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異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

横浜スタジアムに行った

日記等 野球

 小学生の息子と横浜スタジアムに行った。
 川崎に住んでいてよく父に連れられて川崎球場大洋ホエールズの試合を見ていた僕が横浜に引っ越したのとほぼ同じ頃、ホエールズは横浜に移転して横浜大洋ホエールズになった。それ以来、自分にとっては特別なチームになった。
 しかしこのチーム伝統的に弱い。いや本当に情けないほど弱いのだ。1960年の優勝を知らない僕は一生優勝は見られないのかと諦めかけた頃1998年にまさかの優勝を果たしてファンを夢心地にしてくれたが、夢の醒めるのは早かった。それどころかそのツケを払うかのごとく昔よりさらに勝てない時代がやってきてしまった。
 ファンというのは因果なもので、応援する球団は近くに住んでいたとかふとしたきっかけで決まってしまうが、いったん愛着を感じるとなかなか離れ難くなる。ちょっとした判官びいきもあったかもしれないが、それが運のつきでまったく悲惨なプロ野球ファン人生を歩むことになってしまった。思いもよらぬことである。
 一時長年のファンたちにすらあらぬ期待を持たせた今年のベイスターズだったが案の定失速いつのまにか最下位を争っている。しかしDeNAになり球場はきれいになってファンサービスも充実、観客動員数が大きく伸びているらしい。いつものベイスターズに戻ってしまったようだけどそこは長年のファン、球場の雰囲気の変化を体験したくなり少し野球が分かるようになった息子と横浜スタジアムに行くことにした。
 シルバーウィークは幸いにも天気に恵まれていた。この日も晴れ、日差しが強くてときどきヒリヒリするぐらいだ。13時の試合開始に合わせて20分ほど前に関内駅に着く。スタジアムはすぐ目の前だ。チケットは完売、もちろん球場は人でぎっしりだ。球場の周りのアトラクションは増えちょっと大リーグのボールパーク風な感じも出てきた。悪くない。球場内もブルーに統一され、新しい設備もある。女性や子供が入りやすくなっているのが良い。
 でも観戦風景はそんなに変わらない。選手に悪態をつきながら大声を出しているおじさんやお兄さん。ほろ酔いで「見てろこの後は絶対に点取られるんだから決まってんだ!」とかいってた予想がすぐ外れて初対面のお兄さんのつっこみにおどけてる。熱くなってるお姉さんもいた。みんなで青いタオルを回して応援バットを叩いている。4番の筒香の時には今度は鳴り物はいれず歌だけになる。息があってていて楽しい。声を出せば9月とはいえ晴れの暑いデイゲーム、ビールが沢山売れそうだ。
 7回になるとジェット風船タイムだ。気の効かないパパの僕は息子がジェット風船をやりたがるだろうことを半ば予想していながら準備ができていなかった。うらやましそうにキョロキョロしている息子に気づいた後ろの席のお兄さんが「あげようか」と声をかけてくれた。遠慮する僕と恥ずかしそうにする息子に「えー、一緒にやろうよ!」と持ちかけてくれる。ありがたくジェット風船をもらった僕たちは初めて飛ばした。沢山の青い風船が一斉に空に向かう。秋晴れの空に気持ちのよい開放感があった。
 試合はいいところなく負けてしまった。弱いベイスターズだがそれにしても僕の観戦勝率は悪いのだ。たぶん2割ぐらい。見せ場ほとんどなかった。なぜか前回の観戦に引き続いて二塁打を放った荒波選手ぐらい。そういった相性というのはどうもあるらしい。
 さっぱり見せ場のない劣勢の試合に、途中からあまりルールの分かっていない息子も「負けちゃうんじゃない?」「もう終わった?」と弱気な発言を繰り返していた。どうも長年弱いチームを応援しているパパのネガティブ発言がうつってしまったらしい。せっかくのスタジアム観戦で暗い気分になるのはもったいない。慌てて「まだ回は残っているよ。この点差なら一回のチャンスでも追いつけるかもしれないんだ。」と励ました。ふと僕は亡くなった父親を思い出していた。いつのまにか僕が息子に語りかける口調は父親の口調を同じものになっていることに気づいたのだ。優しかった父は僕が不安になるたびに穏やかに慰めたり励ましてくれたりしたものだった。そんな父親の口調を無意識に僕はたどっていたのだ。父親も祖父に対して同じだったのだろうか。もういない父親に聞くことはできない。いくぶん僕は感傷的になっていた。
 僕は父親と通った球場を思い出す。そう、そこには幸せがあるのだ。