異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

SFファン交流会~「SF」と篠田節子~に参加

 時々参加をしているSFファン交流会、読んだばかりの『ルーティーン』が面白かったので篠田作品をこれから読む上での情報をゲットすべく参加した。今回は近年国際的なSFイベントとして定着しつつあるはるこんの会場に出張ということで川崎へ。
 
 ゲストは篠田節子さん御本人に、『ルーティーン』解説を書かれた牧眞司さん、本書の刊行にも当たられた早川書房編集者の井手聡司さん、篠田先生と同世代でその作品をずっと読まれてきた書評家の大倉貴之さんというメンバー。
 篠田作品初心者の自己用備忘録なので、ご容赦。(篠田さんの発言もそのままではなくやや意訳的になっていたり順番を入れ替えたり何回か分のを融合させているところもありその辺も失礼)
 

 まず皆さん篠田作品については以前から深い思い入れをお持ちとのことだったが、井手さんは早川書房でお仕事をされるようになって初めて本当に作りたいと思ったのが『ルーティーン』とのこと、大倉さんは同世代でずっと同時代・同じ現実を見ている作家として特別な思いを持ってらっしゃること、牧さんは住んでいる地域が近いことという話も印象的だった。また刊行にあたって井手さんから「未発表作品加えて書き下ろしも」という強い押しがあったことや(笑)、大倉さんも『ルーティーン』のようなアンソロジーを考えていて「やられた!」という感じがしたという話も出ていた。
 篠田作品における自走性の要素が柴野拓実によるSF定義と合致するのは当ブログ主も言及したが、牧さんからも『ルーティーン』の「ソリスト」の様な芸術小説において「芸術家が個人の力を超えて、創造をする上で芸術の力に引っ張られて自らが破壊されてもいい」というような部分にその自走性を見るという指摘がされた(そもそも『ルーティーン』の著者インタヴュウのタイトルも「SFは、拡大して、加速がついて、止まらない」なのだから『ルーティーン』自体も「自走性」がテーマなのかもしれない)。芸術をテーマにされていることについて
 篠田さん「私たちはいわゆる<教養>が必要とされた最後の世代なのではないか。意味が分からなくても難解な芸術をデートで見に行ったりするような…。SFでも例えばルディ・ラッカーとか読んでないとカッコ悪いというような…そういうのはありませんか(笑)。で、難しいと思っているものがだんだん良くなってきたりするような(笑)。」
 大学で何を専攻されていたかということで「教育心理学」ということだが、ケースワーカーが出てくるような作品とのつながりについてはあまりなく、そちらは市役所勤務時の御経験と関連があるとのこと。
 篠田作品のリアリティの凄さ、現場の人がどう感じるかが非常によくあらわれているという話題。
 篠田さん「現場に行って取材をしないと作品が書けない。論文だけではなく具体的な手続きや手順が見えないといけない。以前は分からないことがあると大学の先生や会社の担当者などの専門家にいきなり電話をするなどの突撃取材をしていたが、情報提供をしてくれた人が上司から注意されるようなことがあり、現在は編集者をなるべく通している」と取材の御苦労を語られていた。
 近々文庫化される『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』の話題が出て、パロディの秀逸さの話題が出た。そこで
 篠田さん「また突然思いついたのがあって、『ブラザヴィルの地蔵たち』という。政情不安定な地域に空からお経と共に地蔵が降ってきて…」(場内爆笑)
 これは是非読みたい!早速「NOVAと早川書房で取り合いになるのでは(笑)。宮内悠介作品と併載がいい。」とも。
 ユーモアについては牧さんから「深海のEEL」について「テーマが小松左京で話が筒井康隆のようなドタバタ。さりげない描写で笑わせるのが最高」と。
 で、やはりこれまでのSFやシュルレアリスムとの関わりについての話に。
 篠田さん「SFと特に意識して読んでこなかった。翻訳小説は好きで読んでいて、好んでいたものがSF的なものが結局多かったのかもしれない。作者など思い出せないのだが、フランスの現代小説で『盗まれた記憶』というのがあって、好きで結局内容はSFといえるものだった。(シュルレアリスムについては)ブルトンやナジャを読んでいた」
 ここで『盗まれた記憶』の作者がボグダノフであることが集合知によりめでたく判明。集合知大勝利。
 また「日本の純文学についてはあまりよく分からないが、酉島伝法さんの作品は純文学なのではないかと思う」とのことだった。(酉島伝法さん『皆勤の徒』は2013年日本SF大賞受賞作品で、篠田さんと牧さんは選考委員である)
 『ルーティーン』の「まれびとの季節」が未収録であったことについての話題も出た。
 篠田さん「近年短篇集で一般的な出版社では売り上げのために、同じ傾向の作品を集めるのが優先される。恋愛だとか冒険だとかの要素を欠く作品は排除されやすい。そこから外れるのがSF(笑)」
