異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

2018年11月から12月に観た映画、展覧会、イベントなど

そういえば11月あたりから観た映画をつけてなかった・・・。(「ボヘミアン・ラプソディ」<アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ>以外)
「メアリーの総て」(Mary Shelley)(2017年)
 メアリー・シェリー本人とフランケンシュタイン創作の話は、バイロン、パーシーらとの怪談談義はじめ史実自体が現実離れしてるためか抑えめな演出で手堅くきた感じ。どちらかというと印象の薄かった妹クレアやポリドリが話に組みこまれたのは史実の研究が進んだからだろうか。
 観てから12/22にはSFファン交流会「祝!フランケンシュタイン生誕200年 ゴシックからスチームパンクへ」に参加。市川純さん(英文学研究者)、 刹多楡希さん(フランケンシュタイン研究者) 、 日暮雅通さん(翻訳家)、 北原尚彦さん(作家)というメンバー。近年の流れも面白いが、個人的には「メアリの総て」を観たばかりだったので、前半のメアリ―・シェリー周辺の実際の話が一番面白かった。自殺する異父姉ファニー・イムレイが描かれていないとか、スコットランドではパーシーに出会っていないとか(母メアリー・ウルストンクラフトの複雑な面をあまり打ち出すわけにはいかず、ファニー・イムレイは消去されたのではないかという話)。興味が出て『マチルダ』『メアリ―・シェリー研究』を購入してしまった(いつ読めるのか・・・)。
※その後ツイッターなどで映画の史実との違いが取りざたされているようだが、いちおうそれなりに真面目につくられた伝記映画が存在して間口が広がったのは良いことではないかと思った(それでも気が済まない人たちが多いだろうことも想像できる。なにしろ関わっている重要人物が多すぎるので。その分これからも研究成果を期待できる対象であるともいえそうだ)
ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」(Pat Garret and Billy the Kid)(1973年)(TV録画視聴) 
 なんとサム・ペキンパーの作品でボブ・ディランが出ていた(恥ずかしながらKnockin' on Heaven's Doorが生まれたことも知らなかった・・・)。出来はまあ普通ぐらい。若いディランはカッコいいが映画ではちょっと浮いてるような感もあった。
「猿人ジョー・ヤング」(Mighty Joe Young)(1949年)(TV録画視聴)
 要はキング・コングのスタッフによるゴリラもの)。アフリカから連れてきたゴリラにショーをさせる人たちがさほど悪役にならない、派手なクライマックスとそこへの流れは強引、と現在観ると粗はいろいろあるがハリーハウゼンのゴリラはさすがに良い。
「暁の挑戦」(1971年)(TV録画視聴)
 「暁の挑戦」観た。工業地帯として成長していく大正時代の川崎で実際に起こった庶民・ヤクザ・警察や市の対立をヤクザ映画の要素を取り入れながら映画化。庶民目線が良い力作だが、渋めなので埋もれていたらしい。幼稚園から小学低学年までは川崎市に住んでいたのでその意味でも非常に興味深かった。悪役の渡哲也が(当然かもしれないが)カッコいい。実際の事件はいろいろと複雑そう → 
鶴見騒擾事件 - Wikipedia

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 」(Captain America : Civil War)(2016年)(TV録画視聴)
 アメコミ映画も最近なかなか追えず、観始めてからアベンジャー/エイジ・オブ・ウルトロンまだだったことに気づいた (インフィニティ・ウォーも未見・・・)。 まずまず面白かったけどスカーレットやアントマンの能力なんかは強力過ぎて、話散らからないようにするのこれから難しそうね(と思ったら、公開予定の「アベンジャーズ/エンドゲーム」映画宣伝では「2019年、アベンジャーズが終わる―」とうたってたね。熱心なファンというわけじゃないけど、なんらかの形で一区切りつけた方が良い気はする)
ラ・ラ・ランド」(La La Land)(2016年)(TV録画視聴)
 非常にキレイな映画で、演出もしゃれてる。今更だが映画界の流れを変えるヒットになっているのだろう。黄金期のミュージカル映画に明るくないせいかこういうショービジネスものなら「オール・ザット・ジャズ」(All That Jazz 1979年)の狂った感じの方に惹かれるな(ここのところ「オール・ザット・ジャズ」何度も引き合いに出すかたちになってしまったが、年末にこれを観て頭にしょっちゅう浮かぶようになったのがきっかけ。あまりミュージカル映画を知らないので他に浮かばないこともあるが(苦笑)。ブレードランナーハリソン・フォードは踊れた記憶がないが、2049のライアン・ゴズリングは踊れないといけないから今の俳優さんの方が大変なのかな(バンドやってるから歌は歌えるんだな)。

他TVドラマ
AXNミステリー「メグレ警視(Maigret)」(「メグレ罠を張る (Maigret Sets a Trap)」シーズン1、エピソード1)(2016年)
 Mr.ビーンローワン・アトキンソンがあまりに渋い演技をしているCMを見かけたので(笑)。英国版ということになり当然英語。。ビーン(あるいはジョニー・イングリッシュ)に気難しい双子がいたかのように別人と化して実に渋い。歩き方や立ち姿は(手が長いのかな)なんとなくビーンなのはご愛嬌。面白かった。
BS日テレ・チャンネル銀河「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」(原題Muhteşem Yüzyıl ムフテシェム・ユズユル)
シーズン1、シーズン2(2011年)
 11月頃に一番力を入れて観ていたのがこれ。なにしろ長い。シーズン1で日本版は本来の1話を2分割して計48話、BS日テレで観たのだが1話60分だった。シーズン2にいたっては日本版79話で、こちらはチャンネル銀河で1話70分以上あった気がする(この時間の違いはなんなんだろう)。まず西欧視点ではない本格歴史ドラマであることにしびれる。西欧がオスマン帝国にビビっているのだ。これはなかなか新鮮。どうしても西欧以外は周辺の野蛮な異人として描かれやすいからねえ。正直、話の展開とかは斬新というわけでもなくベタだったりくどかったりでシーズン2終わってもちょっと話が進んだ程度(苦笑)。ただそれでも面白いんだよね。しっかり予算が使われた作品で衣装などが豪華で(戦闘のシーンはもう一つなものの)人員はたっぷりで文化面の描写が充実。全員エゴむき出しというのも素晴らしく、平均年齢の若めの俳優陣がハイテンションに攻めてる感じもよい。その俳優さんたちも多様な出自でそれもいろいろ興味を惹かれる。いつかブログでまとめて取り上げたいと思ってる。とりあえずシーズン3あたりまでは観たい気がするが、放送はどうなるのかなあ。

