異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『虚構の男』 L・P・デイヴィス

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

"唖然とする展開、開いた口がふさがらなくなるラスト……早すぎたジャンルミックス作家L・P・デイヴィスによるストーリー紹介厳禁のサプライズ連打小説! 本邦初訳。

時は1966年、イングランドの閑静な小村で小説家アラン・フレイザーが50年後(2016年!)を舞台にしたSF小説の執筆にいそしんでいるところから物語は始まる。気さくな隣人、人懐っこい村の人々はみな彼の友だちだ。やがて一人の謎の女と出会い、アランの人生は次第に混沌と謎の渦巻く虚構の世界に入り込んでいく――国際サスペンスノベルか、SFか? 知る人ぞ知る英国ミステリ作家L・P・デイヴィスが放つ、どんでん返しに次ぐどんでん返しのエンターテインメントにして、すれっからしの読者をも驚かせる正真正銘の問題作!(1965年作)

〈読者を幻惑させ、唖然とさせる力は、ミステリー、ホラー、SFというジャンルの境界線を大胆にまたぐところから生まれている。かつては熱狂的な固定読者層がつかずに、とらえどころのない作家としてL・P・デイヴィスを忘却の淵に追いやる原因となった持ち味こそ、彼の小説を読む最大のおもしろさであることを、現在の読者なら充分に理解できるのではないか。その意味で、L・P・デイヴィスは早すぎた作家であり、未来になって再評価されることが作品中に予言として書き込まれていたようにも思える〉(若島正:本書解説より)"(amazonの紹介より)

 のんびりした田園風景の裏側には・・・という話なんだが、いろいろとネタバレになりそうで感想を書きにくい。司書つかささんの感想にあるようにちょっとディックっぽさというのはまずある気がする。以下大してネタバレでもないかもしれないけど念のため色を変えて。

 書かれたのが冷戦の時代ということで、二重スパイなど敵味方が瞬時に入れ替わりそれが世界を危機的な状況につながっていくという話が現在より身近で、やはりそういう背景を色濃く持っていたディックと重なる。ただディックのように強迫観念で世界全体が歪んでいくような展開にはならず、あくまでもミステリ的な帰着へ流れていく。脳のコントロールを扱ったスパイものということではむしろ伊藤計劃作品や現代のスパイアクションものを連想させ、その辺りの現代性が刊行の要因だったのではないかと思ったりもする。

 ともかく無駄のないきびきびとした展開で読者をあっといわせて引っ張っていくリーダビリティの高さは時代を越えて素晴らしい。曲者揃いらしい<ドーキー・アーカイヴ>開幕にふさわしい一冊だ。

『オットーと魔術師』 山尾悠子

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山尾悠子の初期短篇集でコバルト文庫から出ていたもので、時代的にはライトノベルじゃなくて“ヤングアダルト”かな。入手困難で現在なかなかの値段がついているが、以前に買ったのでもう少し安かった。とはいえ20年近くは積んでいた(苦笑)。

「オットーと魔術師」 濃密な異世界構築、といった印象の強い著者もこんなものを書いていたのかという軽妙で可愛らしいファンタジー。
「チョコレート人形」 ロリコンの天才科学者が理想の6歳のアンドロイドを作るというドタバタSF。細部に時代を感じさせるところもあるが、そのまま今でも通じる内容である。オープンなラストもよい。
「堕天使」 現代社会にやってきた堕天使の話。星新一っぽさを感じる。
「初夏ものがたり」 限られた時間だけ願いを叶えるビジネスを営む謎のタキ氏が登場する四話のシリーズ。全体の半分を占め本書のメインともいえる。短い中にミステリ的な要素がしっかりとはまっていてどれも完成度が高いが、ブログ主としては(世代的に)昭和らしい西洋文化への憧憬がどの話にも漂っているところがなんとも懐かしく感じられた。

 文体こそライトだが中身は濃い。嬉しい一冊だ。

『ブラウン神父の知恵』 G・K・チェスタトン

ブラウン神父の知恵 (ちくま文庫)

“「どこかおかしいんです。ここまで正反対にできているものは、喧嘩のしようがありません」―謎めいた二人の人物に隠された秘密をめぐる「イルシュ博士の決闘」。呪われた伝説を利用した巧妙な犯罪。「ペンドラゴン一族の滅亡」など、全12篇を収録。ブラウン神父が独特の人間洞察力と鋭い閃きで、逆説に満ちたこの世界の有り方を解き明かす新訳シリーズ第二弾。”(amazonの紹介より)

