異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

Eric Clapton@武道館

 Eric Claptonというと大きな変化を続けてきたロックの世界でその時代時代に先駆けムーブメントをつくりながらしかもポピュラリティを獲得し続けた人物だが、その分なんとなく王道過ぎるようなところがあってちょっと当ブログ主は敬遠してきてこれまでライヴに足を運んだことがなかった。ただBob Dylanを追うようになり、特にThem Time Radio Hourを聞くようになってから昔のBluesにも興味が出てきて、その結果世代としては逆の時代の流れからそれをRockに消化した人物としてEric Claptonが気になるようになった。
 武道館のライヴなど久しぶりで前回いつで誰のライヴだったか思い出せないくらいだが、あんな椅子だったけかな。Set listはこんな感じ。マニアではないのでメジャーな曲が並んでいて非常に心地よかった。こうしてみると結構カヴァー曲が多いんだけど、それもBob Marley含めてしっかりRockのツボを抑えているようなところがさすが。実はI Shot the Sheriffも最初のスタジオのやつはリズムが重くて好きじゃなかったんだけど(※追記 書いてから聴くとスタジオのやつ、そんなに重くないな・・・。ただliveによって重く聴こえるやつはあって、この日はいい方だった。バックミュージシャンにもよるのかなあ)それもちゃんとレゲエらしい軽さが出るようになってるんだよね(Tears in Heavenも近年はレゲエっぽいリズムを取り入れている)。とにかくRockの歴史をそのまま見ているような公演だった。時代についていってるのではなくて自ら道をつくってきた人だから公演自体がRockの歴史そのものに感じられるのも当然か。
 アコースティックじゃないLaylaも久しぶりらしいが(噂では10年ぶりとか)、それもありがたかった。Laylaはあの後半部分の転調がいいんで(あのパートを40分ぐらいジャムっていてもいいんじゃないか(笑)、アコースティックバージョンじゃない方がいいんだよね。サプライズでJohn Mayerが登場してのも凄かったね。いや正直John Mayor全然聴いていなんだけど(失礼)、海外アーティストの飛び入りって初体験だったのでツイてたなあ。しかもCocaineやってくれたし(Cocaineがらみの事件や放送自粛の納得しにくい動きがあったりする中で、みんなでCocaineって叫ぶのはRockの中二的な楽しさがあふれていてよかったなあ(笑)。強いていえばよくライヴでやっているらしいファンクっぽいShe's Goneも聴きたかったな。
 メンバーではピアノ音の方のKeyboardのChris Staintonが目立ってたな。素晴らしかった。一方オルガン音の方も渋い演奏を聴かせてくれていたがMike + The Mechanicsにも参加していたPaul Carrackなのか。懐かしい。
 もう少し曲が多くてもよかったかなとも思ったが、高齢のファンが多そうな中で18時始まりでメジャー曲をガンガンやって遅くならないうちに終了というのは優しいのかもしれないな。

