異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『ガリバー旅行記』 ジョナサン・スウィフト

ガリバー旅行記 (角川文庫)

 言わずと知れた名作中の名作で当ブログ主の好物であるSFにも多大なる影響を及ぼした作品。
 現在NHKラジオで解説番組をやっている。

NHKカルチャーラジオ 文学の世界 風刺文学の白眉 『ガリバー旅行記』とその時代 (NHKシリーズ)

 で、これが興味深い内容だったので(このカルチャーラジオのシリーズはポーや怪奇幻想ミステリーとか扱っていてハマる率が高いのだ)ちゃんと読んだことのない原典にあたってみた。
 正直<風刺文学>というキャッチフレーズにはいささか苦手意識がある。まあブログ主の好きなSFだってそもそも現在の社会や人間といったものを戯画化することが土台にあるようなジャンルなのだから、明らかに自己矛盾しているとは思う。しかしどうも<風刺>という言葉に、現在の社会の様々な問題を浮き彫りにした上で「現在の社会を変えよう」とか「より良い社会にしよう」といったニュアンスを感じてしまって、消極的かつ悲観的なブログ主は「そんな立派なこと言われてもさ・・・。大体変えられるのかよ世の中なんて」みたいな気持ちが生じて、誰もそんな事を言っていないのに勝手にネガティブになりついつい<風刺>というとどこか警戒心があったのである。しかし読んでみると凄く面白い!約300年前だというのにその笑の感覚の違和感のなさ、発想の奇抜さに驚かされる。当ブログ主は<風刺>という言葉を一面にしかとらえられていなかったことに気づかされ、反省した。<風刺>というのは別に目下の問題を解決しようという著者の意図から生まれるものを指す言葉とは限らず、もっと大きな視点からこれまでの常識に囚われず別の角度から社会や人間を見直してみようという方法論のことなのだ。
 本書の影響も多大なるものがある。本書を読んだことが無くてもリリパットラピュタ、ヤフーといった言葉は誰でも知っている。いやそれらの言葉の息の長さには驚かされる。一読の印象はSFだとレムの泰平ヨンシリーズ。いろんな所(レムでは島じゃなくて星)を巡るユーモラスかつ深遠なところが似ている。その他ラファティのカミロイ人ものとか。あとは下記の様に『家畜人ヤプー』『ドクターモローの島』。さて非常に濃密な一冊だったので備忘録含めもう少し細かく触れていくことに。
 (以下、古典なのでそのまま内容に触れます。未読の方はご注意を)