ムンク展―共鳴する魂の叫び」@東京都美術館
 かなり混雑していた。油彩の名作もいいけど、木版がよかったなあ。なんというかより表現が柔らかくなって温かみを感じる。ムンクといえば『ナイトランド・クォータリー vol.1吸血鬼変奏曲』の樋口ヒロユキ「魔の図像学」(1)でムンクの《吸血鬼》が取り上げられていて、画家の複雑な女性観が現れていることを知ることができた。(ムンクは同じモチーフを何度も書くので《吸血鬼》も何枚かあるのだが)実際に観た印象はなんだか丸っこくてかわいらしいのだった。その辺、激しい現実の痛みと本人の見た世界との一様ではない関係性がしみじみと思われるのであった。
athird.cart.fc2.com

12月に読んだ本、怪奇幻想ベストと映画ベスト

『奪われた家/天国の扉』コルタサル
 コルタサルの「真の処女作」といわれる初期短編集。
「奪われた家」内面的には充足している兄妹で暮らす家に忍び寄る影。不安の描出が巧みで多様な解釈ができるわずか数頁の傑作。
「パリへ発った婦人宛ての手紙」『悪魔の涎・追い求める男』にも収録されているが、こちらの訳ではですます調で静かな狂気が演出されている印象。最後にはまた別の恐ろしい意味が隠されていることに今回気がついた。
「遥かな女 ―アリーナ・レエスの日記」言葉遊びが多く含まれ訳す苦労がしのばれる作品で一種のドッペルゲンガーもの。
「バス」バスに乗った女性が不条理な目にあうという「奪われた家」と共通する題材が扱われている。
「偏頭痛」ホメオパシーがテーマになっているというなかなか評価の難しい作品だが、解説を読むと本人の身体的な苦痛への悩みがうかがえ、フィクション化することで解消した歩みの貴重な記録になっている。
「キルケ」婚約者が二人続けて亡くなった女の新しい恋人。これも「遥かな女」と同じくモチーフ自体はいかにも怪奇幻想といったものを流用しているところが面白い。
「天国の扉」友人の妻が亡くなって思い出の場所に行ったが・・・。これも怪奇幻想趣味を感じさせるが、肌の色の表現とかアルゼンチンの人種構成などがそこはかとなく現れている印象もある。
「動物寓話集」ベースとしては知人の家に預けられ居心地の悪い思いをする少女の話でそれだけでもなかなか面白いのだが、「パリへ・・・」のウサギと同じく時折挿入されるトラが不協和音的な効果を出している。
 解説を読むと平坦ではなかった作者の苦悩や体験が作品の背景にあることがよくわかるが、南米の地域性よりは普遍的な人間存在について描く作家という気がしている。
『見えない違い 私はアスペルガー』ジュリー・ダシェ
 アスペルガー症候群についてシンプルなメッセージを投げかけるコミックだが、社会の理解不足に苦しむ主人公を等身大で平易に表現していて伝わる部分が大きい。
『奇奇奇譚編集部 ホラー作家はお化けがこわい』
『奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ』木犀あこ
 ホラー小説や恐怖についてのメタ的なつくりになっていて、本人の内的衝動がはっきりしない現代的なところなど新鮮なシリーズ。どちらも面白いが、『幽霊取材は命がけ』の「不在の家」が<ないもの>を描くという高いハードルに挑み見事な一つの答えを提示していて素晴らしい。
チェコSF短編集』
 チェコSFの歴史をおさえられるという貴重な作品集。ディストピアもの(抄録が惜しい)「再教育された人々」、同じくディストピアもの「わがアゴニーにて」、タイトルから驚く「クレー射撃にみたてた月飛行」(もちろんバラードの作品を援用)あたりが印象に残った。
南十字星共和国』ワレリイ・ブリューソフ
 20世紀初頭の作品集で、幻想と現実が交錯し強迫観念に支配された人物が残酷な運命をたどるような短編が多いなかで、タイトル作はなんと南極の国家が疫病で崩壊していく様を描くというサスペンスフルな破滅SFでびっくりした。ちょっと早過ぎたゾンビっぽさすらある。

 さてtwitterで怪奇幻想読書会主催でブログ「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさん(いつもお世話になってます!)がハッシュタグ#日本怪奇幻想読者クラブ#怪奇幻想ベストブック2018をやっておられたので参加(あんまし読んでいないのですがー)。
1.『奪われた家/天国の扉」コルタサル(不安感の描出が巧み) 
2.『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード(SFだが怪奇幻想色強め。ただかなり暗い) 
3.『奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ』木犀あこ(「不在の家」超オススメ!)