クルムヘトロジャンはKrum Petrosyanではないかという仮説

 クルムヘトロジャンがどこの出身であるか長年気になっていた。
 非常に情報が少ない中で唯一の資料となる知香社のウロン文学全集11「へろ」も持っていない(まあ買おうにも価格的に無理だったが)ところで途方に暮れる中、幸いにもネットの時代ありがたいことに内容を確認することができる。そこでなるほどと膝を打ったのは萩尾望都先生による名前の分割説であった。
 クルムヘトロジャン。世には信じられないくらい長い苗字が存在するようだが、それにしても手がかりの得にくい響きである。例えば世界各国の様々なスポーツ選手の名前が毎日のようにニュースで飛び交い、ある程度のスポーツファンである当ブログ主がパッと結びつく感じの名が思い浮かばない。強いていえばアゼルバイジャンが響きとして近い感じがあるが、あくまでも国名であり人名とは違う。ちなみに当然ながらアゼルバイジャンの有名人に近い発音の名はなさそうだ。
 いろんな分割の仕方があり、萩尾望都先生はクルム・へトロ・ジャンの三分割説を提唱されているが、ここでは二分割説を提唱したい。クルム・ヘトロジャンという分割法だ。ただここからは多少批判を覚悟してわが説を唱えなくてはいけない。本当にヘトロジャンという表記が正しいのかどうかということだ。これには異論を唱える人が多かろうと思う。熱心なSFマニアである吾妻ひでお先生が作家の名前表記を間違うのだろうかという点だ。その辺は時代背景というもので解釈していきたい。例えばこの「へろ」の中に残念ながら原語ないしアルファベット表記はない。となると実際の発音との齟齬が生じての表記であった可能性は無視できない。もちろん当方の推論でしかないことを認めるにやぶさかではない。ここはあくまでも推論を披露する場でしかないことは重々承知している。しかし謎の多いクルムヘトロジャンになんとか新たな光を当てたいというのが本稿の目的である。ご容赦いただきたい。
 さてそのヘトロジャン表記に疑念を持ったのはロサンゼルス・エンゼルス所属のリリーフ投手キャム・ベドロジャン(Cam Bedrosian)の名を目にした時である。あたかも天啓を得たかのようにクルムヘトロジャンの謎を解き明かす鍵を手に入れた気がしたのである。
 しかし連続して濁音が続くベドロジャンとヘトロジャンどうにも違和感がある。そこで検索してみると、現在は便利なことにnames encyclopediaの様な各国のいろいろな名前やルーツを調べるサイトがあり、ある程度の情報を比較的簡単に知ることができる(これは合衆国など移民の国で自らのルーツを知りたい人々が多くいることが原因のようだ)。そしてこのBedrosianという名前がアルメニア系であること、また同じくアルメニア系にPetrosyanつまりペトロジアンとやや柔らかい発音の名があることを知った。検索するとロシア・合衆国・ウクライナなどに実際は多いようだが、この辺りは地理的要因が大きいだろう。そういえば人気の高いピアニストのティグラン・ハマシアン(Tigran Hamasyan)もアルメニアでちょっと響きの似た名前だ。
 だがここで問題になるのはクルムの方である。クルムといえば日本では伊達公子の夫であったミハイル・クルム(Michael Krumm)を連想する人が多いだろうが、あれはもちろん苗字であって、Petrosyanが苗字だとするとクルムは名前first name,surnameということになる。
 そこでクルムという響きにいろんな綴りを当てはめてみたが、例えばCroomという綴りの名があるようだが検索してみると有名人では苗字以外ではミドルネームで出てくるくらいで普通ミドルネーム+苗字で表記することはないからしっくりこない。
 やはりここは素直にKrumという綴りで調べると、ブルガリアの男性名に登場する。それもそのはず、クルムはブルガリア皇帝の名だからである。(サッカー選手やチェスプレイヤーにKrumの名の人がいるようだ)
 話をまとめよう。クルムヘトロジャンはクルム・ペトロジャン(あるいはペトロジアン)でありKrum Petrosyanと表記されるのではないかということ。アルメニア系の苗字であるが、ブルガリアと縁が深い名をつけられていて、そちらのルーツを持つかブルガリアと深い関係を有する経歴を持っているのではないかということ。そうした要素を持ちつつ他の国(合衆国、ロシアあるいはウクライナ)で活動していた可能性もあること。以上が推察された。中~東欧系の文学やSFの文脈からとらえられる人物という可能性がでてきたことになる。思えばわが国では中~東欧のSFが翻訳されてきた。そうした歴史のミッシングリンクにクルムヘトロジャンはなり得る存在なのではないか。有識者によるさらなる検討を待ちたい。