 まずガリバーから従兄への本書出版に関する手紙があり、また序文で「ところどころ単調な数字の記録などを端折っている」という入れ子構造になっていてメタフィクション構造になっているのは見逃せない。また司祭職にあり著名人であったスウィフトの名も伏せられガリバーの手記という形式で当初出版されたため、ノンフィクションと思っていた読者も多かったそうだ。
 さて第一話。小人リリパットの国に捕えられてしまう絵は有名で、少なくともブログ主の様な世代で見たことが無い人などいないのじゃないかと思う。実はそのリリパット社会も当時のイギリス社会を反映した部分があるようなのだが、そこはラジオの解説に詳しいので置いておく。唸らされたのは十二分の一というリリパットの大きさを始めとする架空であるにも関わらず、努めて科学的であろうとする描写だ。家、軍艦などの描写にこれでもかと数字が並ぶ。社会についても経済の様な大きい視点や家族関係(子どもは両親から離れて育てられる)の様な個の視点まで実に細かく考察されている。また「リリパットより小さい人間もいるのではないか」というさらに想像が広がる様な一節もある。これらはSFの外挿法を軸とする創作方法に直結するのではないだろうか。まあそんなに硬い事は言わずとも宮殿の火事を小便で消して大問題になるところなんかは爆笑ものである。
 第二話巨人の国。こちらも大きさについての詳細な数字が登場し社会体制についても軍事、教育、法律など幅広い分野についての細かい描写がある。また第四話で顕著なのだが、人間側の社会(特にイギリス)の辛辣な説明があり、そこにスウィフトの本音が伺える。今度は本人が小さいのでいつもいっぱいいっぱいな感じ(笑)だが、これも楽しい冒険譚に仕上がっている。
 第三話は他の三つのパートと違って、いくつかの国の話が並ぶ。実は一番SFっぽい部分でもある。
 まずは空中都市ラピュタ。空中に浮いているというのがちゃんと疑似科学的に説明されているんだよなあ。磁力ということで素朴なんだが理屈がそれなりに通っているのがSFファン的に嬉しくなってしまう。ちなみに『天空の城ラピュタ』は観たことが無いので言及できません(関連は薄めの様だが)。いざとなったら下界の世界バルニバービを押しつぶすと脅迫して支配しているというヒドイ話だが、それが不成功に終わり妥協しているという辺りのなんとも「よくありそうな感じ」もコワい。バルニバービの巨大研究所のマッドサイエンティスト大集合!といった奇天烈な研究の数々は圧巻。言語実験、人体実験(脳の手術ヤバい)呆気にとられるほどで個人的にはここが面白ツボマックス(何と<暗記パン>みたいなのも出てくる)。科学者のすすめでやったプロジェクトが大失敗に終わる様子もぬかりなく描かれ、これまた現代にも通じるエピソードである。
 グラブダドリブは「魔術師と呪術師の島」。これには過去の人物を甦らせて実際にあったことを聞けるというタイムスリップものみたいな話が登場してまたまた腰が抜けそうになる。300年前に既にこのアイディア書いているとはねえ。しかし何人もの話を聞いた挙句、歴史の記述者がいかにいい加減であるかとか人間がいかに愚かであるか気づき嫌になってしまうというネガティブなオチが何とも。あと呪術により死者を甦らせるというのはゾンビ的でもある。
 ラグナグには不死人がいる。一見夢の様な不死人だが、それは死なないだけで次第に時代に合わなくなり最後には社会の負担となり冷遇されるという悲惨さ。これまたらしい。
 日本は一応出てくるものの大したエピソードは無い。
 そういったわけで奇想炸裂の第三話は正直一番好きなんだが、阿刀田高解説では第三話に関して「(発想が)子どもっぽいとも言える」と。えーっ、そこがイイんじゃなーい!(笑)
 第四話フウイヌム国。これが内容的にもクライマックスで、ガリバーが最終的に心酔した嘘のない高潔な馬たちの国。フウイヌム国では人間はいやしいヤフーという獣として扱われており忌み嫌われている。なのでガリバーは次第にその存在を認められるもののあくまでも主君の可愛がるペットとしての特別扱いでしかない。しかしフウイヌムの文化に深い尊敬の念を抱いたガリバーはむしろ人間社会に帰るのを望まなくなる。結局追い出され、やむなくイギリスへ帰国し家族の元に戻るのだが周囲に醜いヤフーがいるのが嫌でたまらない状態になってしまうのだ。解説にもあるように実に厭世的なラストである。人間社会への鋭い批評も目立ち、スウィフトの最も言いたかったことが出ているのだろう。ちなみに『家畜人ヤプー』は(上しか読んでいないが)これを基にしていたことが今回よく分かった。またガリバーの心理は『ドクターモローの島』の主人公にも通じるものがある。
 

 他に全体を通じて印象的だったのは言語的な考察が実に多いこと。それぞれの国は別々な言語を持っていて、習得の過程も描かれている。言語抜きに文化が成り立つかといった根源的な問いかけすらみられた。その他にも笑いをちりばめつつ社会や人間への深い洞察が感じられる。一方糞尿についてのエピソードも多い。クローネンバーグの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』にも放屁が出てきたが、あれは人体を客観的に見ているといった感じで、スウィフトの場合は稚気というか一種の子どもっぽさの現れの様にも思われる。
 スウィフトはかなり偏屈な人物でもあった様で、解説や上記のカルチャーラジオでも触れられていたが、二人の女性と三角関係を続けた上にどちらとも上手くいっていなかった(片方は自殺)という有様。女性描写には明らかに偏見を見てとれる。子どもへの愛情もあまりないのか家族関係を解体するようなアイディアが登場する。イギリス国教会の司祭でそれなりに社会的に地位にあったが、政治で失敗、僧職でもトップには立てなかったということで個人としては歪んだ自意識を抱えた付き合いにくい人物であったのは間違いない。しかしそんな人物がオブセッションをバネにして名作をものにする。不思議なものだなあ。