異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

2018年10月に読んだ本

『記憶よ、語れ』ウラジミール・ナボコフ
 ナボコフの自伝。激しく社会変動し戦争の世紀でもあった20世紀、個人としても貴族の家系で祖国を追われるなど歴史の波にのまれてきた傑出した作家がなにを見つめたか。そうした様々な歴史的な出来事との関わり、ある意味当然ながら多くの著名な人物が端々に登場し驚きの連続といった内容だ。しかしさすがはナボコフ 、美しく甘美な文章の中にメタフィクショナルな仕掛けが潜んでいる。
『IQ』ジョー・イデ
 LAサンスセントラル出身に日系アメリカ人による黒人版シャーロック・ホームズもの、という様々な文化が入り混じった(同地作家らしい)作品。大型犬が登場するのはニヤリとさせられるが、実際LAで違法ながらヤミ闘犬が行われているらしい。全体にエモーショナルな感じが良かった。本作がデビューらしい作者は1958年と意外にかなりのおっさん(失礼)、苦労人っぽいキャリアも応援したくなる。
『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード
 評判通り面白かったがかなりヘヴィだ。ここに登場する竜は直接人間に対峙したり直接襲撃したりといった存在ではなく、不明確で理解不能な影響を及ぼし人間たちを混乱に陥れる存在だ。各作品の主人公たちは苦悩を抱え歪んだ関係から生ずる物語は重く引きずるような読後感が後を引く。
『レッド・マーズ』(上・下)キム・スタンリー・ロビンスン
 火星三部作、読み始めた。2026年火星移民ロケットが「最初の百人」を乗せて旅立つ。優秀かつ我の強いメンバーによる主導権争いは任務遂行で選抜されたメンバーだからこそ安易に暴力的に走らずむしろ精神的かつ永続的になる分なかなかエグ味が感じられるが、従来注目されてきた物理化学的なハードサイエンスのみ社会科学的なソフトサイエンスまでシミュレーションを行った結果のストーリーといえ、しっかりとアップデートしていこうとする著者の視点のたしかさが感じられ好感が持てる。
『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』岡和田晃
 現在の差別的な言論の根底にある問題が多くの資料により様々な角度から分析され大変示唆に富む内容だった。リアルタイムの出来事についての注釈によるアップデートもされ、より問題が明確にされていた。

2018年10月に観た映画、イベント、美術展

カメラを止めるな!」(2017年)
 これは正確には9月末に観た。判通りで非常に面白かった。芯となるアイディアの素晴らしさもさることながら、ディテールや俳優の個性など肉付けがしっかりしていてそのアイディアをより効果的にしているところが勝因。
エッセネ派」(1972年)
 アテネ・フランセ文化センターでフレデリック・ワイズマンの特集をやっている。ドキュメンタリー映画作家として名高く、個人的には殊能将之氏のHPで高い評価をしていたことが印象深くいつかは観たいと思っていた。が、結局今のところこの1本しか日程的に無理だった。そもそもこのエッセネ派がちょっと検索しても意外とどういった宗派か難しくて2009年カナザワ映画祭での照会には「死海文書を作成したとされるキリスト教以前の古代ユダヤから存在した禁欲的な集団」と書かれていてまあこのあたりだろうか。描かれるのは敬虔な集団の修道院の日常であるため、常に宗教的なディスカッションが行われるなかなか地味な内容である。ただ問題のある人物による厄介な人間模様などあまりに生々しく身近で苦笑させられる。もう1本ぐらいは観たいが、なにせ公開時期が短いので日程が合うか微妙・・・。

