異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2022年12月に読んだ本

◆『二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件』ピーター・レフコート
 メジャーリーグの二遊間で恋が芽生えるという話だが、ややゆったりした序盤から、後半の加速していく展開がお見事。やるせないユーモアが漂うも企画もの的な安易さはなく、ドレフュス事件と符合させながら人間模様が描かれる、よく練られた作品。
◆『ルビーが詰まった脚』ジョーン・エイキン
 これまで知らなかったが、作者は既に多数の訳書のある1924年生まれの作家。
「葉っぱていっぱいの部屋」
冷たい親戚の家で暮らす孤独な少年。大きな屋敷をこっそり徘徊するうちに大木の生い茂る部屋に迷い込み、そこにいた小さな女の子に出会い仲良くなる。そしてある日ハリウッドから、その屋敷を移築する話が持ち上がる。意外な展開と余韻の残るラストが心地よい。
「ハンブルパピー」
 見えない仔犬の幽霊の話。見えないんだけどかわいい存在がまさしく文章の魔術によって感じられるのが見事。
「フィリキンじいさん」
苦手な数学の先生に悩まされる主人公。祖母の夢を見て、謎めいたフィリキンじいさんの話を知る。なかなかキレのよい一編だ。
「ルビーが詰まった脚」
怪我をしたフクロウを助けるために訪れた不死鳥を飼う獣医から、不死鳥とルビーの詰まった義足を無理矢理引き継がされる主人公。その後すぐ亡くなる獣医の残された娘と主人公が不死鳥に対処する四苦八苦が奇妙なユーモアを醸し出している。
「ロープの手品を見た男」
とあるホテルにやってきた小柄な老人。子供たちを魅了する老人の語り口と魔法のような能力が鮮やかに表現されているがなかなか怖い話でもある。
「希望(ホープ)」
 ロンドンの一角に住む、厳しいハープの先生が遭遇する不思議な出来事。都市部しかもロンドンらしい奇譚。タイトルに含まれるアイロニカルな苦味がなんともいえない。
「聴くこと」
 独白による内省的な作品。音を通じて世界とつながっていくといったことが描かれているのだろうか。
「上の階が怖い女の子」
 上の階に行くことだけ異常に怖れる少女。読書を引っ張っていく巧みなストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮され、見事な着地を見せる傑作。
「変身の夜」
狼憑きを患い、一線を退くことになったシェイクスピア俳優めぐる顛末。演劇を舞台した怪奇幻想作品の系譜にあたる。シェイクスピアの理解が深いとより楽しめそうだが、不勉強な当方のような読書でも問題のない、起伏に富んだ好編。
「キンパルス・グリーン」
冷たい養母に育てられている孤独な少女。本作も虐げられている子どもが主人公だが、非常に巧みに描く作家である。本作は読書好きの空想が現実とリンクしていく要素が読みどころ。起伏に富んだ展開は長編さながらで、多くの読者の心を動かすだろう。巻末を締めるに相応しい傑作である。
◆『反対進化』エドモンド・ハミルトン
 中村融によるエドモンド・ハミルトンの日本編集アンソロジー2冊のうちSF編(もう一冊は怪奇編の『眠れる人の島』)
「アンタレスの星のもとに」
 物質転送というアイディアが使用されているが、基本的な骨格はヒロイック・ファンタジー。まあ解説にもあるようにE・R・バローズの系譜ということだろう(バローズの火星シリーズが1917年からで、本作は1933年4月号の雑誌掲載)。
「呪われた銀河」
 バカSF的な豪快なアイディアに怪奇風味が加わっている。ただ解説にもあるように科学性を(これまた)豪快に欠いているので、ちょっとピンとこないところも。
「ウリオスの復讐」
 脳移植で次々と体を乗り替え、時代を超えて徹底的に復讐を図るという、死体になった側への憐れみは欠片も感じられない、当時(1935年)の倫理観が気になる作品。展開的にも繰り返しが続いて少々くどいかな。
「反対進化」
 「呪われた銀河」が宇宙バカSFとするとこちらは生物バカSFだろうか。こちらもちょっとアイディアの無茶苦茶さについていけないところがあるかな。
「失われた火星の秘宝」
 これもパルプらしさというか秘宝探し冒険小説のSF版といったテイスト。解説にはA.メリットの影響の指摘があった。
「審判の日」
 犬(+猫)SFかな。切り口はやや珍しいところもあり、なかなか面白い。
超ウラン元素
 怪物パニックものだが、これまた強引というか人間原理というかどうしても古さが感じられる。
「異境の大地」
主人公は インドシナで不思議な状態にある人を見かける。人が人にあらざるものに変貌する恐怖が実によく描かれ、怪奇風味がたまらない傑作。集中No.1。古い作品らしい登場人物の心無い発言なと倫理観は気にならなくもないが、もっと知られるべき作品。
「審判のあとで」
 終末SFで、しんみりとした味がある。
「プロ」
 SF作家の内面が細かく描かれているなかなかこれもユニークなアプローチの作品。
 収録作自体古いため、科学的アイディアや登場人物たちの現代とはずれている倫理観、見え隠れする白人(といって悪ければ西洋合理主義)優位的な視点など全体に時代を越えられていない部分が気になってしまう。ただ「異境の大地」はそうした欠点を補って余りある傑作で、これ一作だけでも本書の価値は十分あるだろう。
◆『うる星やつら』12-29
 というわけで、『うる星やつら』ばっかり読んでいたわけですはは。中盤以降でも1話完結にも関わらず全然ネタ切れになっていないのと絵としてのグレードの凄さは何度書いても足りないくらいだが、ここで言及したいのは26巻(最早古典漫画かつギャグ漫画なので、問題にならないとも思うが以下多少ネタバレ気味なので気になる方は読まないでくださいね)。
 「大ビン小ビン」では珍しくラム救出にあたるが奮闘するのだが、頑張りがラムには伝わっていない。
 続く「風邪見舞い」では、風邪のランを見舞いに来たラムが結局ランに迷惑となり、ランがラムの悪気のない性格に溜息をつく。
 いずれも騒動そのものは定型なのだがオチが少しひねったというか、ドタバタから一歩引いたようなキャラクター同士の関係性を深めた趣向の、味わいを感じさせるものになっている。
 これはドタバタの中に長いファンに向けての目配せという感じがして楽しい(ただしサーヴィスとまではいえず、むしろ後の長篇へのトレーニングといったところもあったのかもしれない)。
 一方でドタバタが終焉を迎える予兆みたいなところも垣間見え、シリーズの限界もこの辺りで作者には見えていたのかもとも思わせる。
 たしか、シリーズを継続できたのは竜之介の登場が大きかった、という作者の発言があったと思う。
 その竜之介登場からさらに10巻。なのでこの辺りから、作者の(しのぶの行く末が気になり、因幡を登場させて)「うる星の連載が終了したのは、しのぶの幸せが見えたから」につながるというのが私見
 26巻辺りからそろそろシリーズをたたむ考えがあったのではないだろうか。