異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。

2021年7月に読んだ本、SFセミナーも参加

 調子はまあまあ、といった感じです。
『夢の木坂分岐点』筒井康隆
 サラリーマンの主人公が、多重的な人生を夢経由で移行していき、全体がメタフィクション化する幻想文学作品。ただユングフロイトを背景にしたところやサラリーマンの生活や内面といったフォーマットが現在はあまり有効に作用していないような印象もうける。古い日本家屋の間取りの執拗な描写には全体の構造との関連があるようだし、心理劇の比重の大きさは俳優としての側面が反映されている気はする。様々な要素はよく構築されているに違いないのだが、すごく惹かれたとはいえない。ただ、筒井康隆メタフィクションに軸足を置くようになった過程には世代的に興味があり、有名作品は少しずつ読むだろうとは思う。
『廃墟ホテル』デイヴィッド・マレル
 廃墟に魅せられた好事家たちが、とあるいわくつきの巨大ホテルに潜入。しかしそのメンバーには真の目的を隠している者がいて…という話。本好きの間では評価の高い作家だが、作品を読むのは初めて。謎めいたホテルのオーナー、ホテルで起こった過去の不気味な事件など、じわじわ緊迫感の高まっていく流れを予想していたのだが、中盤から加速して怒涛の展開が待ち受けていた。なるほど技量の高い作家として評価されているだけあるなあ。創作の裏側を明かした、自身の解説も興味深く、初期の年探検家としてのホイットマンという視点があるのかと知ることができた。舞台のアズベリーパークといえば、ブルース・スプリングスティーンのデビュー作を連想するし、ロック関連的なセンスも感じられる。また迷宮のようなホテルは、コールハース『錯乱のニューヨーク』に登場する異様な娯楽施設のあったっ過去のニューヨークを連想させたり、細部もいろいろな要素から成っている印象の作品だ。
『NOVA8』(大森望編集)
 2012年7月刊行。長いこと積んでいたなあ。
「大卒ポンプ」北野勇作
 バチガルピ「第六ポンプ」のパロディ、ともいえないかな。まあ普段は見えない重要な役割を担うポンプ、ということで共通点はあるか。日常性とホラ話のセンスが良く楽しい。
「#銀の匙
「曠野にて」飛浩隆
 いずれも『自生の夢』で読んでいて、再読。前者はちょっとした導入のような作品だが、後者は短いながら文字をイメージに使った仮想空間の新たなアイディアを垣間見せる。やはり凄い作家だ。
「落としもの」松尾由美
 人間の落としものをめぐる会話から、作品の背景が明らかになる、比較的オーソドックスなタイプのSF
「人の身として思いつく限り、最高にどでかい望み」粕谷知世
 どこともつかない国の話。人の望みをかなえる神が人々の前に現れ、主人公の少年が巻き込まれていく。テーマは古典的で、目新しさはないが、ストレートな主人公の行動原理が駆動力になっていて面白かった。
「激辛戦国時代」青山智樹
 激辛が日本史に影響を与えた、というユーモア歴史もの。楽しい。
「噛み付き女」友成純一
 中年男の恐妻ホラー、というやや古めかしいフォーマットが、多様に解釈できる形式にアレンジしてあり現代的。
「00:00:00.01pm」片瀬二郎
 世界と時間がずれてしまう人物、というアイディアもまた古典的なものだが、残酷で狂気的な方向での適用というのは珍しくインパクトがある。
「雲のなかの悪魔」山田正紀
 テクニカルタームからイメージを膨らませるSFらしい作品だが、特に科学用語とかは本来の意味がどうかつい考えてしまい、昔に比べ楽しめなくなってしまったなあ。それにしてもオチは(いちおう文字の色を変えておきます)≪ビートルズ≫かな?
「オールトの天使」東浩紀
 最初のは読んだ気がするが、間は読んでいないのでわからないところがある。ただ思想家のSFにしてはオーソドックスなタイプSFで、創作のモチベーションはどの辺にあるのかなとは前回に続き思ってしまった。
『化石の城』山田正紀
 1976年刊行。舞台は5月革命時のパリ。カフカ『城』がメインアイディア。即物的に<城>が扱われるところにらしさ。『宝石泥棒』の時の名古屋SF読書会で、本人が封印した初期作品ということを知ったのだが、(正直なところ多少下世話な)好奇心から古書店で購入した。ただ読んだ感じでは封印の理由は、単純に技術的な側面が大きそう。のちの作品にみられるサスペンスフルな展開や娯楽要素の片鱗はあるが、主人公に魅力がない(いくら昔とはいえ自己中心的なところがある)上に、プロットもぎこちない。若い頃から評価・人気共に恵まれた著者にはさすがに広まって欲しくなかったか。それから、あとがきで青春期へのレクイエムとも書かれているから気恥ずかしさも加わっているのかもしれない。
SFセミナーに参加。
 そうそうこれも備忘録的に簡単に。オンラインイベントがSF関連でも増えていく中、例年GWに行われてきたSFセミナーも、時期がずれてオンライン開催。もちろん、フランクにプロやアマチュア問わずいろいろな方とやり取りをできるのが魅力で、それはなかなか難しい面もある。それでも普段なかなか入ってこない、中国SF情報とか最新のテクノロジーをめぐる問題など面白かった。ボランティアの方々の多大なる努力によるものだろう。感謝感謝である。