楽しいSFイベントを継続して開いているLive Wire。とはいえ1年半ぶりかな(前回はたぶんこれ)。10/13に最新海外SF情報のイベントがあったので参加。印象的だった話を羅列。
ヒューゴー賞ボイコットを行った、保守的な(というより人種差別的女性差別的な)価値観のSFファングループSad Puppiesらの周囲をめぐる状況。コミックなど他のジャンルでも似たような傾向の動きあり。SF関連では表向きは沈静化しているもののくすぶり続けているっぽい。
・ファンタジーとSFの境界は日本よりボーダーレス。
・日本の海外SF受容においてハードサイエンスへの偏りがあり、社会科学的なものの紹介が十分されていないのではないか。
・ミリタリーSFならぬミリタリーファンタジーも沢山ある。(知らなんだ)
・最近のSF作家にみるジャック・ヴァンスの影響の大きさ。異世界構築のツールとしてのSF。(ヴァンス好きなのでうれしい)
・紹介された作家など。Yoon Ha Lee、Martha Wells、N.K.Jemisinなど。アニメ好きの作家が多いのではないかとかJonathan Strahanのpodcastの話など。(N.K.Jemisinのヒューゴー3連覇,Broken Earth seriesの翻訳は楽しみ)。

10/27には2つの美術展。
マルセル・デュシャンと日本美術」@東京国立博物館
 先に書いておくと日本美術の展示はさほど多くないです(笑)。とはいえ内容は面白いです。どちらかというと前衛芸術運動のイメージが強いが、実はキュビズムをスタートとしていて例えば藤田嗣治とほぼ同世代(パリとニューヨークを活動拠点にした点でも共通するが、どうやら時期的にはすれ違いの関係だった様子。フランス生まれながらアメリカンを活動拠点にしたデュシャンと日本生まれながらフランスに帰化した藤田はスタイルの違いこそあれともに放浪のイメージをまつろう)。言語へのこだわりとチェスというの重要な要素であることが印象深かった。というと当然ナボコフで、この本若島正氏が評しているところもつながりを感じさせる。文学サイドでのデュシャンの分析も重要になってくるのかもしれない。
寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」@県立神奈川近代文学館
 昭和生まれの世代ながらなかなか手をつけられなかった寺山修司だが、山野浩一への影響の大きさということでだんだん興味がわくようになってきた。とにかく圧倒されたのは幅広い分野と膨大な仕事量だ。早世である上に若いころに長期の入院期間もある中でだから驚異的。特に非日常的なもの・日の当たらないものへの好奇心や憧憬は多方面への深い影響を与えただろうと思われる。その影響はあまりに広く及ぶため、その全貌が明かされるのはまだまだこれからだろう。

TVで観た映画も追記しておくか。
「クライム・アンド・ダイヤモンド」(Who Is Cletis Tout?)(2002年)
 序盤、毒舌ジム(Critical Jim)と名乗る男が椅子に縛りつけられている男に映画の蘊蓄を挟み込みながら尋問をしているという妙なシチュエーションから始まり、だんだん背景が明かされていくという仕掛けのミステリーで、(細部までは追えなかったが)映画マニアネタをアクセントに伏線がうまくはまっている洒脱な作品でなかなかの傑作。
「無宿」(やどなし)(1974年)
 フランス映画の「冒険者たち」(未見)をもとにした前科者のロードムーヴィー。高倉健勝新太郎梶芽衣子と豪華な顔ぶれだが、話も映像も特にこれといったものはなく残念ながら顔見世だけで終わっている、まあよくあるタイプの残念作。安藤昇も出ている。

2018年9月に読んだ本

あんまり読めていないのは相変わらず。

『文字渦』円城塔
シミルボンに投稿しました。
shimirubon.jp

『リズムがみえる』トヨミ・アイガス/ミシェル・ウッド(日本語版監修ピーター・バラカン
シミルボンに投稿しました。
shimirubon.jp
(サウザンブックスによるクラウドファンディングで出た本。ささやかながら支援をさせていただいた)