 映画もいちおう選んどくか。あんまり観てないんだけど。
1.「バーフバリ 伝説誕生」「バーフバリ 王の凱旋」
 まあちょっと時期外れかもしれないが今年観た中では圧倒的。物語性という点では一つのエポックメイキング、時代が変わるポイントとなりそうな作品。
2.<アラン=ロブ・グリエ>レトロスペクティヴ
 映像に1970-80年代の質感があってそれと前衛が結びついてる感じが面白かった。当然いずれも古い映画なんですけどね。
3.「女と男の観覧車」
 あら意外なものが残ってしまった。コニーアイランドに惹かれるところがあって。場の力で観る楽しみというのを覚える種類の映画がある。
4.「私はあなたのニグロではない」(I AM NOT YOUR NEGRO)「ブラック・パンサー」
 シリアスなドキュメントとよくできたエンターテインメントで黒人視点映画の画期的な成果ではあるもののもう一歩踏み込みが足りない「ブラック・パンサー」とセットで観るのがバランスがいいかなあと勝手にセットにして。
5.「ボヘミアン・ラプソディ
 やはり終盤までの流れはたるいと思う。でも年末に観てからクイーンばかり聴いているので刺さってんだなきっと(苦笑)。

クイーンでだらだら正月

あけましておめでとうございます。
今年もまあこんなペースでやっていくつもりですが、よろしくお願いいたします。
ボヘミアン・ラプソディ」観てからなんだかんだクイーン三昧。
同世代の旧友たちとの忘年会でも話題(実はそれほどみんなクイーンファンではなかったのだが、知ってるというか長年親しんでいる曲は数多く大方のメンバーが映画も観てる。この浸透ぶり(特にこの世代)がクイーンらしさ)
制作者の思うつぼか(笑)。
ということで新年のだらだらした気分で、好きな動画をピックアップ。

youtu.be

聴き直したらフレディの擬音が多くてびっくり(笑)
この古い映画の挿入は当時インパクトがあったなー。
録音時ボウイが好意的でなかったとの話もあり、たしかに未整理なデモっぽさがあるが上のミュージックビデオの出来の良さもあって超名曲になっている。

www.youtube.comwww.youtube.com
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1985年ウェンブリー公演から。
フレディのアカペラというか雄叫びコールアンドレスポンスのAy-Ohとか記載されているやつから曲に入る動画。
こんなのを観るとライヴエイドの時だけじゃなくて毎回やってたのかなという気がしたり。
でもライヴ・エイドの方が先だからあの時に偶然発生したのだと解釈することにしよう(笑)。
実は結構ロジャーのハスキーなバックヴォーカルがよく効いていることがわかる。
Another One Bites the Dustでもそうだったなあとあらためて思ったり。



https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=under+pressure&ei=UTF-8&aq=-1&oq=under+press&ai=v0VrCWF.QLSOXnjDx5_czA&ts=4992&fr=top_ga1_sa
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これは1992年フレディ追悼でアン・レノックスも加わったバージョン。

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同じライヴから。フレディの代わりではなく楽曲をジョージ・マイケル自身のものにしてしまった伝説的歌唱。
個人的には最も印象的なSomebody to Love(クイーンファンごめんなさい)。

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意外と悪くないロジャーのRadio Ga Ga。
いろいろ聴いたり検索したりしているとThe Worksからロジャーが目立つ形でバンドを牽引していってるような気がしてくる。
ソロアルバムFun in SpaceのジャケットなどクイーンのSF趣味は多分にロジャーによるところがありそうで、映画だと気のいい兄ちゃんっぽい扱われ方だったがその辺も実際はやや違っていたかもしれない(時にイケメンがかえって軽く扱われたりというパターンもあるからな(笑)。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」とクイーン(後編 80年代のクイーン)

