異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『へびつかい座ホットライン』ジョン・ヴァーリイ

ISBN:9784150106478

(以後内容やシリーズ関係の話にすぐ触れていますので未読の方はご注意を)

 新訳や再編集などで読み直されているジョン・ヴァーリイの<八世界>シリーズ。このシリーズの背景は「謎の超越知性の侵略により、人類は地球を追放された。だが生き残った人々は、太陽系外縁を貫く通信ビーム「へびつかい座ホットライン」から得た科学技術を活用し、太陽系各地の“八世界”に新たな文明を築く…。」(本年刊行の『汝、コンピューターの夢』の紹介から引用)という感じである。太陽系を舞台にした一種の未来史シリーズ、ということになるが「一種の」としたのは訳者の大野万紀氏が『残像』の解説で「未来史それ自体を目的としているのではない」と書かれているからで、さらに大野氏によるその解説でこのシリーズは「インベーダーによる<地球侵略>」を始点、「<八世界>の滅亡」を終点とした二つの特異点で定義されているとしている。各作品が線形に話がつながっていくような未来史ではないということだろう。
 
 本編の主人公は遺伝子技術をめぐる重罪に問われた科学者リロ。その技術に目をつけた元大統領トイードがリロに交渉をもちかける。非合法につくったリロのクローンを犠牲にしてリロ自身を救おうというのだ。

 このシリーズは性別・肉体が簡単に変えられるほど医療技術が進歩した世界、というのが特徴といわれてきた。ヴァーリイのデビューは70年代後半で本作は1977年で、身体改造という面でサイバーパンクを先取りしジェンダーフリーな世界観という面でも先駆的だった。しかし正直ヴァーリイは苦手だった。一つの理由はヴァーリイに特質は軽やかさでその分身体改造があまりにお手軽なものとして書かれそこにどうしても馴染めなかったからである。身体改造にともなう痛みや精神の変容を無視しているかのような感覚に違和感があったということだ。リロが死んでもクローンが主人公として引き継がれていってしまう展開も納得しづらかった。クローンはクローンでそれぞれ他人のはずで話はつながらないはずだからである。また今から思うと親ヒッピー的な気楽さといったものも馴染めなかったもう一つの理由である。例えば逃走を企てる時に監視している者を欺くために「計画を立てない出たとこ勝負の方が相手の裏をかくことができる」とか「非論理的な行動の方が相手が防御できない」とかその根っこにある楽観主義がどうにも馴染めなかったのだ。
 ただあらためて読み直すとことは単純ではない。インベーダーに完膚無きまでにやられ人類のほとんどは死に絶え、<ホットライン>で得られた借り物の進んだ技術で太陽系の片隅に暮らしているという状況が背景にあり、はなから人類の未来に懐疑的にならざるを得ない世界である。そのためか表面上の軽やかさに反しポセイドン基地の囚人やびんの中でしか生きられない生物など本作にはたびたび閉塞的な状況が描かれている。また肉体の制約や痛みについてもやけどなどのエピソードで地球に移動したパートでしっかりと表現されていた。前面に立っている軽やかさに目を奪われるとヴァーリイが創作した70年代という時代をついつい忘れてしまう。変革による明るい未来を夢見ることができた60年代がとうに過ぎた70年代後半に登場したヴァーリイは大きく変化した価値観によって広がる肯定的な未来観と表裏一体に現れる苦い挫折も同時に描いていたのだ。
 本書の終盤で<ホットライン>の意図が明かされる。高次の知的生命体が人類を導く目的があった、という図式はクラーク『幼年期の終わり』を思わせる宇宙SF王道のものでクライマックスにファーストコンタクトが用意されているところなど古典的なハードSFを引き継いだものだということがよく分かる。一方で<ホットライン>が中心のアイディアになっているところに情報の重要性にこの時代から着眼しているヴァーリイのサイバーパンクの先駆としての感覚の新しさがみられる。クラークとサイバーパンクをつなぐ結節点としてヴァーリイは歴史的にも重要な位置を占める作家だとあらためて感じられる。
 幾何学的にイメージやメカニックの描写など物理学に精通した無駄のない文章も大きな長所。表面的な意匠にとらわれ本ブログ主はこれまであまり理解できていなかったが今更ながらその手腕に脱帽。今後もさらに再評価の進む作家だろうと思う。