10月はたそがれの国レイ・ブラッドベリ
実は初読。カーニバルとか抒情性とかのイメージで語られるブラッドベリだが、アイディアや題材など結構ヴァラエティに富んでいて非常に技巧的な側面も感じられる作品集だった。やっぱり甘目に感じてしまう作風だが。
『疫病と世界史』ウィリアム・H・マクニール
ちびちびと読み進んでようやく読了。人類史における疫病の影響をとらえた貴重な著作。生物的な特徴と人類の生活様式を背景として起こる疫病は大量死による死生観といった側面だけではなく、差別や人口動態の変化を通じての言語といった側面まで文化的に大きく影響をしたというのが非常に興味深い。惜しむらくは進歩の速い生物学分野を扱っているものとしては1976年と古い著作で、アップデートされたものを読んでみたいという気がする。ただこうした横断的な内容をまとめるのは相当幅広いパースペクティヴが必要で、著者が亡くなっているのでなかなか代わる人材の確保は難しいだろう。
『国のない男』カート・ヴォネガット
遺作にあたるエッセイ集。
厭世的で辛辣でありながら人懐っこいユーモアを持つヴォネガットらしい警句が並び、名文家だなあとあらためて感じる。直接的に社会風刺をすることは、どうしても時代状況に縛られる面があり、その評価は時代とともに変化していくことはある程度予想されるものの、あくまでも市井の立場に貫かれているため今後も大いなる共感をもって敬愛されることだろう。
世界樹の影の都』N・K・ジェミシン
登場人物たちのリアルな生活ぶりなど現代的でユニークな切り口のファンタジーシリーズ(続編の邦訳はストップしてしまっているが)。ただなかなか設定が複雑に感じられ(ファンタジー慣れしていないせいかもしれない)、著者あとがきによるアートの要素などの面白い面をうまく把握できていないところがありいつか読み直したいところだ。

2018年9月に行ったイベント、美術展、コンサートなど

まだ9月少し日にちが残ってるけど。
9月8日<「アルジャーノンに花束を」の翻訳者が語る その半生と翻訳の魅力>というイベントに参加してきた。
www.asahiculture.jp
名翻訳家である小尾先生の半生が語られるということで、期待通り大変素晴らしい内容だった。経済学部出身ながらミステリ作家志望でもあったお父様の影響で小さいころから大の本好きでらしたという。戦時中には本に飢え、結核療養中は本を許されなかったのが何よりつらかったというお話のように、とにかく本の虫だったようだ。実は英語よりも国語が得意であったが、ひょんなことから英文科へ。周囲のレベルの高さに戸惑いながら、勉強の合間に映画や芝居を沢山観た大学時代。将来の道として翻訳をやりたかったが就職口がなく、結局新聞求人でひまわり社に就職し雑誌「それいゆ」の編集仕事をする間に出会ったのが福島正実で、これが小尾先生の運命を変える。大のミステリファンでSFに興味はなかったもののいつかミステリの翻訳ができると思い、穴埋めのあまり面白くないSF短編を訳すなどしていた。その後編集業務が厳しく体調を崩されそちらの方は退職。それが翻訳専任となるきっかけだそうだ。当時はなかなか珍しいアメリカ行きの機会を得て、念願のアシモフインタビューを行うことになったものの、法的には問題がなかったが(敗戦国には特殊なルールがあったらしい)版権を得てなかったので翻訳者であることを隠さなくてはならず不本意なものになったという話(その後出版されたアシモフの日記ではその日のことについて「自分は有名になった。今日は日本から妙な女がきた」と書かれていてがっかりしたとのこと)、「アルジャーノンに花束を」を訳すときには悩み新しい漢字を作ろうかと思ったことなどは特に可笑しかった(「新しい漢字」のアイディアについては小尾先生ご自身「実際に技術的に無理だったし、そもそも愚かなアイディアだった」と発言されていたが、『文字渦』風アルジャーノン、それはそれで読みたかったぞ!(笑)。「アルジャーノンに花束を」を読んだときには「SFにもこんな面白いものがあるんですね!」とおっしゃったというのも可笑しい。日本SF第一世代の作家たちとも交流があったという小尾先生は、キイスだけではなくディックやル=グインなどの翻訳で日本のSF分野の草分けのお一人として知られるが、今となっては元々はさほど興味がなかったというのも逆に様々な出会いや運命を感じさせるもので非常に面白い。その他長年疑問に思っていた訳語libraryの意味(図書館、という意味だけではなく装飾品も売っているような貸本屋も意味もあったらしい)、昔の小説の時代背景によって訳す言葉に注意を要する(例えば家庭教師は「高慢や偏見」の時代では家庭教師は召使と同様の立場)など翻訳の奥深さを知るお話もあった。まだまだお元気で次のお仕事への意欲もあり、期待して待ちたい。
実は小尾先生とは旧知の間柄であり、これも本当に偶然で仕事の同僚が私がSF好きであることを覚えてくれていて30年ほど前に紹介してくれたのだ。お会いしたのはそれこそ四半世紀ぶりくらい。年賀状はいただいていたものの、(ご本人とは全く関係のない)当時の旧職を覚えてくださっていた。記憶力のすごさに驚かされた。もちろんサインもいただいた。

