異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<ビートニク映画祭>三回目は山形浩生トークショー

 さて非常に楽しかったビートニク映画祭東京では本日で終了。
 当ブログ主は昨日2回目の『キング・オブ・ザ・ビート』観て山形浩生氏のトークショー聞いて来た(お相手は金子遊氏)。まず映画をもう一度観た感想としてはケルアックの人生はなかなかに苦渋に満ちたものだなあというもの。「オン・ザ・ロード」の放浪のイメージから若者に夢を与えた彼だが、むしろその不遇の時代と脚光を浴びた早々に身を持ち崩してしまう悲劇的な要素の方が強く印象づけられた。
 トークショーについては例によってうまくまとめられないので箇条書き。備忘録的なものなので話した内容そのままというより自分の理解した内容を重視しているので多少言い回しとかは御本人から離れるかもしれません悪しからず。他にも根本的な間違いがあったらごめんなさい。(基本的に金子氏が聞き役なので以下はほとんど山形氏の発言。金子氏の部分だけ名前を入れた)
・とにかく最後のケルアックの朗読の部分が素晴らしい。あそこだけでもこの映画を観る価値がある。
・ケルアックは自分のイメージに苦しんだということだが、この映画の中で周囲の人達も晩年のケルアックについて語るのは辛そうだった。「ウィリアム・バロウズと夕食を」の中でルー・リードに晩年のケルアックのことを尋ねられた時も答えにくそうだった。
・ケルアックは運転免許を持っておらず、ほとんど運転していない。ニール・キャサディがほとんど運転(危険な運転だったらしい 金子氏)。ニール・キャサディが好き放題にするのを常に記述する立場だった。
・実務的な側面でアレン・ギンズバーグの功績は非常に大きい。売れていなかった仲間の作品の発表の場を熱心に探した。ニューヨークとサンフランシスコの文化をつなげる役目も果たした。広い分野の人々を集めることもした。仕掛け人的なところもあり、いろいろなところでケルアックが注目を集めているという印象を強めるような一種の演出も行っていた。こういう盛り上げ役がいないと運動は成功しないのかもしれない。(昔の西武文化もそういった盛り上げ的な部分を持ってはいたのではないか)
・(山形氏の持参したギンズバーグの仲間を撮った写真集?を)女性はあまり写ってなさそう。ビートは男たちがクローズドサークルで遊んでいる感じがある。(金子氏)
・同性愛的なビートの代表的三人だがその個性も三者三様だ(ゲイで文学者らしいギンズバーグ、最初は結婚していてバイセクシャルでジャンキーなバロウズバイセクシュアルでアルコール依存でまた持ち味の違うケルアック?)。
・(映画内でバロウズが「大した作品ではない」と切り捨てている、バロウズとケルアックの共作した「そしてカバたちはタンクで茹で死に」の訳者として) それぞれの特徴がところどころ見えるようなところもなくはなく目を通してもいいかもしれない。
・(山形氏の持参したテリー・サザーンによる映画化「ジャンキー」のシナリオ。結局映画は出来ず) バロウズが自身の役で作品の主人公(つまりバロウズの)と会話をするシーンがあり、作家バロウズがその時の最新作を紹介するシーンがあった。映画化しても面白かったかもしれないが、バロウズはこのシナリオが気に入らなかった。
・ビートの作家たちは表現による制約を取り払い、今でも若者たちに共感を呼ぶ。ただ制約を超えて実験をしていくということをどんどん進めていくとある種ゲテモノのような方向に行ってしまうところがある。ケルアックの「オン・ザ・ロード」の最後の部分でディーン・モリアーティがボロボロの恰好で街角を曲がり「それがぼくの見たやつの最後の姿だ」という部分などにその実験の果ての一抹の寂しさみたいなものもビートにはあるのではないか。ケルアックやバロウズ自身の生涯の最期も大家になって大成功という感じではなく、どこか実験の行く先の厳しさを感じさせる。ただそれは自分がサラリーマン(山形氏)だからそう感じるのかもしれないので、実験の先には輝かしいものがあるのだという人は是非そこにチャレンジして欲しいと思う。
・ビートの実験、例えばバロウズのカットアップの様なランダムな組み合わせで全体の5%に刺激的なものが生まれるとして、果たしてその5%を実際にどう拾い上げていくのかという問題がある。例えば進化のプロセスにもそうした組み合わせの変化というものがあるので、カットアップにも進化への可能性があるかもしれないので、それを拾い上げることは重要である。ビートの作家たちは制約を取り払い、実験で可能性を広げてくれた。しかしその実験により出来あがった「チャパクア」のような映画を実際に観ると本当によく分からなかったりする。それでも彼らの後の世代である我々には、そのよく分からないランダムな実験で生まれたものから、どこが面白いのかを拾い上げる努力も必要なのではないかと時々考える。

 ちなみに一連のトークの間バロウズの朗読が山形氏のスマホ?から流されていて、山形氏によると「(氏の)トークとバロウズの朗読が重なって時に世界の真実が見える」とバロウズが言っていたらしいのでそうしたとのこと。バロウズ・・・・。
 それも一つの実験で、そこから拾い上げる努力も受け手も必要かもしれないというのは面白い話だったな。

 大いにビートに刺激を受けた1週間であった。これからの地域の方もご覧になるといいですよ。ビートの作家たちが身近になるのは間違いない。