異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

イマジカBSでTVドラマ『ブライズヘッドふたたび』観た

 『スクープ』が刊行されたイーヴリン・ウォーは辛辣なユーモアが特徴の作家ということらしく、まだ一作も読んでいないのだが気になっている。ただ読むにあたって何らかの手掛かりが欲しいかなーと思っていたら、ウォー原作で評判のよいTVドラマがありイマジカBSで放送することを知った。1920年代あたりが舞台というのもポイント高いし。(ただTVドラマシリーズは飽きっぽい性格のため元々あまり慣れておらず、全てのエピソードを抑えられたかはやや自身なし。ともかくだいたいは観た)
 1981年の英国ドラマ。おおざっぱにいうと1920~30年代英国貴族が斜陽化する時代を背景に、ブライズヘッドの名門フライト家と深い関わりを持つようになった中流出身のチャールズ・ライダーのエピソードがつづられていく年代記。
 第二次大戦で従軍している画家であるチャールズがブライズヘッドに赴任し、思い出の日々を回想するシーンから始まる。かつてチャールズはオックスフォード大学時代にフライト家の次男であるセバスチャンと運命的な出会いをし無二の親友となったのだ。贅沢な暮しを許されたセバスチャンであったが大きな孤独にさいなまれていた。破滅の予感を持ちつつも二人は酒とバラの日々を送る。しかし画家の道を歩むチャールズと空虚な心を埋められないセバスチャンの溝は広がり、やがてセバスチャンは姿をくらましてしまう。セバスチャンが舞台からフェイドアウトする中、次第に話は共に不幸な結婚をしながら惹かれあうチャールズとジュリア(セバスチャンの妹)の話がメインになる。
 人間ドラマからとらえるとこんな流れなのだが、終盤は信仰と死をめぐる重厚なテーマがクローズアップされる(理詰めで無宗教のチャールズが信仰に厚い人々を質問攻めにあわせるうちにいつのまにか自らに深遠な課題がつきつけられるアイロニーが印象深い)。ラストは回想のパートにもどることにより、時代のうねりのなかで人々の営みとはいったい何なのかと思いをはせることになる。前半のエピソードではこのような展開は予想しておらず、良い意味で裏切られた。宗教的なテーマはフライト家がカソリックであることが背景にあるのだが、ウォー自身カソリックに改宗した人物であり、そのあたりも興味深い。
 また当時の貴族の浮世離れした生活ぶりを観察することができるのもこのドラマの面白さである。馬鹿でかい屋敷からして笑ってしまうほどだが、セバスチャンとジュリアの父親であるマーチメイン侯爵のわがままぶりとか無性に可笑しい。上流階級じゃないようだが、チャールズの父親の嫌味もイギリス人っぽかったなー。
 総じて前半の若者たちの自由奔放な暴れっぷりが、出自の違いや宗教的背景など当初は些細とも思えるようなずれが、時の流れと共に切なくもやるせない人間模様を生み出し、屋敷を通じて歴史の移り変わりが伝わる大きなスケール感に広がっていく。観てよかった。