異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

3月に観た映画など

とはいえ劇場で観たのは1本のみ。来週は観られないので備忘録。
劇場で観たのは
ブラックパンサー」(2018年)
 宣伝で知ってからアフロフューチャリズム好きとしては観たくてたまらなかったのだが、時間がなくてようやっと。内容は期待以上のもので大変素晴らしかった。まずはこれまでメジャー映画では人種差別や歴史を扱ったシリアスな作品やストーリーの周縁をいろどるものでしか登場しなかったアフリカ文化が従来の壁を打ち破るド派手なSFアクションの文脈で真正面から取り上げられているところが凄い。ストーリー、映像、音楽、配役・演技どれも上質で文句なしの完成度だ。本国で大ヒット、エポックメーキングでありまたアフリカンアメリカン的な文化の浸透があることが感じられる。しかも対立構造として密かに文明の発達させ豊かに暮らすワカンダと世界で苦しむアフリカ同胞たちを無視していいのかという人々(世界を牽引しようという動きが常にある米国の文化が背景にあるアフリカンアメリカンという立ち位置が象徴的)があって現実社会を反映しているところもアクセントを加えている。SFとしてはヴィヴラニウムという架空の物質で進歩した文明というかなり古式ゆかしい伝統芸的なものを基盤としているのでそこに目新しさはない。また十分に配慮されたものとはいえアフリカ文化への視点がまだまだステレオタイプだとする批判もあるようだ。 
http://www.monitor.co.ug/OpEd/columnists/DanielKalinaki/film-Black-Panther-okay-statement-deeply-problematic/878782-4342070-rhp3igz/index.html 

しかしそれを鑑みても本作の存在は歴史的なものとなるだろうと思う。本作のポイントは薄汚れたそしてゴールも廃品でつくられたようなバスケットボールコートで遊ぶ少年たちだ。貧しい少年たちが夢を抱くのはバスケットボールプレイヤーやヒップホップアーティストかはたまたドラッグディーラーやピンプだったりしてしまうかもしれない。そして彼らの一部は宇宙を見上げそこからマザーシップが救いにくるのを待っている・・・アフロフューチャリズムにはそんな面があるように思う。ワカンダは宇宙にあるわけではないが、伝統と先端技術が融合した(ある意味荒唐無稽な)夢の国だ。ティチャラ(ブラックパンサー)が空からやってくるのは偶然ではない。空を見上げる彼らを救ってくれる存在なのだ。そう思うとティチャラがジョージ・クリントン(若い頃)に見えてくるのだった。

カッコーの巣の上で」(1975年)
 TV録画視聴。精神病院を扱った映画で社会派として認識していたが、実際の社会問題云々は別として(時代も変化して意味も変質するだろうし)、映画自体は抑圧とそれに対する抵抗といったもので米国らしい作品といえる。登場人物たちそれぞれの苦悩がからみあって進むストーリーはバランスよく完成度が高い。各種賞を受賞したのも当然だろう。

「極底探検船ポーラーボーラ」(1977年)
 TV録画視聴。円谷プロの日米合作映画。まずはジェンダー的な描き方でアウトなんだが、ストーリーもグダグダ特撮もしょぼいという見るべきところのない作品。ちなみにところで川本博士役の中村哲はどことなくThe Man in the High Castle(半分くらいしか観てないw)のCary-Hiroyuki Tagawaを思わせる。米国視線からの重厚な日本人顔というか。