異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

ダニエル・キイス逝去

ダニエル・キイスが亡くなったそうである。
 ダニエル・キイスは何より『アルジャーノンに花束を』で知られる作家である。知的障害を持つ主人公チャーリーが完成したばかりの医療技術によって急に天才となるが思わぬ副作用に襲われる、という話である。同作はいわゆる“泣ける”名作であり、日本で人気が高く、関連の作品は小説分野に限らず舞台・音楽と多岐に渡っており、翻訳SFとしてはおそらく最も知名度の高い作品の一つであろう。一方ウェットで古めかしい古典SFのナイーブな弱さを持つ作品としても知られる。キイス作品で当ブログ主も実はこれしか読んでおらず、だから作家自身のことはよく分からない。しかし(引き合いに出しては申し訳ないが)例えば作品世界内のシステムの不備自体に根本問題があると思われ今や何が泣けるのかすらピンと来ない「冷たい方程式」や随分時代の違う中年男性の全く共感できない感傷が背景にある「たんぽぽ娘」の様な作品と比べられるのは惜しい気がする。
 (以下内容に触れますので未読の方は読まない方がよいといっておきます)

 それは「アルジャーノン~」は学習意欲があるが学習障害のような本人の努力を越えた障壁で苦悩するという普遍的なテーマを扱っているからである。そしてこの主人公チャーリーは理解不十分ながらより知的になりたいと自らの意思で被験者となるのである。高校・大学で教鞭を取っていたキイスは意欲はあるが成績の上がらない生徒というものが身近な存在としてあったのだと思われる。アルジャーノンにはその背後にそういった生徒たちの姿を垣間見ることが出来る。「アルジャーノン~」はアイディアとしては当時としても新しいとはいえないものの技術の自走性が扱われており柴野拓美のSF定義にマッチしており、また世界が変わって見えるという価値観の転換みたいな要素も表現されており、SFの特質がよく出ていると思われる。そして現実世界で苦悩している人々が重ね合わされることにより、作品に陰影が与えられている。ラストにチャーリーは元に戻る。副作用で破滅する展開にしなかったのは、教師としてのキイスが学習意欲を持つ人物を断罪する結末にしたくなかったせいであろう。これを平凡・甘いと見るむきもあるだろうが、当方はこれをキイスの良心と見たい。

 「アルジャーノン~」は小尾芙佐の名訳で知られ、そこも翻訳SFの歴史で重要であり、やはりSF史上に残る名作であると思う。