「グラス氏の不在」結婚したいと願っているカップルの男性に起こった事件。絵画的に印象的なシーンが謎解きで意味が反転するところが素晴らしい。
「盗賊の楽園」これまた盗賊のいる山道を行く一行という図式がガラリと変わるような一篇。イタリア的な事物がエキゾチックに描かれている気がする。
「イルシュ博士の決闘」これもオチは鮮やかなんだけどトリックとしてはかなりオーソドックス。
「通路の男」三角関係の中で起きた殺人事件の真相。ラストのブラウン神父の一言にチェスタトンの特徴が<逆説>にあるといわれるのがよくわかる。
「機械の誤り」チェスタトンは機械文明をどう思っていたのかなあ。機械の限界というこれまた一種の<逆説>的な要素が感じられるが、これはコンピュータの発達した現代こそこのテーマを発展させられるかもしれないな(いや既にあるのかもしれずこちらが不勉強なだけかもしれない)。
カエサルの首」父親の残したコレクションをめぐる騒動。これもガラリと図式が変わるようなパターンで面白いんだけど、動機が<逆説>的だね。アイロニカル、といい換えてもいいかもしれない。
「紫の鬘」これは少しライトな感じかな。政治的コメディ要素があるといってもいいかも。
「ペンドラゴン一族の興亡」伝説が題材になっていて冒険ファンタジー風味なのが非常に面白い。ミステリとファンタジーの関係する領域に属するようなユニークな小説。
「銅鑼の神」これは現在では間違いなくアウトな差別的小説。当時の人々の感覚がわかるところもあるが。
「クレイ大佐のサラダ」心理的な盲点をつくタイプのミステリがチェスタトンには多い気がするが、これは道具も生かされたある意味普通っぽい(?)ミステリ。
ジョン・ブルノワの奇妙な犯罪」お堅い学者と友人である派手な男の話。これもなかなか変なミステリだなあ。例によってアイロニカル。
「ブラウン神父の御伽話」とあるプロイセン小さな王国の謎に挑むブラウン神父。またまたアイロニカルなオチで。歴史劇の風味があるのもなかなか面白い。
 <逆説>的、アイロニカルなものばかりといった感じで、チェスタトンの特徴がそこにあるというのが非常によくわかる。ジーン・ウルフの理解になるかもと思いながら少しずつ読んできたが。、だんだんそのアイロニカルなところが自分のツボにはまってくるようになった。またこれは時代的なものかもしれないがロマンス的なものも重視される傾向があるようにも感じられる。あと古典ミステリというと探偵に相談をする人が現れてという形式が多い印象があるが、ブラウン神父は(少々不自然ではあるが)たまたまそこに居合わせて謎解きをするというパターンが多い。これについてはチェスタトンユニークなのか単なる形式上のことなのかミステリに詳しくない身としては今後考えていきたいところだ。

『 蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ 』 ケン・リュウ

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

゛七つの国々からなるダラ諸島では、統一戦争に勝利したザナ国が他の六カ国を支配し、皇帝マビデレが圧政を敷いていた。喧嘩っ早いが陽気で誰からも愛される青年クニ・ガルは、日々気楽な暮らしを送りながらも、何か大きなことを成したいと夢見ていた。いっぽう皇帝に一族を殺され、過酷な運命をたどってきた青年マタ・ジンドゥは、皇帝を手にかけるその日のため研鑚を積んでいた。行く手に待ち受ける数多くの陰謀と困難を乗り越え、ふたりはともに帝国の打倒を目指す。権謀術数渦巻く国家と時代の流れに翻弄される人々を優しくも怜悧な視点で描き出す、ケン・リュウの幻想武侠巨篇、開幕。″(amazonの紹介より)

 短篇集『紙の動物園』で一躍人気作家になったケン・リュウの本格長篇はなんと異世界ファンタジー。どうなるかと思ったら骨太なスケールの大きい歴史ドラマでルーツである中華風味も生かされていてまたまたいい意味で驚かされた。元々引き出しの多い人なのだろう。激しい争いの中で命を奪われ次々と登場人粒が退場していく苛烈な世界と人情味あふれるクニの周囲とのコントラストが鮮やか。続篇ももうすぐ(6/23)刊行予定。楽しみだ。

イチローの安打記録

 イチローが通算安打記録を更新しそうだ。日米通算をどう扱うかについては異論もあるだろう。個人的には日米通算という切り口は少々弱いと思う。すっかり復活して出場機会の不安もなくなったし、これまでのように圧倒的な数字で雑音を封じ込めてきたイチローだけにとっととMLB通算三千本を達成してまずはひと段落をつけて欲しい。とはいえ競争の厳しいMLBだって興業的な側面を完全に排除することはないだろう。日米通算で盛り上がることをチームが許容するのならそれも結構なことだろう。別に批判するほどのことでもない。
 前にも書いたようにイチローがすごいのは、たった一人で野球の価値観を変えてしまったところだ。安打数などという評価軸はイチローが登場するまでは誰も持っていなかったも同然だ。自ら安打数にこだわっていることを公言し、その上でプレッシャーに押しつぶされることなく、次々に記録を打ち破ってきたのだ。おそらくこのような選手を自分自身が目にすることは二度とないだろうと思っている。