2019年のDeNAベイスターズ

 長らく野球ネタをつぶやかないうちにDeNA日本シリーズに進出するはイチローは引退するはどんどん時代が変わってしまった。
 いつの間にやら息子2人も(よせばいいのに)DeNAベイスターズファンになってしまった。弱いチームを応援すると苦労するぞよ、君たち(苦笑)。まあ昔よりは少しマシかもしれないが(1998年を除く)。
 人気チームになったからとりあえず愚痴もこぼさなくてよくなったこともあり、ブログに書かなくなったという点はたしかにある。
 ただ今年はちょっと書いておくことにしよう。ラミレスのことである。
 ラミレスはベイスターズ史上屈指の名監督だ。なにしろ日本シリーズにたどり着いたのが3回しかなく、その一回はラミレスなのだから。クライマックスシリーズという上げ底要素が強い仕組みに助けられてという側面は否めないがそれでも結果は結果。評価すべきだろう。
 データ重視という印象も好感が持てる。あまり細かく野球を見ている方ではないので他の監督と比べてどうかはわからないが、とりあえすこれまで見てきたベイスターズの監督の中では狙いがはっきりわかる監督だ。短期決戦に強いのも長所である。
 しかし昨年少々限界も見えてきた。よく采配というとその場で誰を使うかというような話になるが、昔ならいざ知らず現代野球ではいろいろシミュレーションして試合に入っているだろうから、実際に選手の交代時に瞬時に様々な選択肢を選んでいるわけでもないだろう。とはいえもちろん監督の采配は重要で、それはどういうチーム像でいくのか、その中で誰を使うかという事前に選択するその人事を握っていることの方がよほど大きいだろう。そういった点で昨シーズンはうまく機能しない部分が見えてしまった。論理的に正しくても傭兵が機能しないときもあるし逆もあるだろう。ただそれにしても相性というかうまく使い切れていない選手たちがいるように感じられる。また他の監督にも研究されてきて勝てなくなってきたのかもしれない。
 さて野球ネタのブログではないのをいいことに、開幕して雰囲気が少し見えてきたあたりで今後の流れを推測で書いてしまおう。おそらく今年はラミレス最後の年だろうと思っている。これは勝っても負けてもだ。ラミレス最後の戦い、Ramírez Last Standである(このブログとしては珍しいネタチョイスですぞ、ご注目。野暮は承知で元ネタはお分りでしょうな。スペルの合致はイマイチで日本語でしか語呂合わせになってないのが弱いのう(苦笑)
 ヤクルトに嫌な連敗をきし当面苦しそうなチーム状態の中で、最悪のケースもいちおう想定しておくとして、あまり負けが混むと途中解任もあると覚悟しておく。基本的にラミレス派なのでこんな予想は書きたくない。が、去年からその手腕にも不安が生じており、とりあえず最初の数試合見てもかなり苦しいシーズンになりそうなのは間違いない。そしてそのまさかの時のために招聘されているのが田代ではないかと思う(本人がそう打診されているかは別)。そして来年以降某番長の登場も・・・(どこが某じゃ(苦笑)。某番長はいい人過ぎて監督に向かない気がして、悲しい顔は見たくないから微妙な感情だが。
 誰も読まないだろうと思い、根拠のない推測を書きました。失礼いたしました。
 
 

