異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2026年4月読んだ本

 
 長かったので古典を読んだ時間が多かったよ。
◆『赤い魚の夫婦』グアダルーペ・ネッテル
  メキシコ作家の短編集。
「赤い魚の夫婦」 妊娠・出産の期に不和となる夫婦が女性の視点から細やかに描かれる。抑制された筆致で相互のずれと男女の不均等を掬い取っていて巧みだが、水中出産はどうかなあ。
「ゴミ箱の中の戦争」 昆虫嫌いの人を凍りつかせるところがある奇想小説だが、ホラー的なところとはやや違った着地点に到るのが面白い。
「牝猫」 これもインテリ女性のキャリアと私生活との軋轢に苦悩する話で、タイトル通りに猫がからんでくる。動物飼育の厄介なところをスルーしているところが気になる。
「菌類」 不倫関係と、ここで登場する生き物は菌。感染症のメタファーではなく、あくまで関係性と連動しつつも個人を侵食していくという存在なのが新しい。
「北京の蛇」 海外在住経験は多いもののメキシコ出身の作家が、易経など中国文化を核にした(ルーツはあるが)白人系主人公が迷走していく話を描いているというねじじれっぷりがなかなか楽しい。タイトル通り本作では蛇が題材で、多様な文化の中でいろいろな顔を見せる生き物であることがうまく取り入れられている。サルトルとボーヴォワールの話も知らなかったのでためになった。
 奇想小説としては飛躍もそれほどでもないので、そうした楽しみは必ずしも大きくない。また女性主人公の小説ではやや視点がインテリ側に寄り過ぎのような感じもあって、そうなると上記の出産や動物飼育に関する細部の安易さが技量が高いせいもあって逆に気になる。
◆『アンナ・カレーニナ』トルストイ

 いわずと知れた名作中の名作。月並みな感想になるが、一般の評価にたがわない堂々たる構えの大作。恋愛、結婚、不倫、出産など当時の貴族社会の人間ドラマというのが基本的な枠組みだが、プロットや視点の移動など構成がしっかりしていて大部にも関わらず、全体を通してゆるみがなく、スムースにどんどん読み進められる。また、扱われる題材は上記のような恋愛関係を中心としたものに限らず、階級や経済あるいは民族など多岐に渡る。しかも社会や人間の本質的な問題をとらえているため、1870年代当時のロシアにおける現代小説でありながら、文化や時代を超えて登場人物の悲喜こもごもの心情が伝わってくる。
 ちなみに当時のロシアの上流社会でフランス語が当たり前になっていて、会話にしばしばフランス語が混ざるところが訳文にも反映されている。で、これを現代の日本社会に当てはめてみると、英語が堪能だったり英語圏の生活が長い日本人が英語と日本語が混ざって会話するのと似ているなと感じた。日本だと気取った人と見られやすいパターンだが、特別変わった現象でもなく昔からよくあることなのかなと気づく。当時のロシアでも一般の人たちからは気取ってると見られていた可能性はあるけれども。
◇SFマガジン 1996年09月号

 戦争SF特集。
○フィクション
「戦争記念碑」アレン・スティール
 ショートショートという範疇の尺だが未来の戦場の過酷さが映像的によく表現されている。
「フェルミと冬」フレデリック・ポール
 核戦争で破滅する地球をストレートに追っていくような作品でこうしたものは意外に多くはないかもしれない。ポールの思いが終盤パートに出ている。80年代の作品で、既にアイスランドの地熱発電に言及があって、ベテラン作家の博識さが伝わる。
「死者登録」ジョー・ホールドマン
 ヴェトナム戦争の過酷な状況を描いた作品。コンパクトな作品だが戦地のディテールが眼前に現れてくるホールドマンらしい傑作。ただ一読だとほとんど一般文学。ということでネビュラ賞受賞なのは何か読み落としてるのかとも思ったが…。ファン投票のヒューゴー賞と違い、ネビュラ賞は専門家の投票だからジャンル意識より作品の質重視なのかもと思ったり。一方で一般文学とSFやファンタジイの関係も変わってきてるかもしれないとかふと思ったりもそれだといまだと一般文学と認知されてネビュラ賞受賞しないことも出てくるのか?とかいろいろなんだかわからなくなってきたり。何はともあれ詳しい方によると直近のネビュラ賞候補にも一般文学に近いものが複数あるとのこと。ネビュラ賞自体の元々の傾向なのかもしれない。
「ラッキー・ストライク」キム・スタンリー・ロビンスン
 広島への原爆投下命令を受けた兵士を主人公にした改変歴史もの。投下側から真摯に振り返る、試合シリアスな問題提起で定評のある作者らしい作品。苦い余韻に戦争というものの根深い罪が滲んでいる。イサク・ディーネセン『冬物語』に言及があるのは関連があるのだろうか。
特集外作品
「永き夜の終わりに」ロバート・シルヴァーバーグ
 この時期に連載されていた太陽系オデッセイ第8回。太陽系を様々なところを舞台にした作品がチョイスされているシリーズ。小品だが、サイバーパンク勃興後の1985年にして正攻法の宇宙探査・科学的発見を謳う作品であることはある意味現代との違いを感じさせる。冥王星情報、関連SFなど解説が充実している。
「ブレイン・キッズ」野阿梓
 これまで何度かチャレンジしたもののピンとこない作家だが、今回は少しとっかかりがつかめたかもしれない。テロリストが主人公で、海賊ラジオのイメージと重ね合わされた、潜在意識にある反体制意識を増幅させるようなサイキック能力を有する若者が物語の鍵を握る。一見カウンターカルチャーやアンダーグラウンドなムーヴメントへの憧憬ととらえられそうな筋書きだが最終的に個の選択肢が提示されているのが1960年代との違いかもしれない。
○ノンフィクション
「サイエンス・フィクションは死を願う」<後篇>ロジャー・ラックハースト
 前篇(1996年8月号掲載)と合わせての感想。文意のとりづらいところもあるが、自壊を指向してしまうジャンルという視点が面白い。フロイト〜ユングで分析することの是非はさておき(文中ではフロイド)、ジャンルの拡大と崩壊(いわゆる拡散と浸透)が繰り返されるという認識は妥当かもしれない。本誌で必ずしも本格的な評論が頻繁に掲載されるとはいえない中、なぜこの時期に掲載されたのかなどについても考えさせられるものがある。