クルムヘトロジャンがどこの出身であるか長年気になっていた。
非常に情報が少ない中で唯一の資料となる知香社のウロン文学全集11「へろ」も持っていない(まあ買おうにも価格的に無理だったが)ところで途方に暮れる中、幸いにもネットの時代ありがたいことに内容を確認することができる。そこでなるほどと膝を打ったのは萩尾望都先生による名前の分割説であった。
クルムヘトロジャン。世には信じられないくらい長い苗字が存在するようだが、それにしても手がかりの得にくい響きである。例えば世界各国の様々なスポーツ選手の名前が毎日のようにニュースで飛び交い、ある程度のスポーツファンである当ブログ主がパッと結びつく感じの名が思い浮かばない。強いていえばアゼルバイジャンが響きとして近い感じがあるが、あくまでも国名であり人名とは違う。ちなみに当然ながらアゼルバイジャンの有名人に近い発音の名はなさそうだ。
いろんな分割の仕方があり、萩尾望都先生はクルム・へトロ・ジャンの三分割説を提唱されているが、ここでは二分割説を提唱したい。クルム・ヘトロジャンという分割法だ。ただここからは多少批判を覚悟してわが説を唱えなくてはいけない。本当にヘトロジャンという表記が正しいのかどうかということだ。これには異論を唱える人が多かろうと思う。熱心なSFマニアである吾妻ひでお先生が作家の名前表記を間違うのだろうかという点だ。その辺は時代背景というもので解釈していきたい。例えばこの「へろ」の中に残念ながら原語ないしアルファベット表記はない。となると実際の発音との齟齬が生じての表記であった可能性は無視できない。もちろん当方の推論でしかないことを認めるにやぶさかではない。ここはあくまでも推論を披露する場でしかないことは重々承知している。しかし謎の多いクルムヘトロジャンになんとか新たな光を当てたいというのが本稿の目的である。ご容赦いただきたい。
さてそのヘトロジャン表記に疑念を持ったのはロサンゼルス・エンゼルス所属のリリーフ投手キャム・ベドロジャン(Cam Bedrosian)の名を目にした時である。あたかも天啓を得たかのようにクルムヘトロジャンの謎を解き明かす鍵を手に入れた気がしたのである。
しかし連続して濁音が続くベドロジャンとヘトロジャンどうにも違和感がある。そこで検索してみると、現在は便利なことにnames encyclopediaの様な各国のいろいろな名前やルーツを調べるサイトがあり、ある程度の情報を比較的簡単に知ることができる(これは合衆国など移民の国で自らのルーツを知りたい人々が多くいることが原因のようだ)。そしてこのBedrosianという名前がアルメニア系であること、また同じくアルメニア系にPetrosyanつまりペトロジアンとやや柔らかい発音の名があることを知った。検索するとロシア・合衆国・ウクライナなどに実際は多いようだが、この辺りは地理的要因が大きいだろう。そういえば人気の高いピアニストのティグラン・ハマシアン(Tigran Hamasyan)もアルメニアでちょっと響きの似た名前だ。
だがここで問題になるのはクルムの方である。クルムといえば日本では伊達公子の夫であったミハイル・クルム(Michael Krumm)を連想する人が多いだろうが、あれはもちろん苗字であって、Petrosyanが苗字だとするとクルムは名前first name,surnameということになる。
そこでクルムという響きにいろんな綴りを当てはめてみたが、例えばCroomという綴りの名があるようだが検索してみると有名人では苗字以外ではミドルネームで出てくるくらいで普通ミドルネーム+苗字で表記することはないからしっくりこない。
やはりここは素直にKrumという綴りで調べると、ブルガリアの男性名に登場する。それもそのはず、クルムはブルガリア皇帝の名だからである。(サッカー選手やチェスプレイヤーにKrumの名の人がいるようだ)
話をまとめよう。クルムヘトロジャンはクルム・ペトロジャン(あるいはペトロジアン)でありKrum Petrosyanと表記されるのではないかということ。アルメニア系の苗字であるが、ブルガリアと縁が深い名をつけられていて、そちらのルーツを持つかブルガリアと深い関係を有する経歴を持っているのではないかということ。そうした要素を持ちつつ他の国(合衆国、ロシアあるいはウクライナ)で活動していた可能性もあること。以上が推察された。中~東欧系の文学やSFの文脈からとらえられる人物という可能性がでてきたことになる。思えばわが国では中~東欧のSFが翻訳されてきた。そうした歴史のミッシングリンクにクルムヘトロジャンはなり得る存在なのではないか。有識者によるさらなる検討を待ちたい。
※追記(2019年10月22日)10月13日に吾妻ひでお先生が亡くなられたそうである。
https://twitter.com/azuma_hideo/status/1186149786287632385?s=20 シュールなユーモアセンスの塊のような人で、漫画に正直疎い当ブログ主以上に熱中した方も沢山おられると思うが、初めて買ったSFマガジン(1980年5月号)にもメチル・メタフィジークが連載されていたし、友人にもファンがいて中学生の頃にセンスを決定づけられた存在であった。SF小説の名作の多くは『不条理日記』で覚えたようなものだった。そしてその創作の影には相当な重圧があったことが『失踪日記』で明かされて、これまた驚かされたものだった。ご冥福をお祈りいたします。