さて9月15日にはSFファン交流会に参加。海外文学特集ということで、作西崎憲さん、牧眞司さん、冬木糸一さんのお話。それぞれのSF観・文学観が伺えて、示唆に富んだ内容だった。(具体的な内容についてはいつかふれるかもしれない)

9月24日にはあちこち回った(笑)。
まず上野で東京都美術館藤田嗣治展。藤田は西洋的なものと東洋的なものが融合した画風が好きなのだが、日本という国や人々に毀誉褒貶、翻弄された人物としても興味深く感じられる。藤田の歩みは日本の病的な一面を逆転写させるように思われてならないのだ。第二次大戦後に描かれた「カフェ」は翻弄されて疲弊した諦念が感じられるかのようで特に素晴らしかった。
最終日だった上野の森美術館の「世界を変えた書物展」は内容はよかったもののさすがに人が多く、時間の余裕もなかったことからざっと眺めた程度で消化不良に終わってしまった(まあしかしこの日しか行けなかったんだよな)。
その後丸屋九兵衛さんのSoul Food Assassinnsに参加。多様な英語の話は毎度目からウロコなのだが、今回はアラビア語は現在多様化してアラブ圏同士でも話が通じなくなっているために、正則アラビア語という共通語(フスハー)はそのために復活された古語(文語)だという話に驚かされた(勝海舟西郷隆盛も音声言語が通じないため筆談だったという)。
本来はその後のQ-B continuedに参加するのがいつものコースだが、この日はCKBデビュー20周年記念コンサートの行われる新横浜へ。数年ぶりのCKBライヴだったが、今回はデビュー20周年記念で渚ようこm-flo&野宮真貴と豪華ゲスト(コハ・ラ・スマートも久しぶりなのかも?)、オーケストラの演奏まであるという実にお祭り感あふれる楽しいステージだった。ベイスターズファンには途中お遊びで「巨人の星」が歌われた時に剣さんから飛雄馬への言及があったところがハイライトだろう(一緒に食事をしたことがあるらしい)。まあ小野瀬雅生ショウの時に「筒香!」というのもあったが(笑)。
実は他にも表の顔の宴席やら秘密の宴席があって・・・。
ちょっと9月は遊びすぎたな。10月は少しペースを落として体調を整えて次に備えよう。<全く反省していない

※2018年9/30追記 その9/24のCKBライヴで剣さんとのデュエットで観客を大いに沸かせたばかりの渚ようこさんが急死されたとのこと。ラストステージだったのだろうか。わずか数日後の訃報でショックだが、昭和にワープされたのかもしれない。ご冥福をお祈りいたします。

