異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

渋谷UPLINKで『ホドロフスキーのDUNE』『マップ・トゥ・ザ・スターズ』

渋谷UPLINKは昨年末に観逃した作品のアンコール上映をやっていて気になった映画館だったが、今回利用してみた。
小さいハコで椅子も持ち運べる簡易式のもので少々驚いたが(上記2本とも同じ場所だったがROOMというのかな。Xはどうなんだろう)、まあ上記2本とも半ば諦めていたのでとにかく有難い。


ホドロフスキーのDUNE』
 1975年にフランク・ハーバートの長大なSF作品『デューン』の映画化に挑戦したホドロフスキーのドキュメンタリー。ホドロフスキーについては『エル・トポ』は若い頃観て分かんなかったんだっけか・・・。バンドデシネの『アンカル』は面白かった(→昔の感想、前にも『エル・トポ』思い出せないって書いてた・・・)。あとボラーニョ『売女の人殺し』の解説にもホドロフスキーの名が登場していて、どちらもチリの人でなるほどと思ったり、その影響っていろいろ大きいんだなあとようやく気づいたといった段階。だからデューンの映画化の話があったのは知らなかった(昔少し聞いたことがあったがあまりホドロフスキーを知らなかったので忘れたのかもしれない)。
 この作品のサイトにある様に、話に出たメンバーが凄過ぎて。サルバドール・ダリミック・ジャガーオーソン・ウェルズメビウス、H.R.ギーガー、ピンクフロイド…いやこれは冗談かと思ったが、実際に話をすすめているエピソードも多く出ていて、とにかく本気だったことは伝わってくる。特に大変だったのがポウル・アトレイデ役に選ばれた監督の息子ブロンティスで、当時10代だった彼は超能力を持つ主人公になるべく2年間毎日拳法の師匠から特訓を受けていた!いやそれってヤバいんじゃないか(苦笑)しかし銀河皇帝のダリ、ハルコンネンのオーソン・ウェルズ観てみたかったよねえ(相手の出方を芸術家らしい言い回しで探ってくるダリのトラップをくぐりぬけてオファーを受けてもらおうと頭をひねるホドロフスキーのやり取りが作品の見どころの一つになっている)。
 結局コストがかかることや作品の長さ(ホドロフスキー自身は作品の長さについて10時間いや12時間!といってる(笑)で折り合いがつかず頓挫したのだが、60年代の影響を色濃く反映した東洋思想だとか意識の拡大だとか前衛的手法といったものをその後ブームになるSFにぶつけた未来的なセンスには素晴らしく、実現されていればたしかにSF映画はその後別な歴史をたどっていたに違いない。そして出来なかったその映画のラストの様に革命の精神はそれぞれに継承され、例えば無名だったギーガーが重用された『エイリアン』の成功に結び付く。直観と情熱で動くホドロフスキーの当時の姿は異常としか思えない部分が多々あるものの、変革の時代にはそうした異常な精神を核としたムーヴメントが起こるのではないかという気がしないでもない。その分、中止になって本人の精神状態が心配になるが、前向きに対処したようでホッとする。こわごわ観に行ったデヴィッド・リンチの『デューン』の不出来に喜んだ話をするようなホドロフスキーの率直な語り口、また何よりへこたれないカラッとした笑顔がチャーミングだった。

『マップ・トゥ・ザ・スターズ』
 SF映画のタイトルのようだが、この場合はハリウッド・スターの方でSFではない現代劇。クローネンバーグは初期作品はあまり観ていなくてむしろ『スパイダー』(2002年)以降の作品をほとんど劇場で観ている。暴力や人間の欲望といったものを一種のメカニズムとして理知的にとらえようとするところがいいんだよな(『クラッシュ』の映画化も担当しているようにJ・G・バラードに相通じるものがある)。特に本作で扱われるのは現代人の欲望が極端な形に肥大したハリウッドの世界で、近作は現代を舞台にした作品が多いクローネンバーグのある意味自然な流れと思われる。
 主に二つの話が同時進行する。一方の主人公は女優のハバナで、落ち目のキャリアを挽回しようと若くして亡くなった女優である母の作品のリメイクに母親と同じ役で出ようと画策している。もう一方の主人公は13歳の人気子役ベンジーで、こちらはその年齢にして既にドラック問題を起こし、復帰を目指している。この二つの話が同時進行していくうちにやがて話は意外な方向に転がっていく。
(以下ネタを割るので色を変えて)
 友人の紹介でハバナは秘書として若い娘アガサを雇う。そのベンジーの家族はステージママである母親とTVセラピストとして成功している父親によるいかにもセレブなファミリーだが、実はアガサはベンジーの姉でもある。詳細な理由は明らかではないが、アガサはまだ6歳だったベンジー睡眠薬を飲ませた上で家に火を放ったことがあり遠くの病院へ送られていて、ベンジーの家庭ではその存在が封印されていた。またアガサの異常の行動の背景には実は両親が近親結婚(姉弟?兄妹?)である秘密を知ってしまったことがあった。かくして話は(ハバナをめぐるパートも重要なのだが)神話的な様相を帯びてくる。あとハバナベンジーは死者を度々目にし追い込まれていく描写があるが、それが異常な精神状態のためかはたまた亡霊なのか判然としない描かれ方をしている。神話的な内容といい亡霊といいどちらかというと世界や肉体の仕組みたいなもので人間の危機が訪れるようなシステマティックあるいはメカニックな描写が特徴のクローネンバーグとしては少々意外な印象を受けた。
 いずれにしても若さを失った女優、不安定な精神状態のまま成功し人気を持て余している子役、成功を夢見る人々や虚飾の成功を維持しようとする人々の欲望や苦悩がクローネンバーグらしい理知的な図式や構成で描かれ、人間性というものの危うさが鮮やかに切り取られている。傑作だと思う。