異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『クレオール語』 ロベール・ショルダンソン

クレオール語 (文庫クセジュ)

“ヨーロッパの植民地社会で育まれ、特別な歴史を体現するにいたったクレオール語は、どのように発生したのか?本書は、ピジン語との比較検討やこれまでの理論的研究を手際よく紹介したうえで、社会言語学にもとづきながら独自の説を提唱している。クレオール文化にも、音楽・料理の観点から迫る。”(amazonの紹介より)

 パトリック・シャモワゾーを読んでいるとクレオール語やクレオール文化に興味がわいてくる。パトリック・シャモワゾーは西インド諸島にあるフランスの海外県マルティニークの出身でフランス語圏の作家ということになるが、ヨーロッパに支配された歴史とその結果生まれたクレオール語が大きなテーマになっている。そもそもこのクレオール語の定義であるが、本書では「古くからヨーロッパ人が入植した植民地で出会うヨーロッパ語らしきことば、そして、ヨーロッパ人入植者の言語に由来するのが明らかであるにもかかわらず、独自の自立した言語体系をなしていることば」(P8)と書かれており、元の言語・地域の制約はない幅広くさまざまな言語を包括した概念である。ただその中で、フランス語から発生したクレオール語がカリブ海の諸地域に加えアフリカのレユニオンなど大きく地理的・歴史的条件の異なる複数の言語が存在し、また厳密にはクレオール語ではないがカナダのケベックのようなまた別の条件のフランス語地域もあり、比較により研究しやすいというところがあるようだ。そうした関係から漠然とカリブ海地域の言語が連想されるやすい印象がある。スペインも世界中に植民地があったが、宗教教育が熱心で言葉もきちんと教えていたために、クレール語化しなかったというのはなるほどと思った(P95)。
 さてブログ主は当然ぼんやりとクレオール語という言葉をなんか面白そうな世界だなーと思っていただけなので、本書の内容はいろいろ勉強になった。たとえばピジン語という言葉があって、ナイジェリアのFela Kutiの曲の歌詞はピジン英語だというような話を聞いたことがあったが(例:thinkがtinkのように聞こえる)、このピジン語は少なくとも初期の段階は「ほとんどの場合は商業用の、限定され臨時の関係をむすぶための言語」だったということだ。つまり他に母語があるが、母語で通じない相手とコミュニケーションを図るために生まれた言語ということだ。著者はクレオール語とピジン語がしばしば混同されることについて厳しく批判をしている(ピジン語がクレオール語化する例を完全に否定しているわけではなく、あるが極めてまれだということらしい)。また著者はクレオール語に普遍的に適用できる(たとえば子供の言語発達の研究から推論を加えていくような)理論については懐疑的なようで、個別の歴史的背景を丁寧に追うことの方が重要としている。そのため基本的なアプローチがフランス語からということになるので、アフリカ言語の関与を軽視する視点だと批判されているようだ。ただ植民地では仮に同じアフリカからの奴隷といっても言語が全く異なり奴隷同士でコミュニケーションが取れなかったというエピソードが紹介され、その地域の支配階層の母語をベースとせざるを得なかったというのは説得力があった。
 ではどのようにクレオール語が生まれたかについて本書では、まずヨーロッパ人がやってくるが男性中心で原住民や奴隷女性を妻として混血児が生まれてくる。その段階ではまだ物資が十分ではないのでヨーロッパ人もさほど豊かではなく支配はしているが一緒に生活している状態。奴隷も高価で人数も少ないため小農園社会で言語もヨーロッパ人のものからあまり離れない。その後インフラが整い経済的に成長すると奴隷の数も増えプランテーション社会が形成され、現場の指揮は現地生まれのクレオール奴隷が取るようになる。そこで現地固有の言語に変化していく、ということらしい。もちろん植民地支配で行っていることは非道いことこの上ないが、話の流れとしては理屈が通っている。ただいろんな理論があって意見が分かれているようなのでまた別の論も読んでみたい。またクレオール言語は「文字に書かれないことば」なのでなかなか研究は大変そう。本書ではクレオール語が文字表記で比較検討されいているが、要は当て字とのことだ(あとがきで触れられているが、先に書いておいてよ(笑)。
 上記の紹介では「音楽・料理の観点から迫る」とあるが、巻末にちょっとだけ。基本的に言語についての本(当たり前だが)。ただ音楽や料理の話は楽しそうで、訳者あとがき含め、著者も訳者もトータルとしてのクレオール文化に惹かれているのだなあということが伝わってくる。