2019年3月に観た映画・美術展

『恐怖の報酬』(Sorcerer)(1977年)
 William Friedkinのサスペンス映画ということで観に行ったが、実は1953年の作品Le Salaire de la peurのリメイクなのね。わけいありの男たちが高い報酬目当てにニトログリセリンの運搬を行うという筋立て自体がよい。現在からするとやや暑苦しいくらい汗と血と泥にまみれた映像の質感と逃げ場のないストーリーでいかにも70年代らしい映画で素晴らしかった。やはりRoy Scheiderって70年代映画の顔といった存在だよなあ。
『ブラック・クランズマン』(BlacKkKlansman)(2018年)
 軽妙で痛快また苦さも絶妙に混じりあったフィクションパートで楽しませ、人種差別が現在も続いている問題であることが迫ってくるパートも加わり、メッセージがよく伝わってくる。「国民の創生」の集団鑑賞のシーンが嫌怖ろしかったなあ。全体の70年代文化趣味も見どころ。黒人英語に関するものだけでなく言葉がネタになっているところが多く(KKKのメンバーFelixがキング牧師の演説を不気味にパロったところあったよね?)、面白いと思いつつもいろいろ分かってない部分がありそう。カイロ・レンのAdam Driver今回はいい人。主演のJohn David Washingtonは元フットボール選手でDenzel Washingtonの息子なのか!(同じくSpike LeeのMalcolm Xにも子役でちょっと出ていたらしい)。
『愛人関係』(Les seins de glace)(1973年)(TV録画視聴)
 なんで録画したのかと観終わって思い出したらマシスン原作だったから(最近すっと思い出せないことがいろいろ・・・(苦笑)。主演女優ミレーユ・ダルクと当時愛人関係にあったということでこのタイトルになったというのがいかにも時代を感じさせる。話にさほど目新しさはなくサイコあたりを意識したような大仰な効果音に違和感があるなど平凡な出来。マシスンだから原作の方は面白いのかもしれないなあ。
アンドロメダ...」(The Andromeda Strain)(1971年)
 初見。Michael Crichton原作未読。生真面目なシミュレーションによるパニックもので、終盤緊迫するもののそこまでは幾分単調。むしろ使われてる科学技術の描写がベーシックなものを中心としていて時代を感じさせるところなどに関心を持ってしまう。が、面白くしようとして雑に科学的な整合性を乗り越えて結局失敗してるようなものの方が多いだろうから、この真面目さは好感が持てる。
「空の羊」(1997年)(TVドラマ)
 BS12でやっていた向田邦子原案のドラマを録画して観てみた。1997年ということで没後になるがよくいわれるように小道具の使い方がうまい。向田邦子の民放ドラマのシリーズはほとんど観たことがなくてそっちの方にあまり興味がわかないのだが、昔NHKでやっていた「阿修羅のごとく」や「あ・うん」などの印象は強く時々観たくなる。
以下美術展2つ。
「奇想の系譜展」@東京都美術館
 そうそうたるラインナップが並ぶ様子は壮観。若冲の動物の愛らしさ、曾我蕭白の歪み(ほとんど全ての人物や生き物が変顔なことに気づいて一人で笑ってしまっていた)、長沢芦雪の構図の面白さ、岩佐又兵衛「山中常盤物語絵巻」の残酷、狩野山雪幾何学美、白隠慧鶴の知性的な大胆さ、鈴木其一の洗練された色彩、歌川国芳の物語性、ほんとうは一回では不十分なのだが混雑していたので会期末になってしまったので(より混雑しそうで混雑負けするたちなので)あと一回は無理だなあ・・・。
岡上淑子 フォトコラージュ沈黙の奇蹟」@東京都庭園美術館
 このアーティストのことは全く知らなかったのだが、シュルレアリスムのことは知らずに創作していてその後瀧口修造に出会ったという流れが面白い。シュルレアリスムの発想になんらかの時代を超えた思考法の核みたいなものがあったりするのだろうか(シュルレアリスム運動よりやや下の世代なので本人が無意識のうちにそういったものを選び取っていた可能性もあるが)。やはりシュルレアリスム系の作品は楽しいね。時間があれば庭園の方も回りたかったのだが。

2019年3月に読んだ本

もろもろあってかなり少なめ。
渚にて』ネヴィル・シュート
 破滅SFの中では静かに終末を迎える人々を描いていることで知られる。パニックに陥らず日常を送ろうとする主人公たちの姿は美しく切ないが全体的なトーンは古いハリウッド映画のように感じられてしまう面もある。
『二壜の調味料』ロード・ダンセイニ
 『ぺガーナの神々』 と課題図書にしたkazuouさんの怪奇幻想読書倶楽部第20回読書会に参加(毎回ありがとうございます!)。ダンセイニは数冊しか読んでいないんので著作の量からするとほんの一部で明るくなかったので、今回は長年ダンセイニを研究しておられた方々の参加もありいろいろ詳しいこと知る機会になった(荒俣宏さんのセレクションのセンスについなど)。『二壜の調味料』はユーモアが基調でホラ話(あるいはバカミス)的に読む、あるいは語り口を楽しむ本なのかなあという思った。そういう意味で変な話が多いのだが珍しく少年が主人公の「ラウンド・ポンドの海賊」がなんともいい味が出ていて好み(あと「新しい名人」は早期のロボットSFでなかなか貴重)。
『宝石泥棒』山田正紀
 久しぶりに名古屋SF読書会に参加するので読んだ。名高い日本SFの名作だが初読。山岸真解説にあるようにSF視点からの異世界ファンタジーというタイプの小説は他にもあるが異世界を描きこんでSFアイディアを処理するという点で本格的に取り組んだ作品はなかなかないのではないか(しかも連載された1970年末で)。『地球の長い午後』にインスパイアされていることも知られているが、その分熱帯的な部分がより魅力的に感じられる。一方で東洋的な要素が強いのも特徴、また反骨精神あふれる主人公もまた作者らしさである。