 というわけで後編は80年代のクイーンのアルバム紹介である。基本オリジナル・アルバムのまとめ。リアルタイムで体験したものを重視して、というのと正直全部は網羅できないということもある(苦笑)。調べはじめてソロ活動もかなりさかんな時期だと気づいたが、これも追い切れず今後の課題とさせていただきたい(陳謝)。それからとにかくなるべく当時の心理を思い起こしながら書きたい。
まず当ブログ主は小学生時代にはまだロックを聴いていなかった。小学五年の夏休みに川崎から横浜に転校したのだが、転校先にはビートルズを聴いている少年二人がいて横浜はなんだか進んでるなあと思った記憶がある。ということで自分は特に関心を持って音楽を聴いておらず、とりあえず歌謡曲は知っていてもロックのことは全く知らなかった。中学に入り積極的に音楽を聴くようになったが、曲を知るきっかけはヒットチャートからで、(正確には1979年からとなるが)そうした流れで耳に入ってきた80年代の音楽が大きく自分の音楽観に影響を与えている。(ちなみにそのビートルズを聴いていた二人組の一人は本職のミュージシャンになった。敬服する)
さて同時代で体験したクイーン、どんなバンドだったかというと率直にいって「なんだかよくわからないバンド」だったのである。その辺について書いていこう。
〇The Game「ザ・ゲーム」(1980年)
 80年代の幕開けはこのアルバムだったのだなあ、としみじみ思う。シングルヒット連発だったのだが、特にカッコいいなあと思ったのがCrazy Little Thing Call Love、Another One Bites the Dustの二曲。後から振り返ると、No Synthesizerを誇りとしてアルバムにも銘打っていたクイーンがシンセサイザーを導入したという位置づけだが当然知る由もなく、とにかくロック初心者だった自分にはカッコいいバンドだなあという印象しかなかった。聴き直してみると前作Jazzまで様々なサウンドにチャレンジしアルバム8枚目で円熟期に入ったバンドが時代を反映してあくまでロックンロールをベースとしながらもダンスミュージックに接近したアルバムということがわかる(1986年のWembleyでのライヴを観るとAnother One Bites the Dustの前にフレディが「次はBoogieで行くよ」といっている)。
〇The Flash Gordon「フラッシュ・ゴードン」(1980年)
 B級大作のサウンドトラックだが、テーマソングはクイーンならではの高音コーラスが印象的でやはりカッコ良かった。ロックと同じく中学になりSFを読み始めたので、ロボットを題材にしたNews of the World(「世界に捧ぐ」)のジャケットと合わせて、SFとクイーンはイメージとして強く結びついた(SF雑誌Astoundingの表紙を元にしていたことは後で知って、SF関連が多いのはXボンバーのイメージが強い天体物理学博士でもあるブライアン・メイの趣味かと思ったが、どうやらロジャー・テイラー雑誌を持っていたらしいのでロジャーの趣味なのかもしれない)。映画ではSF趣味の話はスルー。ブライアン・シンガーはアメコミ映画撮ってるが、あえて触れなかったということだろうな(入れるとしたら相当上手くさらっと組み込まないと未消化になりそうだから、判断としては的確だろう)。
〇Greatest Hits「グレイテスト・ヒッツ」(1981年)
 一つだけ編集盤をはさむ。自分が20世紀ロックベストに入れたやつ。どこを切ってもクイーンらしくキャッチ―で高品質の曲が続く様はエンターテインメントとしてのロックのある意味一つの到達点を感じさせる。そんなことはわかっているよ!というファンの声も聞こえるが、ここでクイーンのサウンドは一区切りつくことになるので入れた。
〇Hot Space「ホット・スペース」(1982年)
 The Gameではダンスミュージックへのアプローチをしたというレベルに留まっていたが、今度は全面的にダンスミュージック戦線に本格参戦、その結果旧来のファンの失望を買い(控えめに表現しても)問題作とされてしまったのが本作。ここで当ブログ主はクイーンとすれ違うことになる。と書かざるを得ないが、実は内容に失望したのではなく、このアルバムというかBody Languageを妙に気に入ってしまったことのがむしろ原因である。今のようにオンラインで自由にアルバムを聴いたりすることができない時代、ヒットソングぐらいしか知らないクイーンの新曲が彼ららしいかどうかなどとても15歳のロックファンに判断がつくはずもない。元々洋楽の聴き始めがマイケル・ジャクソンあたりで、ディスコの影響を受けたロックがヒットを飛ばすのを当たり前に受容しながら聴き始めていた身としては、単なる「ものすごくエロい(と思われる)歌詞のカッコいい曲」でしかなかった。エロいことは当然ロックだと思っていたので(誤解)、同年1999をリリースをしてその年か翌年あたりにビデオがヘヴィローテーションになるプリンス(1枚前のアルバムの曲ながら、曲の最後に脱ぎ始めるSexualityもTVKあたりでよく流れて大層コーフンした覚えがある)と同じポジションにあるような大好きな曲だったのである。ちなみに違う話になるがクイーンの世界的な人気はストレートなメッセージのわかりやすい歌詞にもある。英語圏ではない人たちにも歌詞がわかりやすく覚えやすい。さて話をHot Spaceに戻すがクイーンのキャリアを振り返るとやはり本筋ではない流れだったことは次作のThe Worksによって判明する。ただ個人的にはこのHot Space非常に好きなアルバムだ。Dancerもファンキーでカッコいいしトシちゃんでお馴染みBack Chatや全面ファルセットのCool Catも面白く、今見るとゲイカルチャーであるディスコ文化へのフレディの憧憬ととらえることができるアルバムでもある(ただディスコ的なアプローチはAnother One Bites the Dustの作曲者であるジョン・ディ―コンの関与が大きいのかもしれない)この路線をもう少し推し進めても良かったのではないかとすら思う。むしろ問題は、B面になるとダンスミュージックへのアプローチが弱く統一性が感じられない中途半端さにあり、旧来のファンにもそれなりに満足してもらおうとした苦心が垣間見える。こうしたファンへの配慮はクイーンの特徴であり、うるさ型のロックファンには「ロックらしくない」と受け取られたのではないかと思う。ファンの期待を裏切るのが「ロック」らしさだからである(アコースティックを捨て「裏切り者」と罵られたボブ・ディランのように)。一般的にはボウイの参加によってクイーンらしからぬニューロティックな仕上りになった超名曲Under Pressureが救いになっているという評価のアルバムだろう。ちなみにこの曲を聴くと独特のスキャットもフレディの得意技であることがよくわかる。
〇The Works「ザ・ワークス」(1984年)
 リアルタイム、とはいってもこのアルバムヒット曲しか聴いたことがなかった。なので最近聴いた感想も混在している。1984年になると大分ロックファンとしての好みやこだわりも自分なりに出てきていた。とにかくメジャーなバンドだったので、ビデオやレコードでそれなりにクイーンの曲に接することは多かった。が、すごくクイーンにはまるということはなかった。既にクイーンは大御所で少し年長の人たちのものという印象で、もう少し下の世代で評価が十分に定まっていないミュージシャンに比べて感情移入しにくいところがあった。「ロック」は反抗の音楽といった側面を持つから、(上の世代にアンチをつきつけるイメージの)下の世代の方がファンを惹きつけやすい。<オレたち>のバンドをファンは探すからである。自分の場合はNWOBHMNew Wave Of British Heavy Metal)あたりだったり、ゲイリー・ムーアだったり、それこそプリンスやフィッシュボーンだったり、無節操に思えるかもしれないがトンプソン・ツインズだったりもした。年長だとローリング・ストーンズあたりはちょっと別格に感じていた。さてクイーンだが、カッコいいと思っていたHot Space(というかBody Language)がどうやら不評だったことを知り、ファンでもないのに失望のような整理のつかないモヤモヤと悲しい気分を抱えながらThe WorksのシングルカットRadio Ga Gaのお金のかかったミュージックビデオを観て、クイーンというバンドとすれ違ってしまったことに気づく(映画メトロボリスを使ったビデオは悪くなかったが)。なんだよタイトル「ラジオ・ガ・ガ」って・・・というのが第一印象だ。聴いてもう一度びっくりレディオ・ガ・ガの後にレディオ・グ・グときた。多感で尖った(つもり)の高校生にはどう受け取ったらいいのかわからない。おふざけなのかとすらちょっと思うような歌だった。今聴き直すとこれはクイーン流のテクノポップ。アプローチは手堅い。メロディは親しみやすく歌詞は「ラジオ賛歌」というヒューマンタッチのちょっと古い「ロック」らしさを背景にしたものだ。クイーンにはそうしたところがある。常に最適解を出してしまうようなところだ。テクノポップを取り入れしかもクイーンらしさを出したサウンドとして最適の答えがこの曲だろう。しかしそれが「ロック」らしさに欠ける理由でもある。アルバムとしても1曲目のRadio Ga Ga曲調は手堅いとはいえシンセサイザーどころかドラムマシーンまで使った新しいサウンドで旧来のクイーンのファンを不安にさせるが、それを取り返すように2曲目のTear It Upはブライアンのギターを前面に押し出したストレートなロックで、その安心感を与えて引き込むファンサービスは心憎いばかり(1曲目に新しいアプローチを見せてから2曲目に初期からの安定した路線を入れるというアルバムが多い)。その心配りもまた「ロック」らしくない。例えば「ロック」らしいテクノへのアプローチといえばニール・ヤングの「トランス」が思い浮かぶ。アコースティック・ギターの名盤を残してきた大御所が何を血迷ったかヴォコーダーでComputer Ageと歌いだしたのだ。ただごとではないが、これこそ予想を裏切る「ロック」らしい光景だろう。冗談や思いつきではなく本人らしい切実さがあるのがポイントだということも追記しなくてはならないが。クイーンは早過ぎるアプローチはしない。ディスコを意識したロックとしてAnother One Bites the DustはストーンズのMiss Youより後だ。慌てて飛びつくのではなく消化して完成度の高いものを提示するスタイルで、これはあまり「ロック」的なアティテュードとはいえないかもしれない。新しい試みがファンに受け入れられないのはむしろ「ロック」としては勲章のようなもの。その手堅いアプローチは、ちょっと一端のロック通になったつもりの青二才当ブログ主には当時クイーンが「おっさんのいっちょ上がった」グループだと感じさせるに十分で、結果的にその印象から(翌年来日するものの興味が持てず)フレディを生で観る機会を一生失うことになる。残念ながら縁が無かったということなのだろう。ただ前回も書いたようにこれがクイーン流のロック表現であり、それが現在伝わったというのがクイーン人気なのだろう。今から振り返ると、当時メンバーの平均年齢は35歳を超え(今ほど高年齢のロックミュージシャンが多くなかった時代としては)もう押しも押されぬベテラン、ミュージシャンとしてプロ意識の高い彼らが不評を買った前作の方向修正をしたのは無理からぬところだ。それからこのRadio Ga Ga、ロジャーの作曲で初めての大ヒットということで、時代時代で4人それぞれが牽引役を果たしており、全員が力量が高かったことが変化の大きいポピュラー音楽の世界で生き残るのに役立ったことがわかる(ただ民主的な運営の分アルバムは総花的でバランス重視になりがちなのかもしれない)。ちなみに映画では「シンセサイザーなんか入れるのか、クイーンらしくない!」といった発言するのはロジャーになっている。Hammer to Fallは新味のない曲のように以前は思っていたが、映画後にライヴなどを観直すと印象が変わる。歌詞の意味もグッと迫る名曲である。
 リアルタイムでのクイーンの印象をまとめると以下のようになる。カッコいい曲を連発しちょっといかがわしいところもあって、いいなとは思いつつ強力にプッシュするには自分たちの世代のためのバンドという風には思えず(器用すぎるせいか)どの曲が本筋か(自分としては)見定められないままいつのまにかホットな感じがを受けなくなってしまったバンドといったところだ。

