異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

Prince逝く

 去る4月21日Princeが亡くなってしまった。享年57歳。
 80年代の音楽で育ったブログ主としては、当時の革新的アルバムの数々の印象があまりにも強く、一方あまりにも作品数が多く配信のやり方も一定していない印象があったことから部分的にしか聴けていなかったが、何より常に精力的で質の高い音楽活動を続けていることは驚異的で無二の存在であることは間違いなかった。そんな彼にこのような日が急に訪れるとは思ってもみなかったので、当初受け止めることができなかった。
 先日の日曜日、ピーター・バラカンの番組がPrince特集であることを偶然知り、ほぼ全体を聴けた。時にあからさまに性的な部分がおそらく気に入っていないバラカン氏の一定の距離を保ちつつ敬意を払った、しかも世代的にツボにくる素晴らしい選曲はPrinceの必ずしも信奉者とは言いにくい身には大変しっくりくる内容で、あまりにも自らの心に同期し涙が止まらなくなってしまった。Princeの死が自分とって大きかったことにそこでようやく気づいたのである。(BABYMETAL関連で物議を醸しているバラカン氏だが、さすがに愛情のある音楽に対しては高品質で代わりのきかない仕事をしてくれる。さすがに彼らしいクリーンイメージの強い特集になっていたが)
 Princeの死はこれまでのどのアーティストよりも堪えた。Princeは混血音楽としての(広義の)ロックを体現した人で世代的にポピュラー音楽ファンとしての基礎を造ってくれた人だ(なぜロックという言葉を使うかというと、当時のヒットチャート中心の〈洋楽〉文化ではほとんどがロックと呼ばれたとえばファンクはまだ認知度の低い言葉であったからである)。彼の音楽には(狭義の)ロック、ソウル/ファンク/R&B、シンガーソングライター、サイケデリック、ラテンなどなど様々な音楽の要素がちりばめられいてる。P-funkやJBは彼を通じて知ったし、彼がいなかったら一見別ジャンルの人に思われるジョニ・ミッチェルの凄さもよくわかっていなかったに違いない。音楽だけではなく、彼の強烈なヴィジュアル・イメージが多感な中学生も心をとらえ、音楽の楽しさへ導いてくれたのだ。Sign 'O' the Timesが発表され収録曲Housequakeにはまりまくっていたとき「これはファンクだ」と兄に教わり、ファンクというものを初めてはっきり認識したのもはっきり覚えている。自分はファンクの持つ自由さに惹かれたのだ(ジャンルに大きな意味があるわけではないが、Princeの音楽が何に属するかと問わればファンクと今は返答するだろう)。Princeは音楽的な垣根を取り払ってくれた存在、自分にとってまさしくmusical mentorであったのだ。またユニセクシャルな衣装や性的なパフォーマンスに自らを解放された人も多いだろうし、偏見のない価値観を彼は教えてもくれた。
 彼の音楽は多様なルーツが複雑に絡み合っていて、見えにくいセルフイメージとともに謎が非常に多い。最高傑作ともされ、あらためて聞き直してもその美しさと奇矯さに打ち震えるParadeにしても、いったいあの時代になぜこういった音楽ができたのか30年を経ても疑問ばかりが残る。個人的には、非常に興味があるのがルーツであるブラックミュージックへのリスペクトが深く感じられつつも、それだけにとどまらないいわゆる‘白人’音楽的な部分だ。西寺郷太『プリンス論』、ブライアン・モートン『プリンス 戦略の貴公子』では出身のミネアポリスの特殊性を挙げられている。またラテン的な要素も気になる(サンタナの影響ということで説明がついているのかもしれない)。
長いキャリアで多くの曲を発表し続けたPrinceのイメージは人それぞれでひとくくりにはできないだろう。それは何より音楽を作ることが好きで、誰もかなわないほどのペースで曲を発表しパフォーマンスを続けてきたためで、音楽の素晴らしさと自由であることの大切さを伝えた彼の最大の功績ではないかと思う。ありがとう、Prince。
  
(5/4ジャンル用語の混乱があったので追記しました)

(6/2追記 上記ラジオ ウィークエンドサンシャインの曲リスト4/30放送分は http://www.nhk.or.jp/program/sunshine/backnumber/WS1604.pdf に)