異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2022読書以外(美術展や音楽など)

 (とりあえずマイブーム「うる星やつら」はさておき(苦笑)
 映画は今年もあまり観ませんでした。録画の方もちょぼちょぼ。
 そうそうキョセム観終わり、オスマン帝国外伝~キョセムをなんとか完走。感想は正月のうちにでも。
 コロナ禍で(仕事関係の事情もあって)人が集まるところは自粛していたのですが、美術展には少し行くようになりました。
funkenstein.hatenablog.com
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 「日本のなかのマネ」展が特に印象に残ってるかなあ。<タローマン>もよかったけどね。
 音楽。
 チャートものでは引き続きディスコリバイバルが耳に残ったかなあ。
 2020年のDua Lipaとかもそうだけど、今年のLizzoとか。
 www.youtube.com
 とか書いたけど、ほとんど最新の音楽には疎くて(汗)、もっぽら昔の音楽(それもビッグネームたち)の再発見。
 春くらいにはMaxwellにハマっていた。ちょっと前の来日公演行けばよかったなあ。
 夏くらいにはBlack SabbathAlice Cooperの面白さに気づかされた。
 そしてここのところは岡村靖幸。DATEも初体験!💖
 ライヴ自体も超久しぶりだったので楽しさもひとしお。

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 戦争含め、来年もう少し世の中が落ち着くことを切に祈りつつ。




 

2022年12月に観た映画や行った美術展

例によって録画視聴。
「ファイティン!」(2018年)
 CSで偶然見かけて(冒頭ちょっと欠いたけど)録画して視聴。
 訳ありのアームレスラーが周囲の人々との交流から大会に挑む話。
 シンプルなストーリーだが、マ・ドンソクとかわいい子役でもっていかれてしまう。
 パワフルアンドラブリー、のマ・ドンソクアイドル映画。いいよ。
あとこれも偶然やっていた「ファイトクラブ」も後半分くらいは観たかなー。なかなか面白いと今でも思うけど、あの時代の空気感が出ている作品なのかなー、とかつらつらと考えていた。原作未読なんで、ちょっと読んだ方がいいかもと電書を購入。

 美術展にも行った。
 年内最終日かつ一般の仕事納め後の29日で、また国立西洋美術館が1月23日(だったかな)からしばらく修理で旧館なのとが重なってか、(当ブログ主はたまたま昼くらいにいったから大丈夫だったが)閉館間の入り口は結構混んでいた。

www.nmwa.go.jp
 最近すこーしだけ知識が着いたので(一方で記憶力の低下ですぐ忘れるけど(苦笑)、逆に構えず鑑賞できるようになったかも。
 ピカソは骨太な人物像が多いなとかブラックは茶色が綺麗だな(ブラックなのに)とか、クレーは魔術とか魔女とかが好きなのかなとか考えていた。
 時間を取って、常設の方も行った。元々常設も展示作品多いんだなあ、見応えある。人も少なめなのもいい。
 宝飾の細かい作り込みは凄かったな。
 版画で「観る」演劇展もよかった。
 当時から原作と演劇にはずれがあったというのが、(当たり前ながら)印象に残った。

