異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 『素晴らしきソリボ』パトリック・シャモワゾー

~あらかじめ失われたものを甦らせようとする困難な試み~ 第二回日本翻訳大賞受賞作(もう一作はキルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』)。
 日本翻訳大賞発起人の一人である米光一成氏による本書のレビューの秀逸な見出し「殺人の容疑者ほぼ全員が無職」につい目を引かれてしまうが、無粋は承知で蛇足をすると、カーニヴァルの夜に「言葉で喉を掻き裂かれて」死んだ語り部ソリボの謎を追い容疑者を調べる警部といったミステリとしての図式はあくまでも骨組み。
 大作『カリブ海偽典』が語り手の提示する身振りを書き手が記述する形式だったように、このマルティニーク出身の作家の主要テーマは「いかにして語り得ぬものを記述していくか」にある。原住民がヨーロッパによる占領で絶滅、その後アフリカから黒人奴隷が連れてこられたマルティニーク(現在はフランスの海外県)ではフランス語とクレオール語が使用されている。
 抑圧された悲劇的な歴史の中で生まれたクレオール語。標準語ではいかに語ろうとしても語り得ぬあらかじめ失われたものをクレオール語を通し新たな言語を創り出し甦らせようとする非常に困難な試みだ。
それは不可能に近い行為でもあるが、希望への取り組みでもある。
 シャモワゾーの初期作である本書もそのテーマに主眼が置かれている。
 フランス語をベースとしたクレオール語の複雑な語りをさらに日本語にしていくという翻訳作業はそれ自体さらに絶望的な試みとも受け取れるが、幾多の障壁を乗り越えて本書は存在している。もちろんその事実だけではなく、豊かで楽しいリズミカルな日本語となっているのが何をおいても重要なことだ。本書で使われる言葉は日々の匂い手触りといった五感を伝えてくれるもので、本から個性的な登場人物たちひょいと出てきそうな親近感がある。訳者、出版に関わった人々に感謝をしたい。
 先日放送大学の「世界文学への招待」でシャモワゾーのインタビューがあると知り、それも観た(※以前はネット上で見られしたが、現在は見られないようだ)。美しく広がるマルティニークの海を背景にした講師小野正嗣氏による現地でのインタビューは非常に示唆に富むものだった。
 断片的に記述すると、たとえばフランス語ベースといった言語圏での文学の歴史に自身の文学が位置づけられることが重要ではないこと(自身はフランス語作家よりカリブ海文化圏のスペイン語作家にシンパシーを感じたりす、と)、自ら志向性に従った関係性が重要であること(ルーツ探しにとらわれることはない、と)、各作家は自身の言葉を作り上げることなどである。
 個人的に大変しっくりくる内容で、温かみのある話しぶりも合わせて非常に感銘を受けた。
ちなみにカリブ海はポピュラー音楽的にも大変魅力的なところでそれも合わせて惹かれる。
(2016年5月8日拙ブログ記事を加筆したものです)(2017年10月1日)