって知性の人なんだけど奇想の人でもあるのだよね。
 (食べ物でもめたりするところもおかしい。<泰平ヨン>シリーズは食べ物がよく出てくる気がするが、そこに親しみがわく)
 いや同じ時間SFでも発想の奇抜さスケールの大きさという点ではむしろ「第20回の旅」に軍配か。
 なんともアナログっぽい<時転車>(いい味を出しているイラストがかわいい)に乗ってやってきたのは(またしても)泰平ヨン自身。
その未来の泰平ヨン、計算と百分の一秒ずれてやってきたしまっため地球の自転で予定より場所がずれて(現在の泰平ヨンの)本棚が壊れる下りが笑える。
( ちなみに柴野拓美もそのタイムトラヴェルにおける地球自転を指摘している。『柴野拓美SF評論集』P162 SFのテーマ概説 タイムトラヴェルの項)
 さてタイムマシンでやってきた未来の泰平ヨンによると、二十三世紀にタイムマシンが開発され二十七世紀には時操(クロノマチック)革命が起こり、高度に発達した宇宙文明の一員として恥ずかしくないように地球の歴史を人道主義・合理主義・普遍的美学による最適化するべく調整を行う<超知歴最適化(超計算機による地球の歴史的過去遠隔最適化)計画>が立ち上がり、泰平ヨンが総責任者として抜擢されることになったというのだ。
 納得いかないところがありながらもわれらが泰平ヨン、結局計画に加わると各時代に計画要員を派遣しては失敗する有様で問題のあるメンバーはある時代に追放とドタバタ続き。
 要は歴史上の重要人物が泰平ヨンによって未来から派遣されたり追放されたりした時相研究所のメンバーだったというわけである(ハリー・S・トッテレス、P・ラットン、L・ナルド・ダ・ヴィンチといった面々が登場)。
この「発端の意図は真面目でもどうにも物事が上手く運ばない」というパターンのスウィフト『ガリバー旅行記』からの系譜といえる諧謔精神は、泰平ヨンがこの宇宙を創造したというところまで話が究極的に拡大する「第18回の旅」にもみられて、そもそも宇宙自体がはなからオフビートにはじまっていることがよくわかる。
 論理性の果にある深遠な知の世界を切り開いたレムの一面であるユーモアを軽やかに見せてくれる<泰平ヨン>シリーズのが本書で、そこが最大の魅力である。(2017年6月3日)