2018年8月に観た映画

「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ(Yankee Doodle Dandy)(1942年)(録画視聴)
 大学生時代にシネフィルであった講師が絶賛していたが観るのは初めて。ど直球国威高揚映画で見事なまでに<正しい>人々ばかり出てくる映画で、さすがに今ではpolitically incorrectだったり馴染めない描写がところどころにあるものの、作品としては隙のない完成度を誇っている。
クリムゾン・ピーク」(2015年)(録画視聴)
 実はまだまだあまり観ていないデル・トロ監督作品(なかなか時間が取れなくてねい)。ストーリーはシンプル、幽霊屋敷もののバリエーションでシャイニングを連想させる箇所と、掘削機やグラモフォン蓄音機などの登場にはスチーム・パンクっぽい味つけが感じられ、全体的には現代ゴシックリバイバルといった印象。B級っぽさ含め面白かった。

2018年8月に読んだ本、と行ったイベント

もう8月も終わり。
『機械じかけの夢』笠井潔
 長年通読できていなかった名SF評論集。初めて出会ったのは30年以上前でほとんど歯が立たないといった状態だったが、さすがにこちらも経験値が上がったせいか把握しやすくなってきて、面白かった。正直まだまだ未読の作品が多いのだが、文学史をふまえた上でのSF起源を扱った序章には総論的に知見を与えてくれるし、本論の第一章以降も著者自身の経歴を反映したキイワード「革命」を柱に豊富な資料を随所に配し明確な論旨を展開する。ル=グィン論そしてハイ・ファンタジーへの記述には違和感を抱かせるものがあるが、本格的SF評論としての歴史的意義はいまだに大きいだろう。
(※2018年9月3日 ×機械仕掛け→⚪︎機械じかけ でした。訂正しました)
『街角の書店(18の奇妙な物語)』
 「肥満翼賛クラブ」ジョン・アンソニー・ウェスト
 夫の肥満度を競い合う妙な団体の話。意表をつく発想と詳細のわからない作家自身、<異色作家短編>にぴったりのイメージの作品。
ディケンズを愛した男」イーヴリン・ウォー
 アマゾンで立ち往生となってしまった男を救ったイギリス人の血を引き現地で長年をそこで生活する人物だった。なかなかコワい話である。
「お告げ」シャーリー・ジャクスン
 二人の女性が描かれる、取りようによってはイイ話だが、作者が作者だけにその背景にあるアイロニカルな要素がなかなか怖ろしい。
「アルフレッドの方舟」ジャック・ヴァンス
ヴァンスの普通小説。掌編ながらユーモア感覚にらしさが感じられる。
「おもちゃ」ハーヴェイ・ジェイコブス
とある店にあった自分のおもちゃ。秀逸なアイディアの一編。
「赤い心臓と青い薔薇」ミルドレッド・クリンガーマン
年長の女性がハラスメントを受けるというパターンは小説としてはやや珍しい気がするが嫌なリアルさがある。
「姉の夫」ロナルド・ダンカン
偶然友人となった男を家に招きいれる。よくあるタイプの筋ではあるが背景にある登場人物の関係には独特のものがある。
「遭遇」ケイト・ウィルヘルム
雪の中で閉じ込められた男女を描いた作品だが、さすがウィルヘルムで多重な構造を持つ高度に技巧的な作品。十分には理解できていないが。
「ナックルズ」カート・クラーク
嫌系クリスマスストーリーの系譜にある傑作。
「試金石」テリー・カー
アンソロジストとして有名な著者の作品を読むのは初めてだったかも。まずまずかな。
「お隣の男の子」チャド・オリヴァー
テレビのバラエティショーでマイクを向けられた少年が不気味な話をしはじめる。もやもやした後味がなかなかいい。
「古屋敷」フレドリック・ブラウン
イメージの連鎖に面白さがあるが背景にロジックはないのかなんとなく気になる。
「M街七番地の出来事」ジョン・スタインベックのバカ小説。
「ボルジアの手」ロジャー・ゼラズニイ
完成度の高いショートショートだが、訳者の中村氏ゼラズニイを「未完の大器のまま没した感がある」とはなかなか手厳しい。