 ということで、他のゲストから「まれびとの季節」のような傑作を『ルーティーン』に入れることが出来たのはSFファンとしてはラッキーというようなことだった(笑)。
 また『ルーティーン』で書き下ろしを依頼されて幼形成熟テーマを作品にしようとしたら長くなってしまい、短篇にならなかったとのことで、そのうち完成するかもということでした。SFファン乞うご期待!(笑)
 一方で「出版不況の中売り上げは重要なのは理解するが、売れるものを書こうとすると構造的にしっかり小説を書くのは別である」と表現者としての悩みも語っておられ、「『女たちのジハード』(直木賞受賞)は恥ずかしい作品」とも!直木賞受賞作でこんなこと言えるなんてカッコいいなあ。(話の順番は失念したが)作家と読者でのずれとして、作者は意図していなくてもテーマによって読者が自らに引き寄せて「感動しました」とか「泣きました」ということがあり得るとの話も出た。
そうしたずれについて篠田作品には「(男女の恋愛が出てくるもので)一見男性からは切ない恋愛話のように読めて、よく読むと女性からみるとそうではない」ような話(『ハローサマーグッドバイ』等)がしばしばあるがという質問については
 篠田さん「恋愛といっても生き物としての様々な働きが作用して生じている。一般的には男性が単純なのかもしれない。(何が生殖に有利なのか色々な事が重なり合わさって)恋愛感情を複雑にコントロールしている要素が女性にはあるかもしれない。恋愛を科学的に検証したSFは多くない様な気がする。(男性視点が入っていない)そういう恋愛をテーマにしたSFがあれば読んでみたい」
 この辺については『BEATLESS』『銀色の恋人』や森奈津子作品が挙げられていた。ブログ主がそういったSFを今ゆっくり思い返してみるとパット・マーフィー「ロマンティック・ラブ撲滅記」(『この不思議な地球で』収録)かなあ。イーガンあたりにも何かあったような気もするが…。
 後半。
 登場人物の服の趣味などがの表現が(ブランドなど)リアリティがあるという話題に対し
 篠田さん「自分自身ブランドには興味が無い。女性誌の出版をしている集英社の女性編集者に聞くこともある」
 また小説家になった経緯について
 篠田さん「高校時代に同じ趣味の友人はいなかった。大学時代に(?)創作講座に行った。先生は誠実である生徒のSF作品については否定をすることは無く『SFについては自分は分からない』と言っていた。真のプロは分からないものを分からないと言える。日本SF大賞の選考委員を宮部みゆきさんから引き受けたが宮部さんにイーガンの様な作品があったらどうするのかと質問したら『分からないものは他の選考委員にお願いすればいい』と言っていた。このように言えるのが本当のプロ(笑)。あとで創作講座の先生がSFブーム時にSFを書いていることが分かった。その話をすると先生はすごく恥ずかしがっていた(笑)。」(創作講座の先生のお名前をおっしゃっていましたがブログ主が失念)
 短篇と長篇の創作の違いの話題もあった。短篇はワンアイディアで作られるが、長篇はパネルを組み合わせて立体を作る(というような表現だった記憶)感じとのこと。また結末は先に決まっているとのこと。
 最後に会場から質問。いろんな質問があったが1997年発表の『斉藤家の核弾頭』を書くにあたり原発を取材した話で、原発技術の危うさを実感されたこと、また経済活性化のみに言及する原発誘致の方法についての問題点を指摘しておられた。また珍しく質問してみた(笑)SFホラーファンタジーとジャンルを越境し多様な作品を発表されているので、「そういったジャンルあるいは作品のカラーはあらかじめ決まっているのか、書きながら決めるのか」という質問をした。「(そもそもジャンルの定義が何なのか難しいが)<ホラー>というのは怖がる要素があればなるということで、『あれはホラーでしたね』といったことをいわれると意識していないので当惑する。超常現象を安易に扱うと非常に安っぽくなるのでそこは非常に気をつかっている」とのご返答だった。牧さんは「(篠田作品では)超常現象があってもそれが本当に起こったことなのか、実は登場人物がそう感じているだけなのかどちらとも解釈されうる作品も多い」とのことだった。作品を構成する様々な要素においてバランスを絶妙に取っていける作家なのだなあ。

 追記 残念ながら欠席された翻訳家山岸真さんのお話もしばしば出ていた。『ルーティーン』あとがきにある『絹の変容』を早くから評価した翻訳家というのが(やはり)山岸真さんとのこと。山岸さんのプッシュで篠田作品を知った方は多い様子。イーガンは難しいが読むことが出来るのは翻訳家のおかげ、翻訳家の果たす役割は大きいと賛辞(ここでテッド・チャンも同じ様に読めるので素晴らしい、と話が出ていたが、twitterで御本人からやっていないと指摘がくるという一幕もあった笑)。

今後の作品の紹介で典型的なタイプのSFは無い様だが、南洋の遺跡発掘に関する小説は面白そうだなあ。そもそも未読の作品が多いのでいろいろ読んでみます!大変示唆に富んだトークショーでありました。