www.nmwa.go.jp

2022年12月に読んだ本

◆『二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件』ピーター・レフコート
 メジャーリーグの二遊間で恋が芽生えるという話だが、ややゆったりした序盤から、後半の加速していく展開がお見事。やるせないユーモアが漂うも企画もの的な安易さはなく、ドレフュス事件と符合させながら人間模様が描かれる、よく練られた作品。
◆『ルビーが詰まった脚』ジョーン・エイキン
 これまで知らなかったが、作者は既に多数の訳書のある1924年生まれの作家。
「葉っぱていっぱいの部屋」
冷たい親戚の家で暮らす孤独な少年。大きな屋敷をこっそり徘徊するうちに大木の生い茂る部屋に迷い込み、そこにいた小さな女の子に出会い仲良くなる。そしてある日ハリウッドから、その屋敷を移築する話が持ち上がる。意外な展開と余韻の残るラストが心地よい。
「ハンブルパピー」
 見えない仔犬の幽霊の話。見えないんだけどかわいい存在がまさしく文章の魔術によって感じられるのが見事。
「フィリキンじいさん」
苦手な数学の先生に悩まされる主人公。祖母の夢を見て、謎めいたフィリキンじいさんの話を知る。なかなかキレのよい一編だ。
「ルビーが詰まった脚」
怪我をしたフクロウを助けるために訪れた不死鳥を飼う獣医から、不死鳥とルビーの詰まった義足を無理矢理引き継がされる主人公。その後すぐ亡くなる獣医の残された娘と主人公が不死鳥に対処する四苦八苦が奇妙なユーモアを醸し出している。
「ロープの手品を見た男」
とあるホテルにやってきた小柄な老人。子供たちを魅了する老人の語り口と魔法のような能力が鮮やかに表現されているがなかなか怖い話でもある。
「希望(ホープ)」
 ロンドンの一角に住む、厳しいハープの先生が遭遇する不思議な出来事。都市部しかもロンドンらしい奇譚。タイトルに含まれるアイロニカルな苦味がなんともいえない。
「聴くこと」
 独白による内省的な作品。音を通じて世界とつながっていくといったことが描かれているのだろうか。
「上の階が怖い女の子」
 上の階に行くことだけ異常に怖れる少女。読書を引っ張っていく巧みなストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮され、見事な着地を見せる傑作。
「変身の夜」
狼憑きを患い、一線を退くことになったシェイクスピア俳優めぐる顛末。演劇を舞台した怪奇幻想作品の系譜にあたる。シェイクスピアの理解が深いとより楽しめそうだが、不勉強な当方のような読書でも問題のない、起伏に富んだ好編。
「キンパルス・グリーン」
冷たい養母に育てられている孤独な少女。本作も虐げられている子どもが主人公だが、非常に巧みに描く作家である。本作は読書好きの空想が現実とリンクしていく要素が読みどころ。起伏に富んだ展開は長編さながらで、多くの読者の心を動かすだろう。巻末を締めるに相応しい傑作である。
◆『反対進化』エドモンド・ハミルトン
 中村融によるエドモンド・ハミルトンの日本編集アンソロジー2冊のうちSF編(もう一冊は怪奇編の『眠れる人の島』)
「アンタレスの星のもとに」
 物質転送というアイディアが使用されているが、基本的な骨格はヒロイック・ファンタジー。まあ解説にもあるようにE・R・バローズの系譜ということだろう(バローズの火星シリーズが1917年からで、本作は1933年4月号の雑誌掲載)。
「呪われた銀河」
