異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『ニューヨークの世紀末』 巽孝之

ニューヨークの世紀末

ニューヨークが描かれている小説やフィクションに興味がある。ニューヨークがテーマとなると、ともすると都会的・ソフィスティケイトといった方向に話題がいってしまうかもしれないが、もっと多様な面があるのではないかと思っている(例えば当ブログ主が好きなSFでもベスター、ディッシュ、ディレイニーといった作家にニューヨークの影が感じられる)。まずは詳しくなるためにそういう関連の評論がないかなあと探していたら、SF・アメリカ文学評論の巽先生のピンポイントな本が見つかった。そして期待通り面白かった。

第Ⅰ章 ニューヨークの世紀末
 メルヴィルデュシャンを結びつけて、独身者の楽園としてのニューヨークを読み解くというアクロバティックな評論でテンプル騎士団についてだとか示唆に富んだ内容だった。デュシャンの女性人格ローズ・セラヴィのことは不勉強にも知らなかったなあ。(ググると元レッチリジョン・フルシアンテが影響を受けNiandra Ladesという別人格でアルバムを発表してるらしい。正直なところフルシアンテあまり好きではないんだが聴いてみようかな)

第Ⅱ章 ジャズと札束とフラッパー
 フィッツジェラルド論。パリとの対比になっている。1920年代のフィッツジェルド界隈もいろいろな人が絡んでいて興味をそそられる。
第Ⅲ章 カメレオンのための朝食
 カポーティ論。こちらはニューオーリンズとの対比になっている。カポーティってニューオーリンズ出身だったのはあんまり意識していな方なあ。彼の幻想風味というのはマルディグラに端を発しているのかもしれない、と。これも面白い。
第Ⅳ章 ウォール街の悪夢
 トム・ウルフ論。トム・ウルフは読んでいなくて、ウォール街にもあんまり興味がないんだよなあ。
第Ⅴ章 窓からベイブリッジが見える
 ウィリアム・ギブスン論。これは橋とサンフランシスコについての論考かな。それはそれとして中身は面白く、『ヴァーチャル・ライト』を読みたくなる(たしか未読)。
第Ⅵ章 ハードゲイ・ハードボイルド
 保守派で反共主義者(ジョゼフ・マッカーシーの子分ってことなんだろうか)でありながらゲイでAIDSで死亡するロイ・M・コーンやゲイ・ハードボイルドや美容整形など、ニューヨークの昼と夜の二重生活をめぐり様々な考察がなされ第Ⅰ章と呼応する内容でこれも本格的なニューヨーク論になっている。ロイ・コーンについても不見識で知らなかったなあ。『アメリカン・サイコ』についても(当然ながら)言及されている。ハードボイルド方面についてはこれから読んでいきたいと思っている。

 異なる時期のいろいろなテーマについての文章が並ぶため、最初と最後の章を除くと(パリの話もあるが全体としては)虚構性に富んだアメリカという国に対する論考になっている本といえる。また911以降はその視点からが避けられないため、ニューヨーク論というと現在はまた違ったものとならざるを得ない。そのため逆にその前の記録が残っているのは貴重ともいえる。とにかく豊富な話題とパースペクティヴで、いろいろな小説や人物により興味を抱かせてくれる刺激的な本だった。