 
 さてこれ以降はリアルタイムの印象からこれまで興味が持てず、ほとんど聴いたことがなかったので今回聴いてみた感想である。
〇A Kind of Magic(ア・カインド・オブ・マジック)(1986年)
 One VIsion、Friends Will be Friendsなどこれまた良曲が並ぶが全体の印象としてはThe Worksと同じ、ベテランのプロらしい安定した作品という感じだ。基本的にはThe Gameあたりでクイーンサウンドは完成、あとは時代に応じて微調整をしていくといったところではないかと思う。ジャケットやタイトル曲のミュージックビデオは子供やロック初心者に親しみやすいものとなっている。The Worksもそうだが、ベテランとなりサウンドを確立した彼らがロックを教える伝道師としての役割を果たそうとしているようにも思われる(そうなるとレディオ・ガ・ガ、レディオ・グ・グのような無意味な語呂合わせは全くの正解だ。スキャット唱法や擬音はフレディの得意技なのだから)
〇The MIracle(ザ・ミラクル)(1989年)
 ポップ路線が続いてフラストレーションがたまったのか、ハードロックI Want It All、Was It All Worth Itを代表としてブライアンのギターが大いに目立つ。ただシンセサイザーを使った前2作を踏襲した路線の曲も入りやはりバランスは配慮されている。

 クイーンの本質は高度なメンバーのテクニックを背景に歌詞のわかりやすく圧倒的なロマンティシズムをポップで親しみやすいメロディと非常に高い構成力で劇的に演出するところにあり、美しいハーモニーそしてフレディの類まれな表現力やブライアンのギターの音色などが大きな特徴となっている。結局クイーンらしさというのはやはり前半期(The Gameまで)の名曲群を指すのだと思う(だから今でも1981年のベストアルバムが入門に最適)。Hot Spaceは大好きだが、本質とはいえない。Body Languageは名曲だと思う。ただ素直に正直に音楽を聴いていても、結果としてそのグループとどうしてもうまくかみ合わないこともある。自分にとってクイーンとはそんなバンドだ。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」とクイーン(前編 映画の感想を中心に)