 バカSF的な豪快なアイディアに怪奇風味が加わっている。ただ解説にもあるように科学性を(これまた)豪快に欠いているので、ちょっとピンとこないところも。
「ウリオスの復讐」
 脳移植で次々と体を乗り替え、時代を超えて徹底的に復讐を図るという、死体になった側への憐れみは欠片も感じられない、当時(1935年)の倫理観が気になる作品。展開的にも繰り返しが続いて少々くどいかな。
「反対進化」
 「呪われた銀河」が宇宙バカSFとするとこちらは生物バカSFだろうか。こちらもちょっとアイディアの無茶苦茶さについていけないところがあるかな。
「失われた火星の秘宝」
 これもパルプらしさというか秘宝探し冒険小説のSF版といったテイスト。解説にはA.メリットの影響の指摘があった。
「審判の日」
 犬(+猫)SFかな。切り口はやや珍しいところもあり、なかなか面白い。
超ウラン元素
 怪物パニックものだが、これまた強引というか人間原理というかどうしても古さが感じられる。
「異境の大地」
主人公は インドシナで不思議な状態にある人を見かける。人が人にあらざるものに変貌する恐怖が実によく描かれ、怪奇風味がたまらない傑作。集中No.1。古い作品らしい登場人物の心無い発言なと倫理観は気にならなくもないが、もっと知られるべき作品。
「審判のあとで」
 終末SFで、しんみりとした味がある。
「プロ」
 SF作家の内面が細かく描かれているなかなかこれもユニークなアプローチの作品。
 収録作自体古いため、科学的アイディアや登場人物たちの現代とはずれている倫理観、見え隠れする白人(といって悪ければ西洋合理主義)優位的な視点など全体に時代を越えられていない部分が気になってしまう。ただ「異境の大地」はそうした欠点を補って余りある傑作で、これ一作だけでも本書の価値は十分あるだろう。
◆『うる星やつら』12-29
 というわけで、『うる星やつら』ばっかり読んでいたわけですはは。中盤以降でも1話完結にも関わらず全然ネタ切れになっていないのと絵としてのグレードの凄さは何度書いても足りないくらいだが、ここで言及したいのは26巻(最早古典漫画かつギャグ漫画なので、問題にならないとも思うが以下多少ネタバレ気味なので気になる方は読まないでくださいね)。
 「大ビン小ビン」では珍しくラム救出にあたるが奮闘するのだが、頑張りがラムには伝わっていない。
 続く「風邪見舞い」では、風邪のランを見舞いに来たラムが結局ランに迷惑となり、ランがラムの悪気のない性格に溜息をつく。
 いずれも騒動そのものは定型なのだがオチが少しひねったというか、ドタバタから一歩引いたようなキャラクター同士の関係性を深めた趣向の、味わいを感じさせるものになっている。
 これはドタバタの中に長いファンに向けての目配せという感じがして楽しい(ただしサーヴィスとまではいえず、むしろ後の長篇へのトレーニングといったところもあったのかもしれない)。
 一方でドタバタが終焉を迎える予兆みたいなところも垣間見え、シリーズの限界もこの辺りで作者には見えていたのかもとも思わせる。
 たしか、シリーズを継続できたのは竜之介の登場が大きかった、という作者の発言があったと思う。
 その竜之介登場からさらに10巻。なのでこの辺りから、作者の(しのぶの行く末が気になり、因幡を登場させて)「うる星の連載が終了したのは、しのぶの幸せが見えたから」につながるというのが私見
 26巻辺りからそろそろシリーズをたたむ考えがあったのではないだろうか。

