異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

映画『岸辺の旅』

 黒沢清監督の新作『岸辺の旅』観てきた。
 超日常的な世界を特殊効果を多用せずに描くスタイルが好きで数作ではあるが劇場でも観ている(熱心なファンとはいえません失礼)。本作でも持ち味は生かされていて非常に面白かった。(以下内容に触れますので未見の方はご注意ください)
 
 主人公瑞希はおとなしいピアノ講師。ある日家に一人の男が現れる。行方不明になった夫優介だった。しかし優介はもう自分は死んでいるという。三年間探し続けた瑞希はずっといて欲しいと願うが、優介は世話になった人達に会いに行かなければいけないといって、ついてきて欲しいと告げる。生と死に別れてしまった夫婦の不思議な旅がはじまる。

 幽霊と生者のロードムービーといった感じだろうか。タイトルの岸はおそらく彼岸のことで、岸辺は生の世界と死の世界の境界ということだろう。しかしその表現は独特で死者も普通に日常を送り、食事をし(味も分かるようだ)電車に乗り仕事もしている。またロードムービーで各地で優介が見せた意外な面を瑞希が知っていくのだが、とある村で基礎物理を人々に教えて大人気だったという変なエピソードもあってとぼけた味わいもあるのが黒沢清らしい。死者は生者の方からは区別がつかないため、瑞希が死んでしまった優介と離れ難く思っている一方、亡くなった夫への思いが捨てられずうつろな日々を送っている嫁が死者のように見えてしまう老人もいる。かといって死者の世界も一様ではなく勤勉な日常から死後も脱け出せず自らの死を受け入れられず新聞配達を続ける男もいる。生者と死者の交錯する世界を成り立たせるのは人々の感情である。死者はこの世に何らかの思いがあり<岸辺>をさまようが、それは誰かあるいはこの世への未練である。やがて死者はその思いに結論が出て彼岸へ旅立つことになる。そして死者の思いもまた生者と共にある。つまり生者が死者への未練を断つことも重要な要素となり、生者の方の未練が強いと死者は旅立つことができないのだ。
 以上のような解釈が可能であり、これまで謎めいたダークな部分を随所に感じさせる作品が多かった黒沢監督作品では生者の思いを強く反映させた内容で広く支持を得られるのではないかと思う。ただ終盤、死者の世界とつながるという伝説のある洞窟が出てくるわりに優介はそこからやってきたのではないということがはっきりと描かれたのが気になる。細部に大きな意味が隠されているのが黒沢清作品の恐ろしさなので、こうした一見<いい話>の解釈も反転しうるので気になる。蛇足だが愛人役でちょっとだけ出てくる蒼井優のエグ味も素晴らしかった。