さて当ブログ主、熱心なクイーンファンとはとてもいえない。それどころかアルバムも通して聴いていないのが結構あった。しかし同時代で過ごした身としてはちょっと言及しておきたいところがある。まあ一応クイーンとロックリスナーとしての自分の距離感を示しておこう。
20世紀ベスト・ロック・アルバムを選ぶというネット投票企画を音楽評論家の小野島大氏が21世紀に入ったところで行った。
そこに投票したことがある。
ありがたいことにまだ生きていた!(結果の詳細を忘れていたのでほんとうに助かった)
中の人の名前だけ抜いてコピペします。

(引用開始)
[83] なにもなかった1980年代 投稿者:(※中の人の名前) 投稿日:2002/02/13(Wed) 13:55:19
1.“The Reality Of My Surroundings” Fishbone
2.“Freak Out!” Frank Zappa & The Mothers Of Invention
3.“There's A Riot Goin' On” Sly & The Family Stone
4.“Remain In Light” Talking Heads
5.“Livro” Caetano Veloso
6.“Goodbye Blue Sky” Godley & Creme
7.“Revolver” The Beatles
8.“Colossal Head” Los Lobos
9.“テクノデリック” YMO
10.“Greatest Hits” Queen

 あらあらストーンズザ・バンド、プリンスまで落ちちゃった。ビートルズが7位なのも恐れ多い。パンクどころかニュー・ウェーブまで一段落したあとに音楽を聴きはじめたもののヒップ・ホップやグランジにはのりそびれた1967年生まれ80年代音楽育ち。ミュージック・マガジンに影響されワールド・ミュージックやファンクと一緒にロックを聴いた20年でした。
 1位は同時代に体験したNo.1ロック。大成功せず失速気味となったのは非常に残念。10位のQueenは1981年のもの。ヒット曲のならんだ感じはちょっと他にない感じ。
(引用終了)

 オレ偉い、クイーンを入れてるぞ(笑)。上記のリンク先をご覧になればわかるように、このベスト全体を通じてもクイーンはアルバム部門でランクインならず(それは傑作アルバムが多くてばらけたということではあるだろうが)、アーティスト部門でも49位止まりである。日本との縁が深いバンド(日本から人気が出た、とまでは言えないものの日本での人気がブーストしたバンド)にしてはもう一つ評価が低い。
ちなみに2007年レコードコレクターズ選出の1960~80年代のロック名盤100にもどうやらクイーンは入っていない。
 さて海外ではどうか。2004年と2011年に有名なアメリカのロック雑誌Rolling Stoneが選出した偉大なアーティスト100(まあImmortals of Rock & Rollということだからロックアーティストということでいいだろう)こちらはちょっと面白いことがわかる。
フレディが亡くなって新作も発表していないのに2004年ではランクインしなかったクイーンが2011年で51位に入っているのだ。
ということでオレスゲエ、といいたいところだがリンク先のRolling Stoneの下にあるVH1(アメリカの音楽チャンネルらしい)によるベストでは1998年の時点で33位に入っているので、自分の選んだのもベストアルバムだしオレそんなにスゴくない(苦笑)。ただこちらも2010年には17位と上昇しており、2010年代になってから評価が爆上げされているバンドということはいえそうだ。
さらに気になって英国のロック雑誌だとどうだろうと思って検索したがうまく引っかからず、NMEが影響力の大きい100アーティストを挙げていたが、そこには入っていないようだ。(ただこれはマイナーなバンドが沢山入っていて革新的とかそういう切り口っぽい)
 そろそろ映画「ボヘミアン・ラプソディ」の話をしなくては。率直にいってあと一歩といった出来だった。伝記映画とはいえ劇映画なので史実との違いとかはある程度やむを得ないと思う(詳しくはないのできちんと指摘は出来ないが)。そこではなくせっかく終盤のライブ・エイドの部分が音楽映画らしく躍動感があふれているのに、そこにいたるまでがもったりしているのだ。ドラマ部分も(ある程度史実に忠実らしいのが逆に厄介なところなのだが)よくある線をなぞっているにとどまっていたので正直退屈で、そこを削いでもっとクイーンの曲をつなぎながらガンガン観客をのせていった方が良かったのではないかと思ってしまった。クイーンの曲はどの時代でも彼ららしさがあり、多少知られていない曲でも雰囲気を壊すことはないだろうし。とにかく終盤は良かった。個人的に持っているフレディのイメージもあると思う。終盤が良いのは残された時間を前にしてフレディが迷いを捨てて「自分がどういう人間かは自分が決めるのだ」と宣言するからで、こうした不屈の人物をテンポ良く描いた映画にはたとえば「ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男」があって、やや自己中心的な人物を楽しく見せるのに成功していた。またショウビズ映画としては「オール・ザット・ジャズ」の主人公ジョー・ギデオンの魔に取りつかれたような様も印象的だった(※2019年1/1追記。後から気づいたのだが「オール・ザット・ジャズ」はボブ・フォッシーによる自伝的映画なのだが、フレディ役のラミ・マレックのインタビューでフレディがフォッシーの影響を受けていたことが書かれていた。あながち無関係な連想でもないのかもしれない)クイーンにはThe Show Must Go Onというそれそのもののタイトルがついた曲があるが、他にもLet Me Entertain Youという曲があってこれも歌詞に「ショウへの準備はいいかい」といった箇所があって、ロックバンドであってもギグやライブではなくてあくまでも<ショウ>であるところに彼らの特徴が出ている。フロントマンであるフレディの個性が強く現れた結果だろう。
 バンドのメンバー役も雰囲気はよく出ていた。特にブライアン・メイの落ち着いた感じは(誰がフレディをやっても難しいことはわかりきっているので)らしさに安定感を与えていた(髪型に騙されているのかもしれないが(笑)。
 ※映画を観た人用のネタばれ入り動画 → 
https://www.youtube.com/watch?v=-XqPBEODZ4s&feature=youtu.be

