~奴隷を解放する<地下鉄道>の走るもう一つの合衆国を描くずしりと読み応えのある作品~
当然まだ一般的ではなかった地下鉄をその時代に本当に走らせてしまったのが本作だ。
主人公コーラは奴隷少女。苛酷な日々の中で母親の逃亡により身寄りを失いさらに窮地に立たされた彼女は、同じ奴隷仲間であるシーザーから<地下鉄道>での逃亡の誘いを受ける。当初は拒絶したが受け入れ、ある夜計画を実行に移す。
なぜか<地下鉄道>が表の世界とは別の「地下世界」に広がり、黒人の自由が保障されている地域へとつながっているという合衆国が舞台だが、そのアイディアがさらに奇想へと発展していくようなタイプの小説ではない。描かれるのはあまりにも罪深い奴隷制度と出口の見えない差別の歴史だ。物としてまとめて安価に売りさばかれる奴隷たち、連帯による反乱を防ぐために冷徹に完成された管理体制、その一方で横暴な奴隷主の気まぐれで理不尽に奪われる人間性そして生命。逃亡に協力する白人たちも例外ではない。身内といえでも安心は無用、密告され奴隷たちと同様の運命が待ち受ける。それも当然なのだ。密告しなければ今度は自らが協力者として告発されるからである。
これは架空のしかも過去の歴史を描いた作品である。
もう21世紀現在、こんなことはないのだろう?こんなことがあったかもしれないという小説なんだろう?
といった問いかけにはこう答えざるをえない。これは今も起こっていることなのだ、と。
コーラを匿う白人夫婦、不本意ながら協力させられる妻エセルが子ども時代に黒人差別意識を叩き込まれる場面が象徴的だ。差別の構造は社会にシステム化され狡猾に組み込まれている。そして巧妙に仕組まれたシステムにより、人々が分断され随意不随意を問わず差別の構造を補強してしまう状況が描き出される。
一見自由の保障された世界でも裏側に潜むからくりがあるなどディストピア小説としても考え抜かれている。さらに悲しむべきことに黒人の中でもその分断が生じる様子が容赦なく抉り出されている。さまざまな人物に焦点があてられつづられる本作を読み進むうちに、奴隷制度こそ基本的には解消されたようにみえる現代も差別構造の解消は本当になされているのだろうかという疑問が生じる。容易くスケープゴートを探して人を断罪するような愚かしさが日々露呈する人類が、他人を抑圧し蹂躙する危険から真に解放されたといえるのだろうか。はなはだ心もとないのが現実だ。
腹にずしりと重いものが残る小説だ。果たしてコーラは逃げ延びることができるのだろうか?
情念を内に熱く湛えたような抑制された文体が素晴らしい。翻訳者にも感謝したい。(2018年2月25日)