「アダムズ氏の邪悪の園」フリッツ・ライバー
ライバーらしいエロティックなホラー。芸能趣味もらしい。
「大瀑布」ハリイ・ハリスン
大きな滝の近くに住む人物へのインタビュー。SF作家らしいアイディアの作品。
「旅の途中で」ブリット・シュヴァイツァー
これまた輪をかけた類を見ないバカ小説。オチもいい。
「街角の書店」ネルスン,ボンド
最後は作家についての小説で締める。これも傑作。
≪ナイトランド・クォータリー≫vol.1
 大分積んでしまっているナイトランド・クォータリー、これを機に読み進められればいいのだが・・・・。
 吸血鬼特集。<吸血鬼変奏曲>とあるようにストレートな吸血鬼ものではなく、切り口や題材をひねったものや現代化された作品が並ぶ。
「血の約束ードラキュラ紀元キム・ニューマン ドラキュラ紀元シリーズの掌編。
「家族の肖像」スティーヴ・ラスニック・テム 「塔の中の部屋」E・F・ベンスン 正統派の屋敷ものだがやはりベンスンは巧い。
「復讐の赤い斧」エドワード・M・アーデック ホラー+西部のウィアード・ウェストはもうちょっと読んでみたい(作品解説に「マンボ・ジャンボ」があるが西部ものっぽいところあったっけ・・・?)
「ホイットビー漂着事件」レイフ・マクレガー 解説でようやく仕掛けがわかった。マニア心ある作品。
「太陽なんかクソくらえ」ルーシー・A・スナイダー 現代社会で変わりゆく闇の住人たちを描いたユーモアショートショート
「長い冬の来訪者」ウィリアム・ミークル 荒廃した未来社会で集落に訪れた余所者。この作家は安定感がある。
「エイミーとジーナ」セシル・カステルッチ 著者はロック・シンガーらしい。ヤングアダルト的なストーリーと吸血鬼は相性が良いが古典的怪奇小説とは異なったものとなる。これについての是非については様々な意見があるだろう。
「家族の肖像」スティーブ・ラスニック・テム 現代の吸血鬼家族もの。食料供給に悩む姿はわびしさすら感じられる。
「闖入者」井上雅彦 著者らしいショートショートで安心して読めるか、現代化された作品を読むとクラシカルな味わいが貴重なものとすら思える。
「かはほり検校」朝松健 老境に入った一休和尚を主人公にした<一休どくろ庵>シリーズの一作目で耳なし芳一がモチーフだろう。怪異に動じない飄々とした一休がよい。
「In the gathering dusk」石神茉莉 妹を病で失った人形作家の出会った不思議な出来事。ちょっと意外な展開だった。
『堆塵館』『穢れの町』『肺都』<アイアマンガー三部作> エドワード・ケアリー
 ようやく読了したので感想(一気読みではない)。汚いけど多くの人々を惹きつけて止まないヴィクトリア時代を巧みに舞台に据えて良質なファンタジーに仕上がっている。自身のイラストも作品世界を魅力的なものにしている。何より生まれると「誕生の品」授けられ一生それを肌身離さず持っていなければいけないというアイアマンガー家の設定が秀逸。名前が持つ意味に焦点が当てられている点はアースシーにも共通するものがあり、ファンタジーの一つの側面を示しているように思われる。
『電子的迷宮』志賀隆生
 1980年代の高度に進化したテクノロジー現代社会を踏まえた本格SF評論集。時代的にサイバーパンクを背景にしているところがポイントで同時代の優れたギブスン評がおさめられているのが本書の重要なところだろう。他ディック、レム、ラヴクラフトについてのパートも面白かった。個人的にも当時の空気が思い出される。
AKIRA』1~6 大友克洋
 恥ずかしながら全部は読んでいなかったのですよ(苦笑)。現在からみると、長期に渡って幻魔大戦やマッドマックスなどのような黙示録的な世界からサイバーパンク的な人体変容あるいは攻殻機動隊を連想させるレトロ日本趣味などまで網羅され時代のモニュメントとして佇立している存在感がすごい。もちろんそうした要素はどちらが先かとか影響関係とかそういうことではなく時代の位相をそれぞれのクリエイターが切り取った結果ということだろう。

