異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

80年代クリムゾン

 最近プログレを聴いている。80年代に中学・高校という多感な時代を過ごしたブログ主はロックに関してはなかなか当時の音楽観から脱却することが出来なかった(当時は音楽評論家という音楽紹介者の影響力が大きくこちらもモロにその影響を受けてしまったこともある)。が、近年ようやくそうした価値観から距離を置くことが出来るようになったのかも、と思えてきた。80年代の特徴としてはダンスミュージック全盛、パンク・ニューウェーブ以降ということで、ちょっとヒネた感じのロックファンにとって、売れ筋のヒットチャートの大部分と同様評価が低かったのがへヴィメタルそして実はプログレだった。
 テクニック至上主義、大時代的、反体制音楽なのに権威主義的、みたいなイメージで<一歩進んだロックファン>には「素人が楽器を握りましたみたいな音楽の方ががずっと刺激的」という価値観が支配していて、プログレ守旧派の砦、批判の格好の対象だったのだ(個人的にはミュージックマガジン系の文化に染まった人々は今でもそういう傾向があるんじゃないかなあと思っている。いや自分がそうだったからね)。またある意味この頃は特殊な時代ではあって1998年に出たロック音楽ガイド「ロッククロニクルvol.2 1975-1984パンク~ニューウェーヴの時代」のプログレに関するコラムにはジョン・ウェットンの「(70年代後半について)あんな悲惨な時代が二度と来ないことを祈るよ。楽器をちゃんと弾けるだけで、白眼視されて無視されちゃうんだから」という発言が引用されていて、何となく時代の雰囲気をうかがい知ることが出来る(ちなみにこのコラム自体も今から読むとかなりプログレを揶揄するような内容で、90年代後半にもその傾向が続いていたことが分かる)。
 さてブログ主が時代が経過してもそのネガティブな価値観からなかなか脱却できなかった理由は変拍子の多さとユーモアの欠落だった。SFファンであるから幻想的な内容の多いプログレの歌詞なんかは大いに興味があったんだが、それでもとっつきにくかったのはそのためだった。変拍子に関してはその後ザッパを聴くようになって改善され、最後に残ったのはユーモアの部分。80年代の音楽は少なくともアルバム中ずっと難しい顔している様な音楽は敬遠されていたから、70年代のプログレを聴くのはキツかった。
 さて前置きが長くなったが、そういうプログレ嫌いも一種の偏見だったのかなーと年を取ると気分も変わるもんで、近年はいっちょプログレもちゃんと聴いてみるべえと思ってきたのだが、最大の難関は質問するのもはばかられる気難しい大学教授のようなロバート・フリップ率いるキング・クリムゾン。いやファンも厳しそうだしなー(笑)。まあさすがに「Twenty first century schizoid man」は昔から名曲だと思ってるけど他はいくつかアルバム聴いたが重苦しい感じがしてどうもピンと来なかった。ところが最近(久しぶりに)「Elephant talk」を聴いて驚く
King Crimson: Elephant Talk (live on Fridays) - YouTube
なんだこれファンクじゃないの!暴れはしゃぎ回り変なギターを響かせるエイドリアン・ブリューにそれを凄腕ベースでサポートするトニー・レヴィン、そして見事なテクニックで彼らのテンションを受け流すかのようなロバート・フリップ。こういう変態ファンクは大好物ですよ!で、詳しくないながらもふと70年代とのキング・クリムゾンとの違いに思いを馳せる。これはひょっとして80年代に席巻したブラックミュージックやダンスミュージックに対する彼ら流の回答なのではないか。赤・青・黄で綺麗に統一された80年代クリムゾンの「Discipline」「Beat」「Three of a Perfect Pair」は一連の三部作であることはジャケットからも明らかで、似たようなコンセプトで作られたものと思われる。なのでまとめて考えることが出来るはずで、例えば現在の「Three of a Perfect Pair」のCDにはこんな曲もある。
Top Twenty King Crimson Songs(Belew Years ...
(※2021年2/24追記 久しぶりに読み返したらリンクが切れてましたね。"The King Crimson Barber Shop"という曲です)
 これは元々のアルバム発表時には収められていなかったので、お遊び曲だと思う向きもあるだろうが、ドゥーワップのスタイルであるバーバーショップをタイトルに使い(文字通り床屋で歌うことからドゥーワップは生まれた)、相当ブラックミュージックを意識している。ちなみにP-funkの総帥ジョージ・クリントンも床屋の息子である。そんなスタイルで「(代表曲である)Twenty first century schizoid manはもう歌わないけど我らキング・クリムゾン・バンド」と歌うのだ。かなりバンドのイメージを壊そうとしていたことが分かる。いやこれはお遊びどころか大マジだったんじゃないかと思う。また「Three of a Perfect Pair」のCDには「Sleepless」のリミックスも入っている。
King Crimson - Sleepless - YouTube
 ダブっぽい遊びも入ってるな。80年代にロックでこういうリミックスがあること自体は珍しくなかったのだが、正直ハズレばかりでブルース・スプリングスティーンのアーサー・ベイカーミックスなんて明らかにミスマッチで当時聴いても既にひどい代物だった。ところがこれは今聴いてもそんなに変じゃない。(意地の悪い評論家だと「変にすべってない分、また評価に困る」だとか書いたりするかもな、などとまたまた余計な事を考えてしまったが)
 いや大したもんだ。いろいろやってもプログレらしい方法論は維持しつつ、しっかりブラックミュージック・ダンスミュージックが席巻した80年代へ返答している。ところどころトーキング・へッズっぽかったりピーター・ゲイブリエルっぽかったりするのは事実だが、80年代クリムゾンの3作はこの時代のロックに対しての批評性のある記録になっている。今更で詳しい人には申し訳ないが、ロバート・フリップさすがだな。また、大きなロックの変革の時代に返答するため少し無理をした自分への照れかはたまた韜晦か他の時代には感じられないロバート・フリップのちょっと英国人らしい斜めに構えたユーモアもそこには漂っている。そんな80年代クリムゾンブログ主は大層気に入ったのである。
 さて次はイエスの80年代かな(笑)
 (※2021年2/24追記 結局イエスについては残念ながら、宿題のままにいたる(苦笑)。ただ2016年にその頃のロバート・フリップ中心に、また書いた。折角なので、それをリンク http://funkenstein.hatenablog.com/entry/2016/02/28/220517 。あとどこかに書いたか忘れてしまったのだが、アルバム「Beat」は当然ビートニク。"Neal and Jack and Me"はもちろん『On the Road』、"The Howler"はHowlだろうし、"Sartori in Tangier"の遠く離れた世界への憧憬が見える。前作「Discipline」の"The Sheltering Sky"といえはポール・ボウルズビートニクに近い作家だ。80年代におけるビートニクがロックシーンにおいて、どうだったかというのは、ちょっと時間をかけないと簡単にはいえないテーマだ。とはいえ、クリムゾン=フリップとしては、随分影響とかストレートに表現している時代ということはいえそう。)