異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。

メジャーリーグの想い出

 なんだか今日も横浜軍はひどい試合をしたようで。

 ともかく投手力を整えないとまともな試合はできないし、勝ち星も増えないよね。

 それはともかく今回はメジャーリーグの話。

 メジャーリーグの情報、今では簡単に入手できるが、以前はそうでもなかった。

 なので、気まぐれなたちであることもあり、ずっと熱心に情報を追ってきたわけでもない。

 しかしまあまあ昔からの事は知っている。

 その原点は子ども時代。小学1年生の時に父の仕事でニューヨークに行っていたことにある。応援していたのはヤンキースではなく、メッツであった。

 今でもメッツ贔屓なのは、その流れだ。

 ちなみに日本と学校のスケジュールがずれているので、アメリカの小学1年生を過ごしたという事が、日本の学校の期間は(つまり日本にいなかった時期は)小学1年生の夏から小学2年生の夏前までという事になる。

 となると(年がばれるが)、1973年の夏から1974年の夏前くらい。

 今は便利なもので、昔の情報も(ジャンルによっては)入手しやすい。

 すると、なぜヤンキースではなくメッツのファンになったか少しわかった。

 これまで考えていた最大の理由は球場の立地。

 これは家族でも話題にしていた記憶があるのだが、ヤンキー・スタジアムは治安のよろしくないところにあり、きれいな公園内(フラッシング・メドウ・パーク)にあったメッツの球場シェイ・スタジアムは行き易かったというのが一つ。

 シェイ・スタジアムは、外国人が住み易く自分たちも住んでいたクイーンズにある。近いということでもある。

 ちなみに今回ちゃんと確認したらヤンキー・スタジアムはブロンクス。それは行けないわ・・・(新しい方もブロンクスなんだけど、そうした雰囲気はかなり変えたんじゃないかなと思う)。

 しかし、よく調べたら、それだけではなかった。

 実は当時のヤンキースはあまり強くなかったのだよね。低迷期。

 ワンマンで悪名をとどろかせたスタインブレイナーが、1973年1月に買収。

 そこからビリー・マーチンを監督にして、二人の何とも言えない奇妙な関係が続くことになる(チームは強くなるが、二人はたびたび衝突し、何度も解任したり就任させたりした)。

 だからまだヤンキースは再建期だったのね(1965-75年が冬の時代とされているようだ)。

  一方メッツは当時、創立ようやく10年経った新米チーム。ただ1969年にミラクル・メッツでワールドシリーズ制覇。その後は5割程度だが、フレッシュな印象があったはずだ。

 日本のwikiでの簡単な調べだが、驚くなかれ、その辺りの時期は、観客動員でメッツがヤンキースの倍である(まあ、数年後ビリー・マーチンの手腕と大型補強でまた強くなると、あっさりメッツは置いてきぼりをくらうのだが)。

 そうしたちょっと珍しい時代にニューヨークに居たことで、影響を受けるものなんだね。巡り合わせというのはなかなか面白いものだ。

 ちなみに当時好きだったのはフェリックス・ミヤーン旧ブログで話題にしたことがあるが、長打力のない安打製造機型のプエルトリカン内野手である(その後、奇しくも横浜大洋ホエールズにやってくることになる)。

 もちろん当ブログ主は、長年ホエールズベイスターズファンなんかをやっている人間だから、王道のものに惹かれない質なのは認めるが、これにも少し理由がある。

 実はメジャーリーグ通の知り合いによると、メッツは歴史的に投手型のチームで(今もデグロームがNo.1のスターだ)、ミヤーンでも野手ではそこそこのヒーローだったのだ。野手のように常時出ている人の方がなんとなく印象に残るし、自分がチビだったこともあり、大柄なパワーヒッターより小柄で機敏な選手が好きだったんだよね。

 最後に昨年実家を整理したら出てきた当時のサインボール。当時の主力投手ジョン・マトラック(Jon Matlack)の名前があるのでやはりメッツのだなあと思って、この向きで撮影した。ところが、今回よく見ると、その下で逆向きになってるのが、昨年亡くなった殿堂入り大エーストム・シーバー(Tom Seaver)なんじゃないかという気がしてきた(笑)。なかなかのお宝(?)かもね。

 

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