異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。

山野浩一「小説世界の小説」を読んだ(療養中、備忘録)

. 正直体調はあまりよくないのだが(苦笑)、特にすることもないので、読み終えた山野浩一NW-SFの評論連載「小説世界の小説」各回の感想を書いておくか。

第一回 (掲載 NW-SF Vol.8)
 どのような批評を行っていくかの宣言。1973年にして既に、SF作家やSFファンの硬直した思考のみならず、人間自体が物事を単純にとらえるようになっている状況に警鐘を鳴らしており、実に現代的な問いかけであることに驚かされた。
第二回  ユートピアの敗北<H・G・ウェルズ論> (掲載 NW-SF Vol.9)
ウェルズのユートピア指向とその偉大な敗北、そしてその敗北を継承せず、楽観主義的にテクノロジー偏重に堕したアメリカSF批判、というSFの本質に迫る論。根本的かつ重要な指摘で、この視点で現代SFもとらえていく必要があるだろう。
第三回 ユートピアの敗北 A・C・クラークとB・W・オールディス (掲載 NW-SF Vol.10)
 前回のウェルズ論をふまえユートピアに対するアプローチという観点から、クラークの限界を批判し、それを乗り越えて終末をテーマに据えたオールディス を積極的に評価する。クラークへの批判は実に本質的なもので非常に鋭いと思う。
第四回 ディストピアの思想性 ハックスリとザミアーチン (掲載 NW-SF Vol.12) 
 ハックスリ『素晴らしい新世界』とザミアーチン『われら』をSF作品と比較しながら(当然ハインラインアシモフには辛辣)論じる本格的ディストピア論。ユートピア理念に潜む欺瞞、主体性を放棄した現代人の状況に対する指摘は全くそのまま今も通じてしまう。
第五回 アンチユートピア形而上学 クービンの「対極」 (掲載 NW-SF Vol.14)
 引き続きユートピアがテーマ。ユートピア指向の中で形成される暗黒世界=ディストピア、とユートピア指向と対立する考え方=アンチユートピアとを峻別し、後者について論じている。ウェルズ時代に書かれた、アルフレード・クービンという思想的意図を持たない画家による小説が取り上げられて、そこに生じる構造的な矛盾に焦点が当てられる。またヒトラーの思想とユートピアの関係に言及があり興味深い。
第六回 パラユートピアの成立性  モリス/ル=グイン/レム (掲載 NW-SF Vol.16)
 引き続きユートピア論。やはりこの連載はユートピア論が中心になっている。19世紀のウィリアム・モリスとル=グインの中世指向の違いを導入に、ル=グインとレムが実作の紹介含め詳しく分析され、SFの"新しい波"を前向きに評価する内容。
第七回 「現実としての未来世界ーハインラインとウィルヘルム」 (掲載 NW-SF Vol.18)
 最後に(つづく)とあるので、これが最終回ということを意識していたわけではないだろうが、サイエンス・フィクション(本項ではスペキュラティブ・フィクションとは表記されていない)についてのまとまった結論めいたものとなっている。あまりに的確な各作家への論評に驚かされる。十二階音楽との比較など、音楽への造詣の深さが山野らしいし、ハードとソフトといった用語の使い分けもかなり早いだろう。また全体を通じ、マックス・ピカートの<アトム化した人間>というのも大きなテーマとなっている連載だともいえそうだ。