 

2022年12月に読んだ本

◆『二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件』ピーター・レフコート
 メジャーリーグの二遊間で恋が芽生えるという話だが、ややゆったりした序盤から、後半の加速していく展開がお見事。やるせないユーモアが漂うも企画もの的な安易さはなく、ドレフュス事件と符合させながら人間模様が描かれる、よく練られた作品。
◆『ルビーが詰まった脚』ジョーン・エイキン
 これまで知らなかったが、作者は既に多数の訳書のある1924年生まれの作家。
「葉っぱていっぱいの部屋」
冷たい親戚の家で暮らす孤独な少年。大きな屋敷をこっそり徘徊するうちに大木の生い茂る部屋に迷い込み、そこにいた小さな女の子に出会い仲良くなる。そしてある日ハリウッドから、その屋敷を移築する話が持ち上がる。意外な展開と余韻の残るラストが心地よい。
「ハンブルパピー」
 見えない仔犬の幽霊の話。見えないんだけどかわいい存在がまさしく文章の魔術によって感じられるのが見事。
「フィリキンじいさん」
苦手な数学の先生に悩まされる主人公。祖母の夢を見て、謎めいたフィリキンじいさんの話を知る。なかなかキレのよい一編だ。
「ルビーが詰まった脚」
怪我をしたフクロウを助けるために訪れた不死鳥を飼う獣医から、不死鳥とルビーの詰まった義足を無理矢理引き継がされる主人公。その後すぐ亡くなる獣医の残された娘と主人公が不死鳥に対処する四苦八苦が奇妙なユーモアを醸し出している。
「ロープの手品を見た男」
とあるホテルにやってきた小柄な老人。子供たちを魅了する老人の語り口と魔法のような能力が鮮やかに表現されているがなかなか怖い話でもある。
「希望(ホープ)」
 ロンドンの一角に住む、厳しいハープの先生が遭遇する不思議な出来事。都市部しかもロンドンらしい奇譚。タイトルに含まれるアイロニカルな苦味がなんともいえない。
「聴くこと」
 独白による内省的な作品。音を通じて世界とつながっていくといったことが描かれているのだろうか。
「上の階が怖い女の子」
 上の階に行くことだけ異常に怖れる少女。読書を引っ張っていく巧みなストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮され、見事な着地を見せる傑作。
「変身の夜」
狼憑きを患い、一線を退くことになったシェイクスピア俳優めぐる顛末。演劇を舞台した怪奇幻想作品の系譜にあたる。シェイクスピアの理解が深いとより楽しめそうだが、不勉強な当方のような読書でも問題のない、起伏に富んだ好編。
「キンパルス・グリーン」
冷たい養母に育てられている孤独な少女。本作も虐げられている子どもが主人公だが、非常に巧みに描く作家である。本作は読書好きの空想が現実とリンクしていく要素が読みどころ。起伏に富んだ展開は長編さながらで、多くの読者の心を動かすだろう。巻末を締めるに相応しい傑作である。
◆『中村融によるエドモンド・ハミルトンの日本編集アンソロジー2冊のうちSF編(もう一冊は怪奇編の『眠れる人の島』)
「アンタレスの星のもとに」
 物質転送というアイディアが使用されているが、基本的な骨格はヒロイック・ファンタジー。まあ解説にもあるようにE・R・バローズの系譜ということだろう(バローズの火星シリーズが1917年からで、本作は1933年4月号の雑誌掲載)。
「呪われた銀河」
 バカSF的な豪快なアイディアに怪奇風味が加わっている。ただ解説にもあるように科学性を(これまた)豪快に欠いているので、ちょっとピンとこないところも。
「ウリオスの復讐」
 脳移植で次々と体を乗り替え、時代を超えて徹底的に復讐を図るという、死体になった側への憐れみは欠片も感じられない、当時(1935年)の倫理観が気になる作品。展開的にも繰り返しが続いて少々くどいかな。
「反対進化」
 「呪われた銀河」が宇宙バカSFとするとこちらは生物バカSFだろうか。こちらもちょっとアイディアの無茶苦茶さについていけないところがあるかな。
「失われた火星の秘宝」
 これもパルプらしさというか秘宝探し冒険小説のSF版といったテイスト。解説にはA.メリットの影響の指摘があった。
「審判の日」
 犬(+猫)SFかな。切り口はやや珍しいところもあり、なかなか面白い。
超ウラン元素
 怪物パニックものだが、これまた強引というか人間原理というかどうしても古さが感じられる。
「異境の大地」
主人公は インドシナで不思議な状態にある人を見かける。人が人にあらざるものに変貌する恐怖が実によく描かれ、怪奇風味がたまらない傑作。集中No.1。古い作品らしい登場人物の心無い発言なと倫理観は気にならなくもないが、もっと知られるべき作品。
「審判のあとで」
 終末SFで、しんみりとした味がある。
「プロ」
 SF作家の内面が細かく描かれているなかなかこれもユニークなアプローチの作品。
 収録作自体古いため、科学的アイディアや登場人物たちの現代とはずれている倫理観、見え隠れする白人(といって悪ければ西洋合理主義)優位的な視点など全体に時代を越えられていない部分が気になってしまう。ただ「異境の大地」はそうした欠点を補って余りある傑作で、これ一作だけでも本書の価値は十分あるだろう。
◆『うる星やつら』12-29
 というわけで、『うる星やつら』ばっかり読んでいたわけですはは。中盤以降でも1話完結にも関わらず全然ネタ切れになっていないのと絵としてのグレードの凄さは何度書いても足りないくらいだが、ここで言及したいのは26巻(最早古典漫画かつギャグ漫画なので、問題にならないとも思うが以下多少ネタバレ気味なので気になる方は読まないでくださいね)。
 「大ビン小ビン」では珍しくラム救出にあたるが奮闘するのだが、頑張りがラムには伝わっていない。
 続く「風邪見舞い」では、風邪のランを見舞いに来たラムが結局ランに迷惑となり、ランがラムの悪気のない性格に溜息をつく。
 いずれも騒動そのものは定型なのだがオチが少しひねったというか、ドタバタから一歩引いたようなキャラクター同士の関係性を深めた趣向の、味わいを感じさせるものになっている。
 これはドタバタの中に長いファンに向けての目配せという感じがして楽しい(ただしサーヴィスとまではいえず、むしろ後の長篇へのトレーニングといったところもあったのかもしれない)。
 一方でドタバタが終焉を迎える予兆みたいなところも垣間見え、シリーズの限界もこの辺りで作者には見えていたのかもとも思わせる。
 たしか、シリーズを継続できたのは竜之介の登場が大きかった、という作者の発言があったと思う。
 その竜之介登場からさらに10巻。なのでこの辺りから、作者の(しのぶの行く末が気になり、因幡を登場させて)「うる星の連載が終了したのは、しのぶの幸せが見えたから」につながるというのが私見
 26巻辺りからそろそろシリーズをたたむ考えたあったのではないだろうか。