 さてなぜクイーンの評価が高まったのか、あるいは以前低かったのかということだが、これは少々鬱陶しい話になってくる。現在の音楽ファンにはわかりにくいと思うが、<ロック>という言葉に「音楽ジャンル以上の何か」が強く求められていた時代と関係しているのではないかと思う。基準があるわけではないので説明しにくいがそれは「新しいことをやろうという(自由な)精神」「無茶をする勇気」だったり「聴いている人たちを驚かそうとする意気込み」だったり時には「不良性」だったりする、いわばアティテュード的な要素ともいえる。もちろんクイーンはいわゆるクラッシックロックの時代のバンドなので、そういう要素は大いにある。ただし曲Bohemian Rhapsodyのアイディアには10ccの影響があり、Another One Bites the DustはまんまChicのGood Timesだ(こうしたことは映画には登場しない。それ自体は劇映画だから特に是も非もないと考える)。クイーンは実に優秀なバンドで全員が優れた作曲能力を持った上にテクニックは抜群、曲をまとめる構成力も兼ね備えている。メンバーもまあフレディの放蕩はあったものの暴力的だったり攻撃的だったりするタイプではなく不良性の少ないバンドである。完成度よりむしろ新奇、一番乗りであったり危うさがあったりすることが評価されやすいジャンルでは相対的に評価が下がる傾向があったのだと思う。やがて時は流れ、ワールドミュージックという概念が登場し各国の様々な進化形態を呈したロックが知られるようになり、これまであったロックのイメージが崩れ何を持って「ロックらしい」とするかが不鮮明になり、また新しい音楽として君臨してきたロックもヒップホップの登場でその「新しさ」にも影が差すようになった。そうした時代の変化のなかで圧倒的に優れた楽曲をつくり続けたクイーンの評価は上昇していく。日本でいうと1970年代に雑誌ミュージック・ライフなどビジュアル面を押し出した若いロックファン向けの媒体で火がついたクイーンを、90年代になるとワールドミュージックや芸能といった切り口を持っていた雑誌ミュージックマガジンが前向きに評価する動きが出てきたのだ(ミュージックマガジンのどれかの号で英米以外の国特に南米でのクイーンの人気ぶりに言及した記事があった記憶がある。英米ロックの本流と異なる性質をクイーンは持っているというわけだ。奇しくも映画でリオの印象的なシーンが登場する)。売上などでは景気の良い数字が並んでいたクイーンにようやく専門家の評価が追いついたのだ。(もちろんこれは主に日本の状況だが、ロックの位置づけが変わったのは世界的なことなので他の国でも似たような流れがあったのではないかと考えている)
 最後はちょっとだけ自分語り(笑)。ブログ主は10位にクイーンを入れた。teenagerというのは~teenとつく年齢でthirteenからnineteenにあたるわけだが、自分の場合1980~86年がそれにあたる。つまり80年代前半がそのまま自分の方向性を決めたといってもいい。80年代は近年こそリバイバルされたりもするが、一部音楽ファンに「なにもなかった」と揶揄されがちでそこには反発があったし今でも80年代のポピュラー音楽には独特の思いがある。それにロックというのはやっぱり流行り音楽だし、その時期を体感した同時代のファン出なければわからないのではない部分が大きくあると考えて80年代音楽に影響を受けた世代の視点から選んだ。他の時代のロックも入れたし、やや強引にCaetano Velosoも入れたりしたが、クイーンは(デビューは70年代といはいえ80年代初頭もシーンの中心であったし)やはり同時代を象徴したバンドの代表として、またその時代の日本のロックファンが推したバンドの一例として是非入れたかったのである。
 さて後編はクイーンの80年代のアルバムを聴きなおしていきます。

<アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ>観た

 ロブ=グリエ、識者の方々が言及していたので以前から気になる存在で2冊ほど読んでいた(『消しゴム』は面白かった)が、やはりよくわからないところもあってどうもはかりかねる作家という印象があった。映画を撮っていたことも不勉強ながら今回はじめて知って、いい機会なので6本全て観てきた。
 先に結論を書くと、結構面白かった。表現者としては従来の方法を革新する実験的な手法を打ち出すが題材は非常に通俗的で前衛というには煽情的で娯楽というには没頭しにくいというなんともいえない不思議な作品がそこにあった。(通俗的な部分については元々殊能先生が指摘されていたな)
「不滅の女」(1963年)
 ロブ=グリエ初監督作。イスタンブールという異郷で男が謎めいた女に魅了されるうちに次第に日常が歪められていく。夢なのか現実なのか、はたまた時間線を混乱させているのでいつのことだかわかりにくい作品が並ぶが、中では比較的筋(らしきもの)を把握しやすい作品である。通してみると最初の作品である本作で既に特徴が出ている。大枠としてミステリ(謎解き)を援用している、円環構造、煽情的なエロス、反復そしてポーズや撮影角度を代えての反復を行う、交通事故がモチーフになる、人形のような女体表現(ポール・デルヴォーを想起)などなど。舞台が同じなのでディッシュ「アジアの岸辺」も思い出したり。
「ヨーロッパ横断超特急」(1966年)
 ついついKraftwerkを思い出してしまったり(苦笑)。閑話休題。映画をつくっていく側がプロットを変えていくことにより、登場人物たちがそれに合わせて動き、そのうちに双方の世界が同一の場で展開されるというメタフィクショナルな作品。ただ表現の実験はやや抑え気味で、スパイもののフォーマットが使われていて、過剰に煽情的な部分もないので観易さという点では一番かもしれない。
「嘘をつく男」(1968年)
 第二次大戦末期に追われる男が虚々実々の発言で女性たちを混迷に陥れる話。時間線が直線的ではなく繰り返しの表現が多いため、ところどころ眠気を誘うロブ=グリエ作品だが(苦笑)、そこに言葉での゛信頼できない”度が加わるともうちょっとブログ主のような凡人にはとてもついていけない。ラストはまあはまっていた気はするが、今回一番キツい一作であった。ただ処刑のシーンなどゴシックの要素をそこはかとなく感じさせるのは以下の作品と共通するものが感じられる。
「エデン、その後」(1970年)
 学生がたむろするカフェ・エデンが舞台のフランスとその後謎を追っての舞台チュニジアコントラストが印象的な作品。初のカラー作品ということだが、パンフレットの解説を読むとチュニジアのジェルバ島に魅せられカラーを撮ろうとしたことや当初脚本を全く準備してなかったことがわかり(解説「エデン、その後」遠山純生)、ややギクシャクしたところを感じさせる理由はそこだろうか。あと解説によってデュシャンモンドリアンの作品がモチーフになっていることもわかる。光の強いチュニジアの色彩は実に鮮やかで素晴らしい。他ガラスの容器を割るところや出血、嗜虐的な描写といったあたりに特徴がよく出ている。
「快楽の漸進的横滑り」(1983年)
 殺人の容疑者となった女性がアニセー・アルヴィナが周囲を惑わす小悪魔的な女性を演じエロティックな描写が前面に出ている作品。ロブ=グリエ作品には多くの女優が登場するが、人形的な表現が多く本人の個性が抑制される傾向にあるが、彼女の演じるアリスは例外的に自由にふるまっているように見える。閉ざされた修道院を思わせる刑務所、吸血鬼を思わせる描写などゴシック趣味が強く感じられる作品でもある。
「囚われの美女」(1983年)
 情報屋の男が謎の美女(またかよ)に惹かれ、異常な世界に入りこんでしまうというこれまたいかにもらしい作品。通俗的なエロ表現が過剰でついつい笑いを誘われてしまうことがあるロブ=グリエ映画だが、なんと冒頭からつなぎのバイク美女ですよ!あまりに70~80年代のノリで(だから1983年だと少々時代遅れになってきていたかもしれない)、その頃に10代を過ごしたオジサンとしては何とも懐かしい感じもした。秘密倶楽部の会合の場となっているような不気味な御屋敷もまた(タイトル同様)ゴシック趣味を感じさせる。これも交通事故の場面が繰り返し出てくる。

