異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

『逆立ちしたフランケンシュタイン 科学仕掛けの神秘主義』 新戸雅章

逆立ちしたフランケンシュタイン―科学仕掛けの神秘主義

 科学者のイメージってどんなだろう。世界がよくなる理想を追い日夜寝る間を惜しんで研究する高潔な人物だろうか。はたまた不気味な発明を密かにすすめ自らの研究のためなら他人の命すらなんとも思わない冷徹な人物だろうか。フィクションの中ではしばしばその両曲が描かれ、善の科学者と悪の科学者だ対立するような話も珍しくない(そういえば当ブログ主が愛してやまないDr.Funkensteinも科学者だ)。フィクションならそれもいいが、世の中に大きな影響力を与える科学者像を夢見るあまり悪夢のようなテロを現実に引き起こしてしまった集団がオウム真理教だ。本書はオウム真理教の事件後に、元々は優秀な科学者であった彼らがなぜ道を踏み誤ったのかという疑問から科学者これまで何を求めまた何を求められてきたのか、ニコラ・テスラなど科学史に詳しい著者がその源流を探っていったものである。
 本書の大きな読みどころは次から次に登場する広範な科学分野において貢献した人物たちのエピソードである。またそこに登場するのは科学者のみならず、技術者、発明家、職人など人々の職業も多岐にわたる。そして本書がユニークなのは思想的な流れについても触れられていることだ。現代は科学が唯物的に諸問題に当たっているものの、その元であり魂や宗教といった問題も請け負っていた魔術がいまだに科学に対するアンビヴァレントなイメージを規定している。そもそも科学者と魔術は対立するものではなく、科学者たちも心霊的なものを積極的に受け入れる時代もあった。その理由が歴史的に解明されるところは示唆に富んでおり、通常の科学ノンフィクションでは出てこないであろうオカルトや魔術や奇術の人々にも多くスペースが割かれ、現代の科学の世界が形作られる過程を知ることができ大変興味深い。
 また科学者にロマンが求められる。万能で何でも発明し世界を救う人物が期待される(そういえば映画『ベイマックス』もスーパー科学者たちの話だった)。こうしたイメージの元にあるのは科学や発見を純粋に追っていた時代、まだ科学者が発見そのものに喜びを感じ企業の論理に組み込まれていなかった時代(それは<科学者>という職業が確立していなかった時代でもある)へのノスタルジーであるというのも大いに頷ける。もちろん著者は過去を美化しているわけではなく、時代の変質により人々の心がどうしても向かってしまう部分があることを伝えてくれている。当然オカルトについても肯定しているのではなく、現代のオカルトは科学によって失われたその地位を疑似科学の力で復権しようとしてるものだとして批判している。光が当たれば闇が生まれてしまうもどかしさかもしれない。
 SF好きとして、マッドサイエンティスト(本文ではマッドサイエンチスト)は花形であり、そういった話は元々大好きだった。一方科学をめぐる問題は、この本が出て時間の経過した現在でもSTAP細胞騒動があり、本書で扱われた科学者のイメージの二面性の問題はあまり改善している気配がない。こうした中感じていたさまざまな疑問が本書を読むことで解明された。実は著者には若い頃お世話になりいろいろ教わったので、こちらの考えがシンクロしているのは当然かもしれないのだが、科学者ではない科学史家という立場ならではの視点で歴史的にそして総合的に科学者像をとらえた非常に意義の大きい本だと思う。