 

岡村靖幸ちゃんと初DATE💖

 ライヴのことをベイベさんたちはDATEというのね…初めて知ったの…新参者だから…
 というわけで突然岡村靖幸の魅力に取りつかれた齢五十ン歳のオサーン💕、23日カルッツ川崎に行ってきましたー。
 www.red-hot.ne.jp
岡村ちゃんと近い世代でファンク好きなので、気になる存在だったが、この世代はどうしてもPrinceの衝撃が大きい分、Princeの影響を音楽から過度に読み取ってしまう傾向がある。
 その中で洗練されたファンクサウンド、過度に密着度が高くエロい歌詞(苦笑)、端々に現れる独特の音像などどうしてもPrinceフォロワーという印象が自分の中で先入観となり、彼の音楽として聴く事に集中できなかった。
 時が流れ、眼鏡になった岡村ちゃんはなんだか以前より正直ちょっと地味に、そしていい意味で落ち着いた感じに見えた。
 この辺りの世代のファンク伝道者として(Princeが不在となったこともあり)頼りになる存在と思えてきたのである(実際Youtube細野晴臣とのトークでも近年の音楽のファンク離れに失望を訴えていた)。
 さて当ブログ主のようにPrinceを通して岡村ちゃんを見てしまう同世代に向けて、そのサウンドの魅力の一端を(経験値が浅いながら)少しでも伝えようと思う。
 まあまずはPrinceのサウンドや作詞世界を日本語で導入していることだけでも驚くべきことなのだが、それはあくまでも一側面。
 日本語化という面で特筆すべきは、ファンクサウンドと青春ロック(青春歌謡といっても過言ではないほど王道で、誰もがすぐに口ずさめるサビ)がシームレスに魔術のように融合している。
 それについては2020年のTV番組「関ジャム」に分析があって面白かった。↓

www.tv-asahi.co.jp
 というわけで、”あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「だいすき」「ターザンボーイ」「愛はおしゃれじゃない」「彼氏になって優しくなって」「ステップアップLOVE」等々、キラーチューンを山ほど持っているのが大きな強みだ。
 なので突然目覚めたオサーンファンがいきなり参戦してもライヴを存分に楽しめる親切設計なのである。ありがとう。
 あとPrinceが「Black Album」時代に少々て手こずっていたデジタルビートとファンクサウンドの融合もすんなり成功させている。
 上記動画で細野晴臣の影響を本人に告白していて、「S-F-X」の話なんかも出ていたから、早い段階からデジタルビートをよく研究していたおかげなんじゃないかと思った。
 本人のキャラクターにとらえどころなさがあって、一見赤裸々の様にも思える歌詞も冗談かと疑ってしまうところもある。
 普通の作詞が書かないような言葉や表現には彼の天才性が現われていると思うのだが、Youtubeの小倉エージとの対談では「職業作曲家になりたかったので、自分で歌詞を書くようにいわれた時は苦労をした」という意外な発言をしている。
 並の作詞家が逆立ちしても出てこないような歌詞センスがプロになってから出てきたとは俄かには信じがたいのだが…。
 なにはともあれ、コロナ禍で個人的にも超久々のライヴは、衰え知らず(ノンストップで歌い踊る!)の岡村ちゃんファンクそしてグッと泣かせるバラードが怒涛のように畳みかけてくる最高の時間だった(MCをバックバンドのリーダーに任せるシャイさもエロい音楽とのギャップがあって良い!)。
 またDATEに行きたいね~💛