通俗的ともいえる煽情的な表現を用いて夢と現実を実験的に探究しようとする、こうした時代精神J・G・バラードと共通するものがあると思われるが、既に岡和田晃氏が[https://shimirubon.jp/reviews/1673648:title=[https]://shimirubon.jp/reviews/1673648:title=指摘していた]。実際検索してみるとJ・G・バラードロブ=グリエ並々ならぬ関心を抱いていたようだ。そういえばバラードの゛もう一つの”デビュー作(「プリマ・ベラドンナ」とほぼ同じ時期に執筆されたが掲載雑誌が数週間遅かったため2番目の作品とされた)「エスケープメント」も時間ループものだったな。
※2019年1月14日追記 ロブ=グリエ とバラードについてはWebミステリーズ『ハイ・ライズ』評で渡邊利道氏も言及しておられる。→ http://www.webmysteries.jp/sf/watanabe1607.html

2018年11月に読んだ本

オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』鈴木董
 当ブログ主が現在最もはまっているのがTVドラマ「オスマン帝国外伝」なのだが、おかげでオスマン帝国自体にも興味が出てきた。で、丸屋九兵衛さんの選書フェアで並んでいた本書を読んでみた。奴隷上がりでも大帝の寵愛さえあれば出世できるという劇的な時代の背景がよくわかり面白かった。「オスマン帝国外伝」帝国の内部争いといったが描写が多くそのせいで衰退したのかなと思ったが、必ずしもそういうわけでもないようでちょっと安心した(笑)。
『iPhuck 10』ペレーヴィン
 疫病の広がりで直接の性交渉が禁止された未来、性行為を媒介する技術が進歩していた(その一つがタイトルであるiPhuck10=アイファック)。そんな中事件記録を小説にしながら記録していくロボット刑事ポルフィーリィがキュレーターのマーラとアートシーンの調査をしていく。しかしこのコンビ一筋縄ではいかない、お互いに腹に一物を抱える複雑な関係である。そして現実のロシアのアートシーンを素材にしながら、近未来のガジェットによる性行為技術革新の奇想的アイディア(と駄洒落)が飛び交う中、ポルフィーリィとマーラはお互いに記述の書き換え合戦を繰り返すというメタフィクショナルな展開を呈し虚実が定かではなくなり、そこにマーラの元カノも登場してさらに混沌を深める。ロシアの現代アートシーンが扱われるので少々わかりにくさがあるが、その点も含めかなりユニークな作品であることは間違いない。
『キス・キス』、『王女マメーリア』、ミステリマガジン2016年9月号
 ミステリマガジンの分はシミルボンに投稿。kazuouさん主催の怪奇幻想読書会の課題図書を読んだ。『キス・キス』は再読だが、ほとんど忘れていたのでそちらも新鮮に読んだ(苦笑)。飛行士としても優秀だったダールは小説も天才的にうまい人で、ユニークな着想と意地悪とユーモアの絶妙に合わさったセンスと巧みな筆さばきでワンアンドオンリーの個性を発揮している。やや少年じみたところもある悪意が童話にも生かされているところ、短編の尺もぴたりとはまっているところなどが今回よくわかった。それにしても夫婦のいらついたやり取りがあまりに見事でどうもそこは実体験ぽい気配がするがコワいので深追いしないことにしよう(笑)。
『トム・ハザードの止まらない時間』マット・ヘイグ
 普通の人より年をとるのが遅い人物というシンプルなアイディアから、個人の内面に焦点を当てどちらかというと静かな物語に仕上げ成功している。フィッツジェラルドが登場するが(設定こそ違え)「ベンジャミン・バトン」を連想させる。こういう小説を読むといかに書くかが重要だということがよくわかる。アイディアは目新しいわけではなく精密度が高いわけでもないし、筋立て自体もオーソドックス。しかし作者の書きたいものがきちんと表現されているいい作品なのだよね。