異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

CSで映画『ロボット』『ヒューゴの不思議な発明』『運命のボタン』『ドクターモローの島』

TVに観た映画の感想のまとめ(例によって備忘録で、一部内容に触れているのでご注意)

『ロボット』 2010年のインド映画。インド映画は久々だが、恋あり笑いありダンスありの娯楽性でたっぷり長時間に美女とむっちりしたおっさん主人公といった印象があり、まさにその通りの作品。『アイ、ロボット』風のロボットシーンもありロボット三原則への言及もあるなどアシモフリスペクトを感じるが、まあそんなに論理性を追求しているわけでもなくて主役の俳優が二役をこなす、むっちりおっさんロボットが活躍するドタバタコメディ(の割に人は結構死んでる)。ようつべの動画やTVの紹介だけだとクライマックスシーンなどの特殊効果ばかりが目立つがいろいろと起伏に富んだストーリーやドラマがありまあ娯楽のテンコ盛りです。久々のインド映画だったのでいろいろ現代的に変化していて、ダンスもヒップホップ風だったりミュージックビデオ風の映像もあったりしていたのが印象に残った。

ヒューゴの不思議な発明』 2011年のマーティン・スコセッシ監督作品でアカデミーをいろいろ撮っていた。1930年代のモンパルナス駅が舞台で、父親譲りの機械修理の腕を持つ貧しい少年の話。駅を中心としたあくまでも少年の行動範囲内での冒険が描かれシンプルなストーリーながらちゃんとスリルのある展開になっているところやもちろんカワイイ文系少女(クロエ・グレース・モレッツ)も出てくるなど実に用意周到なつくりになっているとこらがうまい。ただむしろ主役は機械人形を中心としたスチームパンク風の美術で、(小説のスチームパンクは少ししか読んでいないのだが)こういう映像は大好物なので堪能した。

運命のボタン』 2009年アメリカ映画。原作は、そのボタンを押すと大金が入るがその代わりに見知らぬ人が死ぬというなぞの機械がやってくるというマシスンの大変シンプルな掌篇。そのまま映画化は当然無理で基本的に別物。舞台は1970年代に設定されていて、その頃のSFあるいは怪奇ドラマ(/映画)の風味を現代の映像技術で再現しようとしたのかなあなどと漠然と思った。全体を通じての罰の意識の強さが多少印象に残ったものの、あんまりピンとこない出来だった。

『ドクターモローの島』1977年作。原作はH・G・ウェルズの名作中の名作だが、これは2回目の映画化で最初の映画化1933年『獣人島』のリメイクということらしい。いろいろ話に矛盾があって・・・あれ原作ってどうだったっけなあ。例えばこれ猛獣を使って人間が生で格闘するという大変危険なアクションシーンが一つの売りだと思う。しかし「動物と人間を融合した改造人間たちが獣性に目覚めて、檻に閉じ込められた猛獣たちを解き放してしまう」という訳のわからない展開についていけない。いや獣性に目覚めたら、逃げるだけでそんな危険な事しないでしょ。そもそも獣性という考え方に偏りがあったんだろうな。その流れで猛獣とのアクションシーン頑張られてもどう思っていいか分かんないさ。ちなみにググるとバッドエンドだった昔のバージョンがカットされているというようなことが話題としてあるが、どうだろうなあ。全体に行き当たりばったりな感じで、そっちのバージョンでも大して印象は変わらないような気も。まあバーバラ・キャレラは美しかったけれども。とにかく原作での問題意識は共有されておらず、それはどうも最初の映画化の時点でそうだった可能性が高く、映画の方は原作と離れてリメイクとして継承されている形。こうなると今更原作に忠実なものを作っても内容的に大ヒットは難しいだろうから実現は不可能だし、原作と映画の関係というのも難しいねえ。