 さて最後に音楽本。
『渋谷音楽図鑑』牧村憲一
 <メモリの藻屑、記憶領域のゴミ>のフモさんとコメントのやり取りをしていて、そういえば渋谷の輸入盤屋には随分通ったなーといろいろ思い出した。80-90年代ぐらいのことである。当ブログ主は当時横浜から、渋谷にほど近い中高一貫校に遠距離通学をしていた。渋谷経由で帰宅する(しかも乗り換えだから渋谷でいったん電車を降りる)ので、当然本屋やレコード屋に寄るわけだ。たとえば輸入盤屋でいえば、タワーレコードの開店時に友人たちと行ったのも覚えている。1980年前後のことで、その後東京の大学に進学し、その旧友たちとも渋谷で飲み会をしたり、映画を観たり(偶然同じ映画を観ていて、終わってから気づいたこともあったな)、まあそれなりに渋谷の変遷を見てきたことにも気づいた。
 そんなわけで(長い前置き)、いろいろ検索してみたら、渋谷が歴史的に音楽の街であったこと、それも渋谷のエリア別に歴史があり、それを解説した比較的最近の本(2017年)があることを知り、早速読んでみたのがこの本。著者は音楽プロデューサーで、シュガーベイブのメンバーや竹内まりや加藤和彦細野晴臣フリッパーズギターと仕事をしてきた人物。ということで、いやー買ってから気がついたんだが、そうか渋谷系の本だったのか…(<そりゃそうだろ、先に気づけ)。とはいえ、基本的には日本のポピュラー音楽史を辿る、重要な情報を与えてくれる本である。新宿を中心とした文化の活気に後れを取っていた地域が、東急・西武の競争の中で、近い米軍施設の影響をはらみながら、変化していく様子が(地元で育った著者の体験も加わって)よくわかる。そこに渋谷という小さいエリアの中に、ライブハウスの歴史、出版社(ミュージックマガジン関連の人物とはっぴいえんどがこんなにもつながっていたとは)、ほど近い青山学院大学(および付属)というフィールドが培地となるなど、公園通り・道玄坂宮益坂などそれぞれの違った個性をともなった発展が繰り広げられる。あまり日本のロック(やその歴史)には明るくなかったので、大変面白かった(まあミュージックマガジンの紹介とかもあって、プレYMO細野晴臣とかはまあまあ聴いてきたが)。それから楽譜を入れての巻末の解説も、類書にはない試みで、良いと思う。
 しかし、なのだ。やはり、フリッパーズギターなどのいわゆる渋谷系は自分とは縁遠いものなのだなあという印象が強化されてしまった(これは小山田圭吾のいじめ問題とはまた別で、元々)。ン十年経って、全く今更で間抜けな話なのだが、渋谷系に対する認識は「あれ?オレの行ってた渋谷ってこんなにオシャレだったっけ?」というところから始まっていたことにようやく気づいた(<何だその今更)。スクエアな80年代中高生だった当ブログ主は、当時109にも行ったことはなく、もっぱらタワー、CISCOなどの輸入盤屋や本屋(別な場所にあって、大きかった大盛堂書店、撤退してしまった旭屋書店などなど)に出没するのみ。もちろん小遣いは限られているし、遠距離通学なので眺めるだけのことがほとんど。探しているのも(当時オシャレの対極とされた)ハードロックやメタルだった時期もあるわけで、90年代以降の記述にはなんかしっくりこないところがある。渋谷にはアングラメタルの店もあったぞ。そもそも、この本で欠けているのが、80年代後期の記述で(著者が前線から退いていた時期らしく、まあ仕方ないのだが)、そこが当ブログ主には重要時期だったので、なんとももどかしい。
 全体的に、これが正史だという視点になっていて、それこそ小山田圭吾問題の出現で、記述がちょっと浮き上がってしまった面もまた否定できない。また、はっぴいえんど中心の歴史形成にミュージックマガジンも大きく関与しきたのだなということもわかった(近田春夫が異を唱えたいのはその辺なのかな)。物事には多様な面があり、都市にもいろんな顔があるはずだ。小山田圭吾のダークサイドのように、渋谷にもダークサイドがある、というような単純な話をしたいわけではなく、そういったいろんな顔という意味では、もう一つ綺麗すぎる渋谷音楽史本なのではないかと思えてならない。