異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。

(恥ずかしながらようやく)Princeの映画観た

 ようやく近年のPrince再発・未発表曲リリースブームに追いついて、いろいろ聴き直しているのだが、個人的に最大の懸案事項だったPrince関連映画を配信で観た。
 まずは(本当にようやくなので書き留めるのもホントは恥ずかしいが)「パープル・レイン」(1984)。
 Princeは好きだし、Parade tourも横浜で観たくらいに同時代体験もあるのだが、時に繊細過ぎたり、セルフイメージへのこだわりが強過ぎる印象があって、そこはどうにも苦手だった(前のブログにも書いたが)。映画「パープル・レイン」もまた重要な作品だとは知りながら、自伝的映画ということ気恥ずかしさをものすごく感じそうなので敬遠してきた。しかしまあもうこちらもオサーンで恥ずかしがるのも恥ずかしくなり(?)、観てみることにした。
 いやこれ結構よく出来ているではないですか。Prince & The Revolutionのライヴの魅力を中心にミュージックビデオをつなげた様なスタイルでストーリーのわかりやすい起伏を手堅くまとめたかたちが成功している。正直自伝的映画ということで、Princeの自意識が前面に出ちゃうのかなと懸念していたが、その後の軌跡や研究本などから振り返ってみても、Princeの人となりが大体出ていてる。家族関係、気まぐれな天才といったところ。その辺は、当時まだPrinceは爆発的に売れていないので、本作がPrinceのプロモーションを意味し、Prince側もある程度周囲の意見に従っていたろうということがありそうだ。また監督Albert Magnoliは当時キャリアが浅く、またどうやら(失礼ながら)その後のキャリアも華々しい人ではなく、おそらく職人的仕事人を期待されて雇われたのではないかと思われ、映画監督としての表現欲も強くなかったこともまた功を奏したのではないか。つまりPrinceという強烈な個性を持つミュージシャンを、本人・周囲が色をつけずに紹介したことが成功したのだと思われる。Princeのライヴそのものに比べると少しだけ映画の演奏シーンには作り物感がなくもないが、まあそこはないものねだりかもしれない。あと、台詞回しのせいかもしれないが、ブラックエクスプロイテーションの風味もあったな。
 振り返ってみると、実際のPrinceはミネアポリス・シーンといわれたファミリーの音楽の動きをほぼ一人で切り盛りしており(たとえば本作でライヴァルグループとなっているThe Timeはその後Jam & Lewisはじめ活躍の場を広げていくのだが、ファースト自体は全編Princeの曲だったはずだ。ちなみにThe Timeの再結成来日公演も観たが、Jam & LewisもJesse Johnsonもいない上に腑抜けたステージの失望コンサートであった(悲)、ミネアポリスシーンといわれていたものは、ほぼ<Princeシーン>だったのではないかと当ブログ主なんかは思っている。なので、そういう意味では"殿下”というよりは”絶対的な君主”であったはずで、Princeと他の人々の関係は映画のようではなかったに違いない。この映画ではPrinceは周囲の人々(特に女性たち)からインスピレーションを得て、成長していく。特にハイライトとなる曲パープル・レインがWendy & Lisaの作曲で、最初は「そんな曲やらない」といっている。つまり実際は既にかなりのカリスマで権力者であったPrinceが、手柄を総取りするような話にしなかったことが興味深く感じられる。孤高の天才というより、(才気あふれる気まぐれな人物ながら)様々な周囲の人々と関りながら音楽をつくっていくよう人物像を好んだというのが面白い。ここにはPrinceの脱マッチョ志向的な感性があるのではないか。Princeには曲If I Was Your Girlfriendの歌詞のように、「女性になって女性を愛したい」というようなセンスがあるように思われ、性的な表現を打ち出す一方で、男性的なマッチョイズムとは正反対な志向性が感じられる。映画でもPrinceが小柄なせいで、暴力的なシーンもあるのだが、じゃれているような、少年が駄々をこねているような程度に見えてしまう。また実際のPrinceもWendy & Lisa、ウェイトレスでチョイ役で登場したJill Jonesらファミリーの女性ミュージシャンから大いにインスピレーションを得て音楽をつくっていたらしく(Jillの影響力については西寺郷太氏がラジオで言及していた記憶がある)、そういう意味でも本人の経歴が反映された作品になっている。ただ、主人公Kidは身勝手な行動でバンドのメンバーたちに愛想をつかされているのだが、実際のバンドの方ではこの後絶頂期にしてThe Revolutionは”絶対的な君主”によって解散となり、メンバーは茫然自失となったというのが歴史の皮肉だろう。
 さて「Purple Rain」以上に難関だったのが、圧倒的に世評低い(苦笑)、「Under the Cherry Moon」(1986)。さすがに自分で監督はなあ。映画で自分自身がどう見えるのかというのはかの天才Princeでもよくわからなかったんだろうな。ジゴロ役って・・・。映像はまあ綺麗に撮れていて曲がいいだけにキラリと光るシーンもなくはないが、話もぼーっと観てるとなんか分かりくいし。あ、エンディングはMountains(大好きな曲)のミュージックビデオとしてはいいかな。この記事が好意的にとらえていて納得できる紹介かなあ。この映画もどことなくブラックエクスプロイテーションっぽさがあるんだけど、往時の白黒ロマンティック映画とそのテイストがうまくミックスしていないのとPrinceファンにはその趣向がまた見事に一致していない、様々なミスマッチが集約された不幸な作品。アルバム自体はとんでもない傑作で(Purple Rain、Sign o' the Timesと並んで最高傑作とされることも多い)、映画と音楽の評価の落差が異常に大きいことも特筆もの。
 そして「Graffiti Bridge」(1990)。これ「Purple Rain」の続編なのね。「Under...」よりキツいという意見もネットで見たけど、個人的にはこちらの方が大丈夫で、まずはミュージシャン役だから違和感がないし(苦笑)。少なくとも「Under..」ほど高みを目指していないところがつらさが少ない。基本的にこの時期のGeorge ClintonMavis Staples参加のFunk回帰的なサウンドが結構好きだったこともある。まあストーリー部分は流しながらミュージックビデオ的に楽しむのが吉。そんな目で観ると、このアルバムもまたいい曲が多くて、殿下、The Timeに加えGeorge、Mavis、若いTevin Campbellと楽しい。キリスト教的、ゴスペル的感性が流れている感じもあるね。
 殿下のキャリアでは「Purple Rain」以外、映画は失敗とされることが一般的だろう。ただ、殿下の栄光と挫折は、両性具有イメージそして人種混淆の音楽性(Purple Rain時代のライヴ映像、オーディエンスが白人ばかりで驚かされる)など数々の垣根を越えた独自性から生じているともいえる。今後時代が進むにつれ、さらにPrince作品は新たな面をわれわれに伝えてくれるだろう。それが楽しみである。