8月26日は例によって丸屋九兵衛さんのイベント、Soul Food Assasins Vol.7およびQ-B-Continued Vol.24に参加。
Soul Food Assasins Vol.7は文法編が続くのだが、非常に参考になる。細かな時制違いの表現とかあるんだなあ。まだまだ続きが楽しみでもある。Ain't No Mountain High Enoughも二重否定だったことに今更気づいた。
Q-B-Continued Vol.24は<歴史改変SF>特集。いや待ってましたーこれ。さすが丸屋さんでいろんなタイプの作品が紹介され、ものすごく楽しかった。やはり未訳の作品が気になる。沢山登場したハリイ・タートルダヴ(Hurry Turtledove)ではネアンデルタール人ホモ・サピエンスとが争うDown in the Bottomlands、S.M.スターリング(S.M.Stirling)の人種差別ディストピアものThe Draka Trilogy、キム・スタンリー・ロビンソン(Kim Stanley Robinson)の西洋文明支配が起こらなかった世界を描いたThe Years of Rice and Saltが面白そう。ムアコック(Michael Moorcock)のA Nomad of the Time Streamsも気になる。ピーター・トライアス(Peter Tieryas)とその作品の東アジア文化融合具合も実に近未来的な感じがする(ごめんなさい未読です・・・)。

山野浩一さんを偲ぶ会

去る7月30日に昨年7月に亡くなられた山野浩一さんのお別れの会が行われ、いちSFファンとして参加させていただいた。
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単なるファンではあるが、山野さんと関わりの深い方々によって刊行された半商業誌「SFの本」によって10代に初めてプロの方々と知り合うことができそこからなんだかんだ読み続けている身としては感慨深いものがあった。
(その頃の話については以前のブログに書いたことがある
発起人のお一人で代表として挨拶もされていた岡和田晃さん(いろいろご準備に奔走されていたようでこの場を借りてあらためて御礼申し上げます)をはじめ、ブログを書くようになってからお話させていただくようになった方々、そして10代の頃に出会い現在の自分にSFや本のことだけではなく様々な物事についての考え方を教えてくださった方々にお会いすることができて自分にとっても30年余のもろもろが一本の線でつながったような気がした。
さらに実は一番の驚きの再会があったのだ。
それについて説明するにはもう40年以上前に遡らなくてはいけない。全く記憶にないのだが短い期間アフリカにいたことがある(当時2歳)。父の仕事があり家族で行っていたのだ。なにしろそれだけ昔のことだ、日本人の家族などその国全体でも数家族しかいなかったらしい。そこに家族でやはりきていた日本人の10代の少年がいて、詳細は確認したことがないのだが日本人というだけですぐに知り合いになったのだろう、面倒見の良かった父は家に呼んで一緒に食事をしたり随分いろんなところへ連れて行ったりしたそうだ。その少年は当時将来の目標を考えることができずにいたが、父や母との交流を通じ次第に前向きに物事に取り組めるようになったという。やがて少年は長じて、競馬の世界で名のある人物として成功をおさめた。数年前に父が亡くなったとき、彼は母の前で泣き崩れたという。そのアフリカでの日々を彼はいつでも大切にし、父に感謝をしていたのである。
この会に参加するにあたり競馬関係の人々のことは頭に全くなく、まさかその人が参加しているとは思わなかった。こちらから声をかけさせていただくと大変に驚きそして喜んでくれた。多くの競馬関係の方にもご紹介していただく形になったのも驚きだったが、まさかSFや小説関係の方ではなく憧れの作家亀和田武さんにその彼から紹介していただくことになるとは思わなかった(笑)。
こうして30年余どころではなく人生まるまる一本の線でつながってしまったのだ。自分は山野浩一さんのまわりをぐるぐる回っていただけなのかもしれない(笑)。
なにはともあれ人間というのは出会いだなあとつくづく感じた。
というわけでほぼ個人的な話だったが、読んでくださった方々にもいい出会いがありますように。