2019年2月に観た映画など

悪霊島』(1981年)(TV視聴)
 1月に観ていた。再見だったが、結構話を忘れてたのでそのままミステリとしても楽しめた。鹿賀丈史金田一耕助この映画だけなのね。世代的にCM何度も見てたせいか何度かやってたかなと思っていた。古いインプットは強いものがあるんだなあ。
さらば青春の光』(Quadrophenia)(1973年)(動画視聴)
 最近CSで見逃したことで非常に悔いが残りいてもたってもいられず動画を探して観た(笑)。世代的に長年ピンとこないでいたモッズとロッカーズの違いがようやく分かった。こちらが主人公の親側の世代になってしまったので若者の苦悩といったものが身近に感じらず、特にストーリーに感慨はなく、そういう意味では若い時に観るべきで観るべき時を逸してしまったのだろうと思った。それはともかく、もう少し主演に魅力があればさらに評価が高まってたのではとかつらつら思ったりもした(スティングの変なダンスは別として(苦笑)。さてやはりアルバム「四重人格」(Quadrophenia)を聴き直さねばということで聴き直したが、映画観た後だとよくわかりやはり傑作だと再認識(超絶今更乞寛恕)。1960年代末英ロック大物が揃ってた頃もし現地でロックファンだったらザ・フーを選んでたかも。ロジャー以外ルックスはイマイチな一方で実力はすごいというちょいマイナー好きにはたまらん感じ。

2019年2月に読んだ本

セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』フランソワ・ダンベルトン
 
shimirubon.jp

『飛ぶ孔雀』山尾悠子 
 比類ない美しい文体、そして異世界の構築性という点で追随を許さない作家だが、これまで描かれる世界は西洋的な印象の無国籍性をまとっていたが本作では日本の土着的な要素が強い。表彰は異なっていても描かれる世界はまさしくこの作家以外ではあり得ないものでその差異が読者にまた新たな喜びを与えてくれる。日本SF大賞も当然だろう。
『紫の雲』M・P・シール
 伝説の作品の登場。破滅した世界が丹念に描かれるパートが長い陰鬱な小説だが、強迫観念に満ちた本人の独白と各地を転々とするため当時の社会の様子が間接的に伝わってくるなどいろいろ発見が多い。再チャレンジしたい。
『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』アラン・ムーア
 このシリーズ前から気になっていたのだが後からジェリー・コーネリアスが出てくることを知り、慌てて読み始める。19世紀末を舞台に様々なフィクションから参戦した登場人物たちが協力したり戦ったりする楽しい作品で、細部への執拗なこだわりのアラン・ムーアなのでさらに安心感倍増。期待通りの面白さだが細部を楽しみはじめると他の作品が読めなくなりそうなのが恐ろしいな・・・。
『ぺガーナの神々』ロード・ダンセイニ
 各章短文の中に詰め込まれた(山尾悠子とは違った)濃密な異世界性がすごい。
『文藝別冊 マーヴィン・ゲイ
 大変充実したムックで鈴木雅之横山剣らビッグネームのンタビューも楽しいが様々な角度から切った記事がどれも興味深く刺激に富んでいた。かなり赤裸々でショッキングともいえる内容が含まれていたがありのままを包み隠さず表現したマーヴィンなので、その表現と大きく関わる諸々であることは伝わり煽情的な意図は感じられず、理